一
ひらりと、青葉が一枚、池に落ちた。
凪いだ水面に、控えめな波紋が広がる。
長く降り続いていた雨も止み、ようやく梅雨明けを迎えようという頃。
下屋敷の濡縁にて、ひとり読書をしていた麗夜は、静寂の庭の空気が揺れた気配を感じて、ふと顔を上げた。
正面に聳立する塀に、誰かが立っている。
そう易々《やすやす》と登れる高さの塀ではないのだが、白い外套を羽織った子供は、なにやら楽し気に口元を歪めて、じっとこちらを見つめていた。
「来たか、白燕」
「久しぶり、麗夜」
コーンっと、鹿威しの子気味よい音が響いた。
屋敷の客間にて机を挟み、麗夜と少女――白燕は向かい合って座っている。
陽気の良い日なので、あえて障子を開け放っていた。
茶菓子を持ってきた下女が下がると、麗夜は前に座った白燕に声を掛ける。
「一年ぶりくらいか」
「うーん……そのくらいになるのかな」
麗夜を一瞥もせずに白燕はそう云って、下女の持ってきた茶を口に含んだ。
「へぇ、変わった香りだね」
鼻腔を抜けるかぐわしい香りに白燕はほっと息をつく。
「茉莉花の茶だ。花自体はこの國にもあるが、これは質の良いものを華の國から取り寄せた。この時期だけの趣向品だな」
「相変わらず洒落者だね、きみは」
布を深くかぶっているせいで、少女の顔は見えない。
しかし、口元だけで薄く笑ったのが分かった。
「それ、取ったらどうだ。人払いをしているから、どうせ誰も来ない」
云われて白燕は、「ああ、そう?」と徐に顔半分を覆っていた布を払った。
現れたのは、十二、三歳程度の子供の顔だ。
人形のようによく整った顔は、幼いながらにも壮絶に美しく、見る者をはっとさせる。
しかしそれ以上に特筆すべきなのは、少女の白さだった。
肌も髪も新雪のように白い。
雪景色の中ならば、埋もれてしまうのではないか、と思わせる程に。
これだけならば、六花の精霊を思わせるような神秘的な見目であるが、更に目を惹くのは、少女の瞳の色だった。
それはまるで鮮血のような赤。
瞳の奥の血の色がそのまま透けて見えたかのように、ひたすらに真っ赤であった。
真っ白な肌と髪に、血赤のような双眸。
精霊か物の怪か。初めて見た者ならば目を疑うだろう。
当人の意思に関係なく衆目を浴びてしまうので、白燕はこうして外を歩くときは顔を隠しているのだ。
仕方がないと分かっていても、麗夜はそれを少しだけ残念に思う。
後にも先にも、目の前にいる娘ほど美しいものに出会うことはないだろうな、と本気で思っていた。
惜しむらくは、この美しい髪がざんばらまでに短く切られていることか。
「勿体ないな」
つい口を出てしまった言葉に、白燕はきょとんと目を丸くした。
その表情に、珍しいものを見たなと思いながら麗夜は再び呟く。
「綺麗なのにな」
すると、少女はからからと面白げに笑った。
「右京も同じこと云ってたよ」
「あぁ……」
なんとなく複雑な気分になって、麗夜は口を噤んだ。
右京というのは、この國の四大貴族であり、東領全土を治める春宮家の嫡男のことである。
本来なら、麗夜が気安くできるような相手ではないのだが、幼い頃に父を通じて、右京の遊び相手として春宮家本邸に出入りしていたこともあり、今でも親密な交流があった。
麗夜と右京と白燕は、数年前に北領で出会い、ちょっとしたいざこざに巻き込まれた。
それ以降は、こうして度々近況を報告し合う仲である。
「南に居たんだよ。半年くらい」




