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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
四 恋は猛毒
43/72

 五

「まぁ、私としては、特別すごく隠したいことでも無かったからね。ここに来てから日も浅いし、知り合いもいないしで、家に客を上げることなんて滅多になくて…。あんな風に着物も適当に仕舞ってたのが悪かったねぇ。……梅毒の瘢痕も、まだ初期症状なんだ。だから薄っすら赤くなってるくらいで、髪で隠してれば見えないだろうって。でも流石に油断したね。子供だからって侮ってるとこうだ」


「あなたが思ってるほど子供じゃないんだけど」


 腰を落とし、水を入れた桶で汚れた着物を洗いながら、とつとつと話す柚葉の言葉に、梔乃は不機嫌に返した。


 霧雨よりも弱い雨が降っている。

顔に微細な水滴が吹き付けてくるのが、少々煩わしかったが、青葉が一人寝ているあの家に入るのも嫌だったので、梔乃は柚葉について近くの沢まで来ていた。


「ここからはちょっと遠くの里の遊郭ゆうかくでね。こう見えて売れっだっだんだよ、あたし。

わらわの時に売られてきて………六つか七つかだったかな。禿かむろの頃から今までずっとあそこにいたんだ。それで、ある日、食事の席で会ったのが父さん――さっきの青葉さんね。驚いたよ。初対面でいきなり泣きながら追いすがってきて、柚葉、柚葉って云うもんだから」


 懐かしむように、どこか愛おしむように柚葉は云った。


「じゃあ、やっぱり、あなたはあの男の本当の娘ではないのね」


「そうさ。あの人の本当の娘の『柚葉』は、少し前に亡くなってる。嫁ぎ先で大水おおみずに巻き込まれたらしい。初めてあった時は、あたしはさっきあんたが見た――あの赤い打掛を着ててね。本物の柚葉さんも、この赤い着物を好んでよく着てたらしいよ。だから、思わず私を娘と見間違えたとかって」

「あなたの本当の名前は」

ゆず。驚くだろ? あたしの本名も柚葉なんだ。源氏名はゆずりはと名乗っていたがね。響きが似てたから、あの人もますます思い込んじまったんだろうけど。……妙なものだよねぇ、これも縁ってやつなんだろうね」


 しみじみと柚葉はそう云った。

 霞の中、女の背中は酷く頼りなく見える。


「青葉はあなたを実の娘だと思い込んでるの」


「そうさ。初めて会ったのは二月前くらいだったね。なんでも、知り合いに無理やり連れてこられたみたいだったけど。驚いたよ。初対面でいきなり泣きつかれたもんだからさ。柚葉、戻って来てくれ。頼むから戻って来てくれって。………よっぽど似ていたみたいだね、『柚葉』に。何度諭しても訊く耳もたなくて。あんまり悲壮な様子で訴えてくるもんだからさぁ。自分でもどうかしてると思ったけど……絆されちまって。それで、あの人に身請けされてここに来たんだ。傍からみたら大層奇特な話だろうね。くるわ落籍ひかしたおんなを、妻やめかけでなく娘として傍に置くなんて」


(身請け――)


 梔乃は訝しむように目を細めた。


 遊郭の事情には詳しくないが、確か女郎の身請けというのは大金がかかるものでは無かっただろうか。一介の薬師にそんな金があるのか。


 家の中の様子からしても、とても生活に余裕があるとは思えなかった。

 梔乃の疑念を察したのか、女が微苦笑を浮かべながら振り返った。


「あの人は、有り金みんなはたいて、借金までしてあたしを買ったんだ。だからそのせいで生活は苦しいけどね。唯一持ってきたあの打掛は、餞別にって、あたしが昔世話になっていたねえさんがくれたものなんだ」

 あの打掛を売ればいいのに、と梔乃は云おうとして、しかし寸でのところで口を噤んだ。

 こんな貧相な身なりの女が、いきなりあんな豪奢な打掛を売り払ったら妙な噂が経つに違いない。


人は皆、往々にして噂好きだ。

そして、下種げすな噂ほどく走る。


なんともいえない気分になって、梔乃は小さく息をついた。

漏れた呼気は、少しだけ白い。数刻前よりもずっと寒くなっていた。

妙に苛ついている自分に、気が付いている。

――この女は、莫迦ばかだ。


青葉あれは、壊れてる」


 梔乃の言葉に、女は答えない。ただ、少しだけ困ったように笑った。


「死んだ娘と、あなたを重ねて、おかしくなってる。とっくに狂ってる。……あなたもそれを分かってる」

「…………」


 あの男は、手遅れかもしれない。だが、目の前の女は、まだ引き返せるはずだ。

 引き返せる、はず、なのに。


「馬鹿ね。あの男が欲しいのは、娘。でも、あなたは――」

「いいんだ」


 機先きさきを制するように、柚葉は口を開いた。深い、諦念のこもった声に聞こえた。


「いいんだ。傍に居られれば、それで。支えになれば、それでじゅうぶんなんだ。」

 ほんとうの娘である『柚葉』の小袖を纏い、『柚葉』になりきれない女はそう云って、微笑む。


梔乃には、女の思考がまったくもって理解できなかった。

だが、女の微笑みには、諦念と共に確かな決意が滲んでいて、それ以上なにを云う事も出来ずに、ただ凝然と立ち尽くす。


 雨音と共に、耳鳴りが迫ってくる。



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