六
血相を変えた琉霞が再び梔乃のもとに訪れたのは、それから三日後のことだった。
麗らかな陽気の早朝だ。
湖でいつものように体を清めた梔乃は、社の周りを掃除していた。
竹箒持って枯れ葉を薙いでいると、寂れた、という言葉がふさわしい小さな社の石壇に、これみよがしに緋袴が置いてあることに気が付いて、「っげ」と顔を歪めた。
見なかったことにして、淡々と掃除を続ける。
風に誘われて視線を上げると、湖面の輝く湖では、白鷺が悠々と泳いでいるのが見えた。森で鳴いているのは目白か鶯だろう。
鳥も獣も虫も精霊も、皆、森の命そのものだ。
木霊する無数の命の声に耳を傾けていると、梔乃は時折途方も無い気持ちになる。
巨大な、人の理の外側にいる何かに、囲われているような気持ちになるのだ。果たしてそれをなんと呼ぶのかは梔乃は知らない。神、と名付けるものもいるだろう。
ここ数日は春疾風が強く吹き付けていた。この調子なら桜も散り切ったかもしれない。
ふと思い至って梔乃は箒を掃く手を止めた。
先日出会った、真白という少女のことを思い出す。
おっとりとして、甘い匂いが漂ってきそうな、可憐な娘だった。真白は梔乃のことを花の精のようと例えていたが、それは真白にこそふさわしいだろうと梔乃は思う。
あの娘の柔らかい微笑みは、春を象徴する薄紅の花弁を思い起こさせる。大輪の花のような華やかさこそ無いが、どこまでも優しい陽だまりのような娘だ。
(散ってしまったら――)
あの少年はどう思うだろう。真白が桜の花のように一瞬で散ってしまったら―――
バサバサバサッ!
この場に似つかわしくないような、激しい羽音が響いて、梔乃はびくっと肩を揺らした。
鳥居の辺りに烏が集まっている。梔乃は珍しいものを見たというように瞳を瞬かせた。
黒い体を揺らして、鳥居の朱をつついている。何が目的でそんなことをしているのかは判然としない。
濡れたような黒い瞳には不思議な艶やかさがあった。なんとも云えない魅力を持ったこの鳥は、その闇のような見目とは裏腹に、太陽神と使いだと云われている。 ――それと同時に、一部の地域では不吉の象徴だとも。
「梔乃!!」
バタバタと騒々しい足音が近づいてくる。
転げそうな勢いで走ってきたのは、つい今しがた思い浮かべていた少年だった。
「琉霞」
全力で走ってきたのか、立ち止まった途端に咳き込み始める。
「良かった、すぐ見つかって」
はぁ、はぁと肩で息をしながら、顔を上げた琉霞の玻璃の瞳には、隠しようもない焦燥が見て取れた。
梔乃は何かを察して険しい顔つきになる。
「真白になにかあったの」
顔を上げた琉霞は、額に汗を流しながら悲鳴のような声を上げた。
「姉上が、目を覚まさないんです」