一
「兄上」
座敷を出て襖の戸を閉めたところで、待ち構えていたかのように声を掛けられ、麗夜は振り向いた。
見ると、板敷きの長い廊下に弟の竣夜が憮然として立っている。
「なんだ」
何か用か。表情一つ変えずそう問うと、三つ下の弟は「用ってほどじゃないですけど……」
と何やら云い淀んでから、憚るように口を開いた。
「琉霞が書庫に籠ってるんですよ」
「なに?」
珍しいこともあるものだ、と麗夜は感心した。
末っ子で、兄弟の中で己と最も歳が離れている琉霞は、座学の類が大嫌いだ。
幼い時分はよく手習いの師匠たちから逃げ回り、その逃げ足の速さや身軽さには、麗夜も思わず舌を巻いたほどである。
しかし、麗夜の態度が気に入らなかったのか、竣夜は不満げに兄に言い募った。
「あいつ、近頃妙ですよ。なんかこそこそ出掛けたり、家にある菓子やらなんやらを持ち出したりして」
「琉霞がふらつき歩いているのはいつものことだろう」
「いや、そうですけど、そうじゃなくて。なんか様子がおかしいっていうか。そわそわしてるっていうか……とにかく尋常じゃないんですよ!」
炯々とした兄の視線に圧を感じたのか、竣夜はほとんど捨て鉢のように吐き捨てた。
「犬猫でも隠しているのかもな」
「茶化さないでくださいよ、兄上。俺は真面目に話してるんです」
「ほう?」
「だって、姉上の様子もおかしいんですよ。なんか妙に明るいっていうか、生き生きしてる風で。琉霞と共謀して、何か企んでますよ、あれは」
「共謀か。ははっ。それはいいな」
「兄上!」
真面目に! と叫ぶ弟に、麗夜は微笑を浮かべて腕を組む。
「あの琉霞と真白に腹芸など出来るものか。無論、お前にもな、竣夜」
飄々と云ってのける兄に、竣夜はまたしても不満げに眉を寄せた。
この長兄には、幼い頃から何一つ勝ったことがない。
文武両道を地で行く麗夜は、里長の継嗣として微塵の瑕疵も無く、父の期待を一心に受けている。
兄の前に立つときは、尊敬と同時に、自身の浅ましい劣等感と向き合わねばならないのが、竣夜には苦痛だった。
更に厄介なのは、この聡すぎる兄は、竣夜のそういった懊悩もすべて見透かしているということである。
「お前の気持ちも分からないわけではないがな」
云いながら、麗夜はひらりと羽織を翻して背を向ける。
「あまり琉霞に突っかかり過ぎるなよ」
そう云われてしまえば、竣夜はもう悔し気に歯噛みするしかないのである。




