一
―――そこな男。
唐突に後ろから声を掛けられ、男は振り向いた。
白い外套を羽織り、頭まで布をすっかり被った子供が、数歩後ろに立っている。
布のせいで子供の顔は伺えない。しかし声からして奇妙なものを感じた。
凛とした、女の声だ。銀鈴を思わせるような、高く涼やかな音であったが、小柄な子供にしては不釣り合いの、成熟した大人の女の声である。
「なんだ、お嬢ちゃん。迷子か」
思ったよりもしゃがれた声が出て、男は内心で苦笑した。もう長いことこんな感じであった。
「それは、そなたのほうであろう。迷子のような顔をしているぞ」
黄泉路でも踏み違えたか。
失笑するように云ってから子供は、男の背後にあるものを覗き見るような仕草をした。
男の背後には、質素な墓石が立っている。名も知らぬ青い花が数本、墓前に置かれていた。
「身内か」
「妻だ。……腹の子もな」
「そうか。気の毒にな。ここでは大水があったのだろう。人が多く死んだとか」
さして感情のこもっていない声で、子供は云った。
「なんだ、嬢ちゃん他所の里から来たのか。そうだ。つい三月前にな。すぐそこに川があっただろ? あれが氾濫して、村の大部分が吞まれた。………だが、妻が死んだのはそのせいじゃない」
「ほう?」
子供が興味深げに首を傾げると、男は死人のように精気を失った顔で云う。
「殺されたんだ。俺の家は、この通り丘の上にあるし、水はここまで登って来ない。あの日も妻は家で一人で家事をしていた。俺は仕事で街に出てたが、水が引いてからここに戻ったんだ。そうしたら、腹から血を流して倒れてる妻がいた。なにか、刃物で執拗に腹のあたりを切り刻まれて――まだ、ふくらみ始めたばかりの腹には、子供がいたのに」
様々な激情がないまぜになったような声で男が云う。
しかし、子供は男の内心にはさして興味がないとでもいうように、淡々と問うた。
「そうか。それで、犯人に心当たりはあるのか」
すると男は途端に、怯懦を顔に滲ませる。
「あれは、生きてる人間じゃない。……もっと禍々しい、なにか……禍のようななにかだ」
青白いを通り越して、もはや土気色をしている顔で男は云った。
「―――なにか、見たか」
子供が静かに問うと、男は何かを振り切るようにぶんぶんと顔を横に振った。
「妻の、遺体のあたりが、なにか……うまく、云えないが、とても気味の悪い、なにかを、感じた。とても悍ましくて………」
床に転がった妻の死体が、頭に蘇った。
執拗に腹のあたりを何度も斬られていて――あまりに凄惨な最期だった。
妻の死に関しては、不可解な点が多い上に、その死に様はあまりにむごい。故に、男は妻の生家――ひいては己の姻族であった彼女の父親に、『妻は大水で亡くなってしまった』と嘘をついたのだった。
呻き、墓前に蹲る男を残し、子供はその場を後にする。去り際、背後で男が小さく「あぁ、柚葉」と呟いた気がした。
男と別れ、丘を下りながら子供は思案気に眼下を見下ろした。
ここは、春宮家の治める東領だ。梅雨の時期は湿気が一層強く、北國生まれの身としては、些か慣れない気候である。
子供は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「照柿の里家か。久しぶりだな、麗夜に会うのは」
あと数日で目的地に着くだろう。




