七
琉霞が煩悶とする横で、梔乃もまた思案していた。
もし、最高傑作とやらが他の白磁器たちとともにここに置かれていたなら、犯人は何故それだけを持ち出したのだろうか。
薔斎の云う通り、よっぽど価値のある作品だったのか。目利きの商人ならあり得ない話でもない。
あるいは、陶器とはまた全く異なるものであったのか。
(でもやっぱり一番気になるのは……)
こうも執拗に白く統一された部屋である。
まるで、白以外は許さないとすら、云いたげな―――
(狂気のような、なにか)
琉霞でなくとも、この部屋に長くいるのは気が滅入る。
梔乃が小さく溜息をついたその時だ。
不意に薔斎が声をあげた。
「おお、そうだ。思い出した」
「思い出したんですか!」
琉霞が叫ぶと、薔斎は力強く頷いた。
「ここにあるのは、確かに儂の晩年の作品だ。儂はな、長い間ずっと『美』とはなにかを考えて生きてきたが、ついにその答えに辿りついたのだ」
「はぁ」
老人特有の自分語りの気配がして、琉霞は途端に勢いを失くす。
しかし、薔斎は気に留めず、立て板に水のごとく語り出した。
「『美』とは即ち、無垢であること。穢れず、汚れず、何の色にも染まらない白であること。だから、儂は純白の作品を生み出し続けたのだ」
「ああ、なるほどそういう」
思想に共感はしないが、これで薔斎が何をもって白磁器にこだわり続けたのかが理解できた。
(画となると、白一色という訳にはいかないでしょうし)
それにしても、芸術家の美への種着とやらは驚異的である。
この部屋にある作品だけで百点以上。飽きもせずに白い陶器だけにこだわって制作し続け、挙句の果てに納戸の中を白一色に染め上げてしまった。
――高利貸しって、そんなに暇なんだろうか。
「そしてついに、儂は最高傑作を生みだすことに成功したのだ」
「勿体ぶらないで早く云ってください」
琉霞が倦んだ顔で云った。
連子窓から入る光が、興奮気味の薔斎の顔を照らす。男は息巻いて続けた。
「最高傑作の名は『純』だ。真っ新な、純真なる作品」
「………お酒の名前みたいですね」
興味無さげに琉霞がぼやいたが、梔乃はじっと静かに薔斎の話に耳を傾けている。
「何も感じず、何も語らず、何も知らない。それこそが、儂の最高傑作! 究極な無垢!」
声高に叫び、頬を上気させる薔斎は、どこかのぼせているように見えた。
その異様な興奮ぶりに梔乃は眉を寄せたが、琉霞は呆れたように白々しく男を見上げている。
「そりゃあ陶器は何も感じないし、語らないでしょうよ…………ん?」
なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
薔斎の家は、色茶小路の裏通りに面している。
つまり、この家の裏にはいくつもの店が立ち並ぶあの賑やかな大通りがあるわけで。
ちょうど真裏には、里の中でも有数の商家が建っているのだ。
「梔乃、ちょっと待っててください」
「琉霞?」
「すぐ戻ってきますから」
青い顔のまま琉霞は駆けだした。
目的地はすぐそこ。
『円天堂』に向かって。
梔乃と薔斎が家の前で琉霞の帰りを待っていると、程なくして、琉霞と共に意外な人物が現れた。
「真白?」
灰味がかった艶やかな黒髪を揺らして現れたのは、琉霞の姉である真白であった。
どうやら琉霞に云われるがままについてきたようで、事態を飲み込めない様子で困った顔をしている。
その真白に手を引かれて、十歳くらいの幼い少女が歩いてきた。
天色の地に、愛らしい菊の模様をあしらった小紋を着た少女は、梔乃と似たように黒い髪を肩口あたりで短く切り揃えてある。
梔乃はその少女の顔を覗き見て―――ぞっとした。
少女の瞳には何も映っていない。
この世のすべてからの干渉を拒んでいるかのように、瞳の奥は深く深く閉ざされている。
瞬間、梔乃は思った。
(伽藍だ)
この子は、空っぽだ。
なにも入っていない、空っぽの器だ。
――それはまるで、かつての自分を見ているようで。
思い出したくない悪夢が背筋をそっと撫でたような感覚がして、肌が粟立った。
「梔乃? どうしたの? 大丈夫?」
心配するように真白が顔を覗き込んで来る。
梔乃は息を詰まらせながらも「大丈夫」と答えてから、琉霞のほうを仰ぎ見た。
「この子は?」
「ええ、この子は――」
「純! 純じゃないか!」
琉霞の言葉を遮り、喜色ばんで叫んだのは薔斎だった。
腕を広げ、少女を抱きしめようとするが、幽体なので触れることは出来ない。
それでも薔斎はひたすらに嬉しそうに言葉を連ねた。
「ああ、ようやく儂の手に戻って来た! これこそが儂の最高傑作! 究極なる無垢!」
琉霞は忌々し気にその様子を眺め、「御覧の通りです」と小さく呟いた。
「この子は、『円天堂』の若夫婦が少し前に引き取った娘です。若旦那――勝治さんは彼女のことを『すみちゃん』と呼んでいましたが、この子の本当の名前は『すみちゃん』ではなく『純』みたいです」




