六
薔斎に案内されて向かったのは、先ほど入って来た裏口に繋がる納戸から、もう少し廊下を奥まで進んだ突き当りの壁だ。
さっき見たときは暗がりで、ただの壁かと思っていたが、よく見たら板の間に亀裂が入っていた。手で軽く押すとまたしてもからくり扉のように回転する。
「わぁ、なんだってこんなややこしい仕掛けを自分の家に造るんですか」
琉霞が云うと、薔斎は愉快気に笑う。
「面白かろう。子供の頃は両親が厳しかったために、あまり子供らしい遊びなんかは出来なかったからな。逆に大人になってからは遊び心のある仕掛けをつくるのに夢中になったのだ。なんならまだまだあるぞ」
「いい歳したおじいちゃんが何やって………ああ、これも若い時に造ったんですね……」
げんなりした顔で琉霞は薔斎を見上げると、なにやら難しい顔で考え込んでいた。
「どうしました」
「いや、な。昔、こうして子供にこの仕掛けを教えたことがあるような気がしてな………果て、いつのことだっただろうか」
「でもあなた、子供居ないって云ってませんでした?」
「居らぬ。それは間違いないが。しかし………幼い子供を可愛がっていたような気もするのだ」
顎に手をかけて目を細める薔斎。不意に梔乃が口を開いた。
「それが、生前交流のあった誰かなんじゃないの。裏口を知っていたのは、あなたに教えてもらったからで」
「ああ、商人ですか! え、でも子供?」
「昔は子供だったって話。今は大人になってるかも」
「なるほど。何十年か前に薔斎さんと交流のあった人で、今は丁稚を抱える商家の人ってことですね。え、じゃあ、その人が作品を持ち出した犯人ってことですか?」
これまたおかしな話である。
家には戸締りがしてあるままで、入るには裏口しかない。その裏口を使って出入りをしているのは、とある商人の命を受けた丁稚たちのみ。
家主が亡くなってからも家を残し、大切に掃除をさせているところを見るに、その商人とやらは少なからず薔斎に対しての情があるように見受けられる。にもかかわらず、薔斎が最も大切にしていた最高傑作を盗んでいったというのだ。
「あなたの遺体を最初に見つけたのも、その商人なのかもしれない」
「この家が取り壊されてないことから察するに、今はその人が管理しているのかもしれませんね」
どんな交渉を役人と交わしたのかは知れないが、なかなか大きな商家の可能性が浮上してきた。だが、それだけで誰かを特定するのは厳しいだろう。
「なぁんか、ちぐはぐなんですよねぇ。結局、どうしてその作品を持ち出したのかが分かりませんし」
云いさして、琉霞は回転扉をすり抜け、納戸に入った。
すると、目の前に広がった光景に目を見開く。
「うわぁ、真っ白。なんですかこれ」
納戸の中は、文字通り真っ白であった。
壁も、板も、すべてが白一色に塗られていて、先ほどまで居た廊下との明度の落差に視界が眩む。
琉霞は眩しさに目をしばたかせながら、部屋をまじまじと見渡した。
三畳ほどの納戸には、板でつくられた簡素な棚が壁一面を覆っている。
一棹五段の棚のそのすべてに、大小さまざまな形の陶器が安置されていた。
それらの陶器もすべて、真っ白な白磁器である。
酒瓶、花瓶、平皿、茶器、合器など、種類も用途も異なる陶器が一定の間隔で整然と並べられているが、意匠もなく、飾りもなく、目立った形もしていない。
ただ、『白』であることに強いこだわりを持っているのは、一目で分かった。
おそらく採光のために意図的に設えたのであろう、天井近くにある連子窓からの陽光に反射して、白亜の陶器たちが眩く輝く。
狭い納戸の中が一面、銀華のような白で覆われていた。
美しいと、最初はそう思ったのかもしれない。
しかし、次の瞬間にはすぐに畏怖のような感情に変わった。
琉霞は腹のあたりがとぐろを巻くようにむずむずするのを感じる。
(異様だ。この部屋は)
良くわからないが、気持ち悪い。
上手くいえ無いが、ひと一人が抱えておくには、大きすぎる異常な執着を感じる。
あまり長く、ここに居たくなかった。
茫洋と立ち尽くしていると、軽く肩を押された。
いつの間にか横に立っていた梔乃が、その濡羽色の瞳で部屋を見つめている。
「悪趣味ね」
琉霞に視線を向けないまま、小さく呟いた。
「気分が悪いなら、出てなさい」
諭すように、静かに云う。
相変わらずつっけんどんな口調であるが、自分を気遣ってくれているのが分かった。
(ああ、この子はほんとうに)
人のことを良く見ている。
分かりにくいが、優しい子なのだ。
「ふふふ」
「なに笑ってるの」
「いいえ、なんでもないです」
さっきまでの気重はどこへやら。重苦しい気分はいつの間にか無くなっている。
「でも、なんでこんなに全部真っ白なんですか」
琉霞が振り返ると、薔斎は眉間に皺を寄せてむっつりと黙り込んでいる。
「………まさか、それも覚えてないんですか」
倦んだ声を出す琉霞に続いて、梔乃が口を開く。
「見たところ、画は一枚もないけど」
梔乃の云う通り、画は一枚もない。ここにあるのは全て、陶器だけだ。
薔斎は「ううむ」と厳しい顔になって唸る。
「……そういえば、若い頃に描いていた画はすべて処分したような気もするな」
「ということは?」
「ここにあるのは全部、歳をとってからの作品ってことね」
白磁器は、高温で焼成した白い素地に、光沢を帯びた透明な釉を塗って造る。この家はまだ部屋数に余裕がありそうなので、どこかに工房でもあるのかもしれない。
「若い頃の作品を自虐する作家って多いですよね。歳を重ねるうちに、心境とともに作風が変化していって………昔の作品を恥じるようになって、処分したとか」
琉霞にしてはまともなことを云うな、と梔乃は首肯した。
「あり得る。なら、探している最高傑作っていうのも、ここにあるような白磁器かもしれない」
というか、その可能性がかなり高い。
琉霞と梔乃は、納戸の中をあちこち見て回った。薔斎の晩年の記憶が確かでない以上、なんとかして手がかりを探すしかない。
琉霞は置かれた花瓶の一つを手に取り、矯めつ眇めつしながら、首を捻った。
なんだろう。先ほどからなにかずっと引っかかっているような気がするのだ。
なにか致命的な見落としをしているような………大事なことに気づかず通り過ぎてしまったような……そんな感じがする。




