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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
五 伽藍の狂器
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 四

「そもそも『力の強い霊』というのはどんなものなんですか?」

 

 裏長屋の立つ通りを歩きながら、琉霞が不意に云った。

 ここは色茶小路の裏通りにあたる。表通りには溢れんばかりの活気が満ち、大きな店が立ち並んでいるが、一歩路地に入ってしまえば、たちまち静かな民家が只ずんでいた。


「『力の強い霊』なら只人にも見えるって弥彦は云ってましたよね。それは一体、どんな力なんですか?」


 琉霞が問うと、梔乃は少し答えに窮するような顔をした。


「一概にこういう力、とは云えないけど……。敢えていうなら、存在しようとする力っていうか」

「存在する力? …………生命力みたいなことですか」

「いや、基本死んでるからその云い方はなんか違うけど。心配事や未練……残してきた家族とかへの思いが強かったりすると、どうにかして現世にとどまろうっていう力が湧くんだと思う。

あと、一番強いのは怨嗟えんさ。恨みを持つ相手が居て……例えば誰かに殺されたとかで、どうにかして自分を殺した相手を呪い殺してやろうっていう憎悪。感情の強さが、そのまま力に直結していることが多い」

「感情の強さ、ですか」

「後は、まあこれはあんまりいないけど。生前に強い霊力を持っていた人とかは、死んでも強い力を維持してそのまま現世に残っていることもある。古い時代の人なんかは、死んでから祀られて神になったりとかも、あるにはある」

「へぇ、いろいろあるんですねぇ」


 曖昧な返しをしてから、琉霞は「あ、ほらあそこですよ」と隣の梔乃に小さく耳打ちする。

 琉霞が目線を送る先には、長屋と括ってしまうには少々立派過ぎる町家が建っていた。


しっかりとした瓦屋根に、べんがらで赤く塗られた格子窓は、周囲の質素な家々とは異なって、洒脱した印象があり、家主のこだわりと生活の余裕が垣間見える。

所謂、うなぎの寝床とは一線を期していた。


 その家の前に、一人の男が立っている。


 初老といっても差し支えない年齢の、少し腰が曲がったむっつりとした男だ。

 全体的にやつれて力ない印象であったが、もともとの体格は良かったのか、肩幅などは骨太でがっしりとしている。落ちくぼんだ眼窩には、ぎょろりとした青黒い目玉がはまっていた。


 なるほど確かに霊だ。琉霞が云っていたことは間違ってはいなかった。


「あの人、死霊ですよね。僕、確認したので間違いないですよ」

「確認?」

「通りがかりの人に、『あのおじいさん見えますか?』って訊いたんですよ」

「そしたら?」

「凄い不審な目で見られました」

「だろうね」


 云ってから、梔乃はすっと老爺の傍に歩み寄った。すると、男のほうも梔乃の存在を認識したようで、視線が合う。


「そこのあなた」

「なんだ、小娘。儂が見えるのか」

「見える」


 恬淡と返すと、男は「おぉ………」と土気色の頬に喜色を浮かべた。

 すると、背後にいた琉霞が凄い勢いで飛びついてきた。


「喋った! このおじいさん喋りましたよ!」


 梔乃は、肩に手を置いて興奮気味に云う琉霞を鬱陶し気に払った。


「喋れるのもいるよ。それこそ、ある程度『力の強い霊』なら」

「なるほど。ではこのおじいさんはこの世に強い未練がある霊ということですね」


 琉霞が頷くと、老爺は「左様」と口を開いた。


「儂は、この家で死んだ霊だ。未だ、どうしても心残りがあって、あの世に行くことを拒んでおる」

「当てて見せましょう。残していった家族が心配なんですね。ええ、ええそうでしょうとも」

「違うわ。いいか、儂はな」

「何者かに殺されたんですね。それで呪いたい相手がいると」

「ええい、黙らんか小童こわっぱ! 人の話は最後まで聞け」

「琉霞、もう黙って。しばらく喋らないで」

「えぇ………」


 脱力した琉霞るかを気にせず、梔乃しのは「続けて」と男に話を促す。


「儂は、薔斎しょうさいという。芸術家だ」

「芸術家」


 梔乃が呟くと、薔斎は満足気に頷いた。


「いかにも。儂はくたばるその瞬間まで、作品作りに没頭しておった。最後の最後まで作品に捧げた生涯に悔いはない。だがな、ひとつだけ心残りがあってな。それが、儂の最後の作品のことなんだが」

「最後の作品?」

「そうじゃ。あれは、儂の今までの作品の中でも、最高傑作だ。死ぬそのときまで、儂はそれを傍に置いておった。だがな、儂が死んですぐに、家からあれを持ち出して行った者がおった。追おうにも、儂はどうやらこの家の傍から離れられぬようでな。代わりに儂の作品を取り戻してくれる者を探しておったのじゃ」


 梔乃は首を傾げる。


「家から持ち出した人の顔は見ているんでしょう」

「見たような気がするが……思い出せぬ」

「おじいちゃん、ボケましたか」


 余計な口を挟んだ琉霞を薔斎は睨みつけた。


「どうも幽体になってからは、あまり長く記憶が持たぬ。今では生前の記憶もぼやけつつある」


 呻いた男に、梔乃は頷いた。


「記憶は失われたり、長く持たなくなるのは良くあること。そもそもあなたたちは、現世に留まっていい存在ではないのだから、都合の悪いことのほうが起きやすいの」

「儂とて、いつまでもこの世に居たいわけでは無いわ。だがな、どうしてもあれだけは取り戻さぬと気が済まぬ………」

「取り戻したところで、あなたは死んでいるんだし、まさかあの世に持っていくわけにもいかないでしょう。親族にでも渡しますか?」


 琉霞が云うと、薔斎は不服そうに眉を寄せた。


「………親族はもう居らぬ。子はもともと居らぬし、妻は先に逝った。儂の親戚はもうみな死んでおるし、妻の姻族ともよすがはとうに切れておる」


「じゃあ、どうするんですか。墓前にでも供えときますか」


「儂が死んだ後は、このあたりの者たちが儂の遺体を処理したようだが、墓がどこにあるかは知らん。この家ももう次期に取り壊されよう。だからな……そうだな、あれを取り返してくれたら、お前たちにやろう。儂は、作品の無事が確認できたら、もうそれでよい」


「いらないんですけど」

「いらない」


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