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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
四 恋は猛毒
48/72

 十

「……遺体を見たの?」

「あぁ……。あの馬鹿野郎」


 怒りを込めて、吐き捨ててから、久太は梔乃を見据えた。


「いいか、ここで起きたのは無理心中じゃない。ただの心中だ。青葉さんは自ら毒を煽った」


「何故、分かる」


「あの人は、優秀な薬師だった。茶に含まれてた毒は、香りが強い毒草だ。その道に少しでも知識がある者なら、すぐに気が付く。あの人がこれに気が付かない訳がねぇ。しかもあの毒草は、致死性は低く、少しのあいだ昏睡状態になる程度だ。…………あの人は多分、全部分かって飲んだ。女に殺されたんじゃない。『殺されてやった』んだ」


 あるいは、自らもそれを望んで死を受け入れたのか。

 どの道、戯れに毒を煽るような人ではないことは、久太が良く知っていた。朗らかで、人柄が良く、どこか抜けたところがある人だったが、薬や毒の扱いに際しては、慎重すぎるほど慎重だった。どんな些細な症状であっても、決して気を抜いてはならないと、白露以上に久太に叩きこんだのは、他でもない青葉だった。


 娘を亡くして傷心でも、女郎に娘の真似事をさせる程おかしくなっていたとしても、毒草の扱いだけはたがえるはずがない。


「なんでだ、青葉さん……。そんなに、死ぬほど、思い詰めてたのか。何も、死ぬことないじゃないか。柚葉さんだって、後を追って欲しいなんて思ってなかったはずだ」

 久太の怒りは、娘を失った悲しみのままに、死を選んだ青葉に対するものだった。どれだけこの世に絶望しても、悲観しても、生きていればまた希望は見つかる。久太はそう信じている。

 否、信じていたかった。久太自身もまた、絶望して、そして今救われようともがいている最中だったからだ。青葉のしたことは、久太自身の生き方すら否定されているような気がして、たとえそう感じることが傲慢であっても、怒らずにはいられなかった。


 道を挫かれたような、気がしていた。

 爪が食い込むほどに手を握りしめて、久太は俯く。


「全く関係ない女まで巻き込んで、ほんと救いようがないよ、あんた……」

心中を望んだのが女だったとしても、足抜けすることを女自身が受け入れたとしても、結果的に他者を青葉の不幸に引き入れてしまったことに変わりはない。

 ほんとうに、どこまでも救いようのない話だった。

 口惜し気に歯噛みする久太の隣に、梔乃が並ぶ。

 久太は顔を上げて、梔乃の横顔を仰ぎ見た。この少女なら、なにか、この絶望的な状況にも、一筋の希望を掬いあげてくれるような気がした。

 慰めを求め、その顔を見つめて―――絶句した。


「――お前、なに笑ってるんだ」


 その表情には、うっすらと、笑みが浮かんでいるように見えた。

 慄然りつぜんとする久太の呟きには応えずに、梔乃はまた一歩、瓦礫の残骸へ近づいていく。


(なんてこと)


 梔乃は己の大きな勘違いに、今更になって気が付いた。

 あの時、柚葉――青葉の娘ではない、『女郎の柚葉』は、笑っていた。

 梔乃はその笑みを諦念と捉えた。慕っていた男に、女として愛されず、娘の代わりとしての役割を押し付けられ、身動きのとれなくなってしまった哀れな女の、哀しみの笑みだと思っていた。


(違う、あれは)


 ――女は、最後の最後でしたたかだった。

 毒を入れた茶を差し出して、柚葉は無言で青葉に問うたのだ。


『私といっしょに死ねるのか』と。

 男がどんな思いで、湯飲みを受け取ったのかは知れない。もし、無関係の女を巻き込んでしまった罪悪感によって毒を煽ったなら、男もまた正気だったのだ。壊れた、ふりをしていた。あるいは、確かに壊れていたのだろうが、心の片隅には、まだ正気の部分が残っていた。

 どの道、青葉が湯飲みを受け取った時点で、柚葉の念願は叶ったのである。


――あの笑みは、勝利の笑みだった。

 実の娘も、亡くなった妻も出し抜いて、柚葉は最後に愛する男の全てを手に入れたのだ。

 死して、柚葉の恋は永遠になったのである。

久太は、ひとり、感嘆とも云える溜息をついている梔乃を、信じられない顔で見つめていた。


「おまえ、なんで……」


 この時、両者にとって不運だったのは、互いの死生観の決定的な違いに気が付けなかったことだ。


 この前の殿茶の一件以来、久太は死というものを残酷で悲しいものと認識している。自身が医者であることもあり、死というものを、出来るだけ遠ざけるために日々邁進していた。だから、自ら死を選ぶものは許せなかったし、尊い命を自ら投げうつ行為は、望まぬ死の前に斃れた人々に対する、冒涜だと思っていた。


 対して、梔乃は死というものを、もっと単純に捉えている。

 梔乃とて、死にゆくものを憐れに思わないわけではない。不慮の事故や病、呪詛によって亡くなった人々は、可哀想に思うし、救える者なら救ってやりたいとも思っている。


 しかし、自ら死を選び、それを実行した者たちのことは、ただ『自分の望みを叶えたもの』としか見ていない。梔乃は死を絶望だとは思っていないからだ。絶望とは現世うつしよにこそ蔓延はびこるもので、死は一つの救いの形であるとも思っている。

 傷つき、疲れ、逃げるように死を選んだ者を、死んでなお罵る気はさらさらなかった。


 これは、俗世から少々離れ、常人とは異なる世界と接して生きて来た梔乃ならではの価値観といえる。他者にあまり執着を持たない梔乃は、他人に生を求める生き方をしてこなかった。


――そんなにつらいなら、逃げてもいいよ。死んでもいいよ。


そういう風に、思っていた。


だから、望んで死を選んだ柚葉が、ただ不幸のままに、絶望のままに死んだわけではないと知って、心が軽くなった思いがしたのだ。


しかし、どこか詰るような面持ちで己を見つめる久太を見たとき、梔乃はまたひとつ、自身が決定的な勘違いをしていたことを悟る。


 自らの命にけじめをつけた故人たちの畢生ひっせいを、全く関係の無い他人が幸だの不幸だのと勝手に推し量るのもまた、人の抱えた浅ましい傲慢に違いなかった。


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