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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
四 恋は猛毒
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 三

云われるままに手を貸し、たどり着いたのは、隣接する家々となんの変わりもない、一般的なこけらきの長屋だ。


 恐らく、元は棟割長屋むねわりながや(前後に敷居の壁をつくって部屋を分けている長屋)だったのを、薄壁を取っ払い部屋を一つにしたのだろう。

部屋の中央には壁のあった痕跡が見られ、両端に土間があり、かつて台所が二つあったことを暗に示している。察するに、以前はこの狭い家にもう一世帯の家族が住んでいたのだ。


 天井近くまである戸棚には、一段ごとに色形の違う行李こうりが置かれていた。


 女は慣れた手つきで男を連れて家に乗り上げ、端に敷いてあった夜具の上に転がした。

 わずかに「うぅ」と呻き声を上げた男は、のぼせたような赤い顔を天に向けて、すぐに寝息を立て始める。


「悪かったね、こんなことに付き合わせて。ちょいと待ってな、確かこの奥にお菓子があっただろうから――」


 そう云って土間の端に寄せてあった小棚をがさごそと漁り始める女。

 一体どれ程小さい子供に見られているのか、と一瞬眉をひそめた梔乃だったが、口には出さずに静かに視線を男の方へずらした。

 酔っていることに間違いはないだろうが、それほど強い酒の匂いはしない。

薄くなり始めた頭に、脂汗がぽつぽつと滲みだしていて、麻の甚平からはだらしのない贅肉が見えている。


「父さんね。酒弱いくせに好きなもんだから、ああして昼間っから飲みに出掛けるのはいいんだけど、すぐに伸びちまうのさ。だからこうして連れ戻すのがあたしの役目」


 気が付くと傍に来ていた女が、呆れたようにそう云った。しかし、その表情の奥には隠し切れない愛情が見て取れる。余程仲の良い親子なのだろう。

 一瞬そう思った梔乃だが、次の瞬間には疑問が頭をよぎった。

 見たところ、女はとっくに適齢期を迎えている。否、過ぎているといっても過言ではない。

 これほどの器量であれば、縁談には困らないだろうに、この女は結婚せずに父親と二人で暮らしているというのか。


「あんた、名前は? どこの子だい?」

 そう誰何すいかする女に、梔乃は淡々と応えた。


「名前は、梔乃。家はここから少し北のほう」

「北、北ねぇ……というと、目抜き通りからはちょっと離れたところかい」

女のその声には応えず、梔乃は「あなたは」と問いかける。

「あたしはゆず――ゆずっていうのさ。で、あっちで伸びてるのが父さん。ここで二人暮らしてる」

「そう」


 云いさした梔乃の視線は、女から部屋の奥壁に移る。

 麻紐に吊るされ、壁に沿うように吊り下げられているのは、どうやら着物のようだった。

 いじらしい鴇色ときいろがら小紋こもんに、西のほうでよく見られる芙蓉ふようの小袖。若い娘の好みそうな緋色の長襦袢ながじゅばんに、男物の羽織や角帯かくおびなどもある。

 見たところそのほとんどが安価な木綿で織られていて、しかも使い古してボロボロになったものばかりだ。


 梔乃の視線を追って女が云う。


「今から洗い張りするところなんだよ」


 洗い張りとは、古くなった着物や仕立て直しが必要な衣類を、縫い目をほどいて洗うことだ。


「行商から買い取ったのね」


 梔乃が云うと、女――柚葉は面白げに口角を上げた。


「そうさ。市で買い取ったもんを仕立て直して、また売るんだ。うまく刺繍すれば買い取ったときより高値で売れることもある。あたしはそういうのが得意でね。(わらわ)の頃から厳しく親に躾けられたもんさ」

「それは、母親から?」


 梔乃の問いに、柚葉は一瞬だけ虚を突かれたような顔をした。

しかし、すぐに調子を取り戻して


「そうそう。もう死んじゃったんだけどね」


 と何の気なしに笑った。

 その奇妙な反応に気づかない梔乃ではない。

 どう考えてもあの懈怠けたい寡夫かふが、娘を厳しく教育するようには見えなかった。だとしたら、母親しか居ないと思うのだが、柚葉の反応は思っていたのと違う。


(妙な親子―――)


 亡くなったという母親となにか確執でもあったのかもしれない。もしかしたら、それが、この女が独り身でいる理由なのか――と梔乃は頭の片隅でぼんやりと考えていた。

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