五
琉霞と梔乃が同時に云うと、薔斎は憤慨した。
「お前たち、この儂の最高傑作を要らぬと申すか」
「良く知りもしないおじいさんの最高傑作を渡されても……。それに、『薔斎』なんて名前聞いたことないですよ。画家? 陶芸家? いずれにしても無名の作家の作品にいかほどの価値があるのか」
琉霞が胡乱気に云うと、薔斎は顔を赤くしたまま「うぅ」と呻いた。
「作品はいらないけど、探すのは手伝う。死霊が現世にいつまでも留まるのは危険だから」
云ってから、梔乃は薔斎をひたと見つめた。
「で、その最高傑作ってどんなものなの」
すると、男は一変して困ったように眉尻を下げた。
「………あまりはっきり、思い出せぬのだ」
すると琉霞が「はあっっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「あんだけこだわり見せといて、どんなだったか忘れましたって、そりゃないでしょうよおじいちゃん!」
「耳元で喚くな、やかましい小僧だな。さっき云ったばかりだろう。生前の記憶は薄れつつあるのじゃ。………お前の頭には鳥の脳みそでもつまっておるのか」
「んなっ! き、聞きましたか梔乃! あろうことかこの男、僕のことを鳥頭と」
「正鵠を射てる」
「ひ、酷い………」
項垂れる琉霞を放って、梔乃は薔斎に向き直った。
「やみくもに探しても埒が明かないし、とりあえず家の中を見せてもらえる? なにか、手掛かりがあるかもしれないから」
「でも、中入れるんですか? じんばりが掛かっているのでは?」
琉霞が入口を覗きながら云うと、薔斎はふんと鼻を鳴らした。
「裏から回れ。木陰に裏口がある。お前たちくらいの子供なら通れるだろう」
云われた通り裏に回った二人は、木の陰に隠れている小さな戸口を見つけた。子供がいたずらで作ったような小さなからくり扉のようなもので、比較的こがらな二人でも四つん這いにならなければ通れなかった。
裏口から家に入ると、狭い納戸に出る。何もない伽藍とした納戸を開け、廊下の角を曲がると、今度は居間に着いた。琉霞は部屋を見渡すと意外そうに片眉を上げる。
「あれ、思ったより綺麗ですね。亡くなっていくらか経っていそうなので、もうちょっと荒れてるかと思ってました」
人が住まなくなった家というのは、なにもしなくてもすぐに荒んでいく。しかし、広々とした居間は、あまり埃っぽさは感じなかった。
さらに不思議なのは、棚や机など、大きな家具がそのまま残されていることだった。
古びた家具はどれも重厚そうな年季ものであると一目で分かる。持ち出すのにかなり苦労しそうな物もあるので、撤去が滞っているのかもしれない。
「持ち主のなくなった家って、どうなるの」
辺りを見回しながら梔乃が云う。
「親族など引き取り手がない場合は、残された私財も含めて、土地も家も里長に返還されます。
というか、里内――東領内、ひいては國中の土地はすべて御上からの借用地ですからね。照柿内の土地は、父の管理下に置かれていますから、今は父のものってことになるんでしょうが」
持ち主のない家は奉行所によって撤去され、残った私財は押収される。この家も本来なら早々に取り壊される定めにあったはずだが、未だにこうして残っているということは、なにか理由があるのだろうか。
文化的な価値がある家だったりすると、撤去されずにそのままの形で残されることもある。
あるいは、壊される前に買い手が見つかったので、そのままになっているのだろうか。
無論、役人の手が回らずに管理しきれていないという可能性も十分にある。
里内には未だに家主の居ない空き家が無数にあり、そういえば久太が現在自宅にしているという家も、もとは空き家だったという話だ。
だが、そのような空き家はほとんど掘っ立て小屋のような粗末な長屋であることがほとんどなので、これだけ立派な家がそのまま放置されているのは確かに不可解である。
父や兄だったらなにか知っているだろうが、琉霞はこの件に関してはなにも知らされていない。
琉霞がひとりで唸っていると、薔斎は驚いたように声を上げた。
「お前、里長の子だったのか」
「今更ですか」
そんな問答を背後に、梔乃はじっと居間を観察していた。
板敷のだだっ広い、一人で住むには大きすぎる部屋である。
居間の端に大きめの文机と和箪笥が一棹。
奥に続く廊下の前には花台が置かれ、その上には真っ白な七宝の花瓶が佇んでいる。
玄関近くには梔乃の背ほどありそうな鏡台。窓の傍には何も掛かっていない衣掛が置いてあった。
やはり妙だ。
人の住んでいない家にしては整いすぎている。
入口は戸締りがしてあり、人の出入りは出来ないはずだ。それなのに、明らかに人の手が入った痕跡があった。
「誰か、出入りしてるの」
梔乃が尋ねると、薔斎は「あぁ」と返事をした。
「ちびどもがな、掃除しに来るんだ」
「ちびども?」
「知り合いの子ですか」
二人の問いに薔斎は首を振る。
「全く知らん子供たちだ。だが、誰かに命じられてここを掃除しに来ているようだった。どこか、大きな商家の、丁稚奉公のようだったな」
「商家の丁稚……? なんだってそんな縁のない子供たちが掃除しに来るんですか」
「儂にも判らん。だが、十日に一回くらいは必ず来て、埃を履いたり、床を拭いていくのだ」
首を振った薔斎に、今度は梔乃が問うた。
「裏口から入ってきているなら、生前あなたと交流があった商人のところの丁稚かもしれない」
裏口を知っているということは、薔斎から聞いたということである。
「生前、どこかの商人と深い交流がありましたか?」
琉霞の問いに、薔斎は首を振った。
「思い出せぬ」
またしても首を振った薔斎に、琉霞は今度こそ溜息をついた。
「駄目ですね。なんにも覚えてないですこの人」
「一度、整理してみよう」
梔乃はそう云って、薔斎を見た。
「あなたの作品を持ち出した人物の顔は思い出せないって云ってたよね。それから、作品自体もどんなものか思い出せない。じゃあ、死ぬ間際の晩年……あるいは死ぬ前の数年から、死んですぐの記憶が曖昧なんじゃないの。十日に一度くらい子供たちが掃除をしに来ていることは覚えてるのなら、ここ一月くらいの記憶ははっきりしてるんじゃない?」
薔斎が「いかにも」と鷹揚に頷いたのを見て、梔乃は続ける。
「でも、裏口があることは覚えてる。自分が芸術家であることも覚えてる……なら、もっと前の……若いときとか、子供の頃の記憶はある………違う?」
梔乃の問いに、薔斎は「ほう」と唸った。
「なかなか賢しいな娘。その通りだ。子供の頃の記憶ははっきりとある。儂は高利貸しの家に生まれたんだがな、子供のころはずっと絵描きになりたくて仕方がなかったのだ。親に反対されて以来、ずっとその気持ちを押し殺してきたが、独立してからは細々と絵を描いておった」
「……で、その絵とやらはどこにあるんですか」
見たところ、薔斎の作品らしきものはどこにも見つからない。
居間に飾っていないのならば、どこか別の部屋にでも置いてあるのだろうか。
「ああ、それなら廊下のつきあたりに納戸があるだろう。儂の作品はほとんどそこに置いてある」
「? 僕たち、納戸から入ってきましたけど、なにもありませんでしたよ」
「そこじゃない。もう一つ奥にあるのだ」




