二
「南領に?」
麗夜は眉をあげた。
白燕は実家を出て以来、國のあちこちを旅してまわっていた。
「そう。なかなか面白いところだった。みんな血気盛んっていうか、騒がしくて。街にはよその國の血が混ざってる人もいたね」
あとみんな肌が黒い。
そう付け足してから、少女はお茶請けに出された桃色の落雁をつまんだ。
麗夜は「ああ」と頷く。
「あそこは大きな港があって、外の國との交流も盛んだからな。……北國育ちには、少し厳しい気候だったんじゃないか」
「うん。だから本格的に暑くなる前にこっちに避難してきた」
云ってから、白燕は再び茶をすすった。
白燕は北領の生まれだ。
北領は四大貴族である霜紋家が治める土地で、冬が長く厳しい寒さが続く。
対して南領は冬でも比較的暖かく、夏は日差しが照り付ける猛暑日が多い。
「その前は確か、西領に居たんだったな」
麗夜がそう云うのと、白燕が菊を模った落雁を口に放り込んだのはほぼ同時だった。
礼儀正しく正座する麗夜とは対照的に、白燕は適当に足を崩して粗雑に振舞っている。
およそ婦女子とは思えないその態度は、この場にもし他の誰かが居た場合は咎められたであろう。しかし、麗夜は困ったように微笑するだけだった。
この娘がその気になれば、一級品の立ち居振る舞いが出来るのを麗夜は知っている。
「ああ、うん。長く居たね。西はなんか、小賢しくて陰険。あと、南の連中の悪口をよく云ってた」
西領は楽士や職人など、文化的な面で大いに栄えている。
風流人が多いので、血の気の多い南領民とは折り合いが悪い。
加えて、西領を治める皇家は、國祖を生んだ家とも云われているので、他の三つの大貴族と比較しても飛びぬけて高飛車で高慢だ。
海賊を祖先に持つ南領主の青嵐家と、御上に近いことを誇る皇家は、顔を合わせる度に互いを罵り合うので、御前会議をたびたび紛糾させる原因になっていた。
ふと、麗夜が小さく呟いた。
「北はどうだ」
すると、白燕はしばしの沈黙のあとに、口を開く。
「――駄目だ。北は腐ってる」
「………」
「数年前より更にひどいね。次期に滅びるな、あれは」
麗夜は昔、遊学として右京とともに北領主の霜紋家のもとに滞在していたことがある。
その時に、当主である霜紋貴雪の人となりを知ったのだが、非常に傲慢で統治者としての自覚が浅はかな人物であった。
北領はその厳しい気候故に作物が育ちにくい。冬を超えるには、温かいうちにたくさんの食糧を確保しておかなければならないのだが、税が重く、民は困窮し続けている。
しかし、私腹を肥やし続ける貴雪の悪行は、北領以外ではあまり公になっていないのが現状だ。
その原因として、最も大きいのが立地の問題であった。
北領と東領は地続きで繋がっているが、間には月破山脈と云われる広大な山脈が屹立している。この山は非常に急峻な上に、山頂付近で万年雪を戴く。
月破山脈を越えなければ、北領へ行くことは叶わず、加えて山越えには適切で安全な道を選ぶ必要があり、山に慣れている者との繋がりや、相応の準備がないとまず出来ない。
麗夜と右京には財と北領からの案内人が派遣されたためにそれが叶ったが、普通の民にそれは不可能だろう。
北領は領地は広大なれど、いわば陸の孤島であり、情報や流通の繋がりは他領と比べて圧倒的に希薄だ。
右京は北の現状を知って以来、たびたび北の民を助けようと貴雪に呼び掛けているのだが、貴雪がこれを頑として受け入れない。大貴族とはいえ、他領のことに首を突っ込み過ぎると、戦になる恐れがあるので、右京も手をこまねいているのが現状だ。
なにより麗夜が気に食わないのは、これらのいざこざに全く無関心を貫いている朝廷の態度なのだが、こればっかりは何を云っても仕方がないことである。
「代替わりがあれば……あるいは……」
少女の呟きに、麗夜は「ああ」と声を漏らした。
現当主、貴雪はもはや救いようがないが、その嫡男である公雪は、心根の素直な少年だった。
貴雪が斃れ、公雪が当主になれば、少なからず北領は変わるだろう。
もっとも、それまで北がもてばの話である。
「まあ、こんなこと考えても仕方がない。どうやったって、滅びるものは滅びるんだ」
懊悩を振り払うように一度かぶりを振ってから、白燕は麗夜に笑いかける。
「それで、本題なんだけど」




