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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
三 ともだち
37/72

 十

「さっき揺れたの気が付いた?」


 梔乃のその一言に、一同は「え?」と完全に虚を突かれた顔をした。

 どうもこの少女は言葉足らずのきらいがあるらしい。「揺れた?」というのは花瓶のことだろうか。それとも――


「え、もしかして地震ですか?」


 琉霞が目を丸くして問うと、梔乃はこれに頷く。


「私、さっきずっとこの家の近くにいたの。すぐ傍の木陰に座ってて――『ああ揺れたな』って思った瞬間に家の方から花瓶の割れる音が聞こえた」

 すると琉霞が「へぇ」と感嘆したように


「良く気が付きましたね……僕全く分かりませんでした」

「鈍いんじゃない」


 そっけなく云った梔乃の横で、久太が頭を掻きながら


「あー、云われてみれば……確かに揺れたような気がするな」

「嘘でしょう! 今とってつけたように!」

「大きな声出すなよ。病人に響く」

「ふんぬぅ………!」


 ぐぬぬ、と悔し気に顔を歪ませた琉霞を無視して、久太は加代の方を見た。


「そういうわけだ。全くの偶然ってやつだよ。気にすんな」


 軽い調子でそう云った久太を見上げる加代は、やはりまだ納得いかないのか、不安そうに瞳を揺らしている。


「―――幽霊の、正体見たり、尾花おばな


 ぽつりと、そんな声が梔乃の口から零れるように落ちた。


「なんです? それ」


 目を瞬かせた琉霞に答えたのは久太だ。


「幽霊だと思っていたものは、よく見たらススキだった―――っていう疑心暗鬼の心を揶揄した(ことわざ)だな。怖い怖いと思っていたら、なんでも怖いものに見えてくるっていう」


 同意を求めるようにこちらを見た久太に、ほんの小さく梔乃は首肯する。


「もとから神経質だったあなたは、夫が亡くなってから更に気を張っていたんでしょう。そのせいで、なんでもないことも全部が奇妙で不可解なものに思えてしまっていた。ただ、それだけのこと。今まであなたが見て来た奇妙な現象にはちゃんと理由があって―――そのどれもがありふれたことか、あるいはただの偶然の産物に過ぎない」


「じゃあ、私の勘違いってことですか……」

「勘違いっていうか……まあ、そうなる、かな。ただ、精神的に追い込まれた人が陥りやすいの。こういうことは別に珍しくなくて、むしろよくある事例で――」


 云ってから、梔乃は一度家の中を見渡して


「――つまり私が云いたいのは、この家には悪いものは憑いていないってこと。だから、そんなに怯えなくていいし、これ以上気を張ることもない」

「梔乃が云うから間違いないですよ。僕の姉上も、梔乃に悪いものを祓って助けてもらったんです」


 どこか得意げに云うのは琉霞だ。


「そう、なんですね……。そう、全部葵の演技で……」

「ごめんなさい」


 加代の呟きに、びくりと肩を揺らした葵が怯えたように云う。しかし加代は首を振って、小さな頭を抱き寄せた。


「私のほうこそ、ごめんなさい葵。あなたのためだと思っていたのが、逆に寂しい思いをさせてたのね。ごめんね。そんなに追い詰めちゃって」


 葵は加代の胸に顔を埋めて、再び泣き出した。すると、久太がその横に膝を付く。


「葵。もう泣くのはそのへんにしとけ。父さんが居ない分、お前が母さんを支えないといけないからな。――よし、強い子だ。まずは母さんの看病、出来るな?」


 久太の言葉に、葵は力強く何度も頷いた。それに「よし、いい子だ」と満足げに返して、小さな頭をガシガシ撫でてから、久太は立ち上がった。


「じゃあ一件落着だな。よし、さっさと撤収するぞ子供がきども。いつまでも俺たちがいたら休む分にも休めないだろ」


 琉霞の背を押して、さっさと出て行こうとする久太。


 すると、加代が慌てたように「あの……!」と呼び止めた。


「ありがとうございました。……お館様に話して、暫くおいとまを貰おうと思います。それで、葵の傍に居ようと思います。死んだ父親の分まで」

 加代はくしゃくしゃの我が子を慈しむように撫でだ。

 泣き腫らしたその顔は、一度だけ見たことのある夫の泣き顔によく似ている。


(……そうだ、あれは葵が生まれたとき)


 その一度だけ、あの表情に乏しい夫が顔をくしゃくしゃにして、子供のように情けない声を上げて泣いたのだ。


 割れた花瓶は、随分前に市であがなって来たものだが、夫が亡くなってからは花の世話をする暇もなく、ずっと何も生けないまにしてあった。

 加代は何もなくなった棚の上を見上げて目を細める。


 ――夏の頃にはもう一度、あの花を飾ろう。

 天穹てんきゅうに向かって真っすぐに伸びる、愛息と同じ花の名を。

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