三
「五月蠅い。いつにも増して」
この歳の少年にしては少々高い琉霞の声は、緑の森に悠々と響き渡る。
なにやら興奮している様子の琉霞は、突進して梔乃の前で足をとめるや否や、息を整えることも忘れて早口に捲し立てた。
「僕! 見ちゃったんですよ! 幽霊! 梔乃、僕にも霊が見えるようになりました!」
「はぁ?」
訳が分からないとばかりに首を傾げた梔乃だったが、琉霞の首元に見慣れないものを見つけて目を丸くした。
「それ、どうしたの」
「え? ああ、これですか」
琉霞は首から紐に付けて掛けていた石を持ち上げた。
「紀和から預かったんです」
「紀和?」
「姉上付きの女中です。彼女も知り合いから譲り受けたと云っていました。なんでも、いわくつきの品とかで、持っていても気味が悪いし、かといって捨てるのも恐ろしいからどうしたものかと、相談を受けまして」
「「琉霞が?」」
「っあ、いえ。姉上に相談しているところに僕が鉢合わせまして……」
小さくなった琉霞に、弥彦が「ああ」と頷く。
「それで梔乃に訊いてみようと持ってきたのか」
「そうなんですけど、でも今そんなことはどうでも良くて! あの、僕どうやら霊視に目覚めてしまったみたいなんですが」
「その石のせいでしょ」
「え?」
早口に言い連ねる琉霞の言葉を制し、弥彦はその首元で揺れている石を見下げる。
艶々とした漆黒に、細く白い筋が何本も入っている。まるで人の目のような不思議な模様をしていた。
「天眼石っていうんだよそれ。いわくつきだなんてとんでもない。古くから魔除けや厄除けに重宝されてきた石だ」
「そんなに貴重な石だったんですか、これ」
目玉みたいな面白い石だなぁ、くらいにしか思っていなかったので、琉霞は驚いて自身の首に掛かっている天眼石を溜めつ眇めつした。
「瑪瑙の一種だからそこまで稀少ってわけじゃないけど……しかしこれは見事だね。大粒で、瑕疵もなく、美しい。よく清められているし、加えてなにかの力も込められている。もとはどこか高尚な巫覡の下にあったんじゃないかな。あるいは御神体そのものだったりして」
なんだか話が大事になってきて、琉霞の顔が引きつる。
「適当に扱ったら罰があたりそうですね」
今更ながらとんでもないものを預かって来たような気がしてきた。
分かりやすく狼狽える琉霞を見て、弥彦が愉快そうに笑う。
「まぁ、とつぜん天眼に目覚める人間なんてそうそういないよ」
「天眼?」
聞きなれない言葉に、琉霞が首を傾げる。
「霊や妖、精霊とか、常人には見えないものが見える能力のことだよ。君の云う霊視だね。もっと広い意味だと、千里眼とか透視とかそんな力のことも差すみたいだけど」
「千里眼!? 透視!? そんなこと出来る人がいるんですか!」
驚嘆した琉霞に、弥彦は「さぁ?」とおどけてみせる。
「俺も見たこと無いから知らない。古い云い伝えとか伝説のなかの話だから。修行僧とか? 西方の國とか? まあ居たんじゃない? 胡散臭いけど」
投げやりに云った弥彦に、琉霞は「ああそう」と力なく相槌を打ってから、梔乃に向き直る。
「でも、霊視が出来るってことは、梔乃には天眼があるってことですよね」
「あるよぉ、なんてったってうちの梔乃さんは」
「あなたには訊いてません」
弥彦の横槍をぴしゃりと切り捨て、琉霞はずいっと梔乃に迫る。
「近い」
梔乃は嫌そうに顔を歪めたが、気にせず琉霞は尋ねた。
「こういう力っていうのは、どうやったら得られるものなんですか? なにかそういう儀式みたいのがあるのですか?」
梔乃はもう一度「近い」と云って、手で琉霞の顔を押し戻してから
「こういうのは、ある人と無い人がいるの。ある人には初めからずっとあるし、無い人には永遠に無い。琉霞は無い人間だから、この先も永遠に無い」
「そんなはっきり云います?」
落胆して肩を落とした琉霞に、弥彦がけらけらと笑った。
「夜食とかもそうだけど、一部の強い力を持つ精霊や死霊なんかは、只人の目にも映ってしまったりするけどね。ただこれは才能の一種みたいなものなんだ。俺たちみたいなのはこういう力を分かりやすく霊力なんて云ったりするけど、生まれつき膨大な霊力を持って生まれる子もいれば、修行とかをして力を強めるやつもいる」
「修行ですか」
「そう。巫女や神官が身を清めたり、祝詞を捧げたりするのもそうだし、行者や山伏が霊山を巡り歩いたりするのもそうだね」
「あぁ…修験者とかの。山に籠って、滝に打たれたり、食を断ったり? ……うわぁしんどい」
「そりゃしんどいさ。まぁ、そこまでやっても潜在能力が低い人はやっぱり限界があったりするしね」
「割に合いませんね」
胡乱な顔で云った琉霞に、弥彦は苦笑した。
「そうね。でも琉霞にもまだ希望はあると思うけど」
「あぁーー……もう騙されませんよ、弥彦。あなたはいっつも思わせぶりで適当なことを云って僕を揶揄いますから」
「いやいやほんとに。無い人には永遠に無いって梔乃は云ったけど、実際その人が『ある人』なのか『無い人』なのか見極めるのは、難しいからね」
「……………………………………えっと?」
言葉の真意を掴めない琉霞が、横目で梔乃に助けを求めた。
「つまり、『無い人』だと思っていた人が、実は『ある人だった』っていう場合があるってこと。何かのきっかけで、突然霊力が発現したり………まぁそうそうある例じゃないから、あんまり期待しないほうが」
「なるほど! つまり僕の才能はまだ秘されているということですね!」
「そうそう! 能ある鷹は爪を隠すって云うし! 天才は韜晦してこそ格好いいんだよ!」
「弥彦、あなたたまにはいいこと云いますね!」
「お褒めにあずかり光栄にございます、若!」
「…………」
揶揄う弥彦と遊ばれていることに気が付かない琉霞に倦んだ視線を向けながら、梔乃は一つため息をついた。
「で、その霊っていうのは?」
「はい?」
「もう忘れたの? 鳥頭。自分でさっき云ってたけど。霊を見たって」
「あぁー………ん? んん? ああ! そうでした!」
それを話しに来たんですよ、僕!




