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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
三 ともだち
34/72

 七

こった「あの、よろしければお茶の御替わりは如何です?」


 そう云って加代は席を立つ。その隙に、琉霞と久太はそっと顔を近づけた。


「随分疲れているように見えますね、加代さん。あの調子でずっと気を張ってるのだとしたら、体にも良くないでしょう」


「ああ。旦那が居ない分、一人で稼いでかなきゃいけないからな……。それで、大事な一人息子があの調子じゃあ気を抜く暇もないんだろう」


 久太がそう云った時だった。急に唸り声のようなものが聞こえて、二人は驚いて振り返る。

 何か――喉奥から絞り出したような低い声が部屋に響き渡る。


「ゔーーゔぅーうぅぅーう」


 声の主は、先ほどから部屋の隅で大人しく座っていた葵だった。

 小さな体躯で四つん這いになって、その顔は明らかに引き攣っている。目尻を吊り上げ、周囲を威嚇するようにしきりに声を上げていた。


「葵くん?」


 立ち上がった琉霞が一歩前に出てその顔を覗き込んだ。


「葵! どうしたの葵!?」


 お茶を入れていた手を放し、取り乱した様子で駆け寄ろうとした加代を久太が制した。

「待て。加代さん。少し様子を見よう」


 努めて平静な声で云ってから、久太は問いかける。


「あれか? 妙な様子っていうのは? まるで獣憑きだな……」

「いえ、こんな風に唸ったりしたのは初めてで……泣き出したり、暴れたりすることはあったんですけど」


 青ざめた加代は久太の後ろで祈るように両手を握りしめている。

 琉霞は一歩ずつ葵に近づいていった。


「おい、莫迦。あんま近づくな。何があるか分かんねえぞ」


 背中に久太の声が刺さったが、琉霞は無視して葵に近づいていく。

 多分、危険はないだろう。そんな確信が琉霞にはあった。

 ――この状況を作りだしたのは恐らく梔乃だ。

 聡い娘だ。意味のないことはしない。彼女が席を外したのは、何か意味があってのことに違いない。


「………あなたは、誰です」


 琉霞はかがむようにして、視線を葵に近づけた。


「ゔーーーゔゥーーー」


 葵の唸り声は徐々に強くなっていく。

 もう一歩、琉霞は距離を詰めた。ほんのわずか、手を伸ばせば触れてしまえるほどの距離。


「葵くんから出て行きなさい!」


 鋭くとんだ琉霞の声。

 その瞬間、周囲の緊張が弾けた。

 葵がぱっと顔を上げる。同時に腕を振り上げた。驚いて飛びのいた琉霞だが、葵の手は琉霞の頭よりも上、棚の上の一輪挿しを真っすぐに指していた。


「―――落ちろ!」


 甲高い叫びが狭い室内に響いた。

 すると、白亜はくあの一輪挿しがひとりでにぐらぐらと揺れ―――床に落ちた。

 パリンッ、と陶器の割れた音がして、花瓶はいとも簡単に砕け散る。

 床に散乱した陶器の破片を茫然と見ていた琉霞だったが、「加代さん」という久太の焦った声に我にかえった。

 見ると、青白い顔で気を失った加代を、久太が支えているところだった。




――ごめん、またはずれだ。


 今、この場に居ない少年に向かってそう呼びかけてから、梔乃は木陰に腰かけた。

 加代の家はすぐ目のつく場所にあり、大きな声ならしっかりと聞き取れるほどの距離である。


 小高い丘の上にぽつんと建っているこの家は中々の勝地で、眼下を覗けば瑞々しい初夏の田園と、農村を家々を一望することが出来る。やや遠目にはなるが、北東の方角には梔乃が住処としている鎮守の森も見えた。流石に社や家までを視認することは出来ないが。


 肌を摩る風はいくらか水気を帯びていて、いつの間にか冷たい。今日中にもう一雨降れば、人々は喜ぶだろう。

 思えば、こうしてぼうっと景色を眺めることも随分久しく感じる。ほんの一月前くらいまでは、社の掃除の合間に木陰に座って物思いに耽ることもよくあったというのに。


 変わった理由は明確。あの日、社の前に現われた霞の少年が端緒だった。

 琉霞と出会って以来、特にこの頃は梔乃のもとへやって来る人間がひっきりなしであった。これまで意識的に人との関わりを避けていた梔乃にとっては、慣れない感覚であり、すくなからず違和感を覚える。しかし、それは決して不快という訳ではなく、どちらかといえば戸惑いが大きい。


 他人の家に容赦なくずかずかと踏み込んでくるあたり、真白も含めてなかなか剛毅な連中だ。だが、彼らを受け入れたのは他でもない梔乃自身であり、そのことが伝わっているからこその行動なのだろう。


 冷たい風が一掃強く吹き始めた。

 顔を上げると、分厚い雲が徐々に北から向かってきている。

 緩く瞬きしてから、視線を足元に落とした。

 ―――繋がりが出来てしまった。

 今、琉霞と梔乃たちの間には、少なからず親愛の情がある。最初こそ梔乃が助け、恩を売るような形で始めった関係だったが、彼らは縁を切るまいと手を伸ばし続けている。


 一度出来た縁は切れない限り、時が経つにつれて太く強いものになっていく。それを想うと鈍く、胸の内が疼いた。

 人と関わることを避けて来た理由がある。

 そうしなければならない理由が、梔乃にはあった。


 誰に強制されたわけではない、己が己に課した責。二度と過ちをを繰り返さないように、いつも自身に云い聞かせて来た。

 それなのに、あの騒がしさを心地よく思う自分がいる。得難いものと感じ始めているのが、恐ろしかった。


 それなのに、あの騒がしさを心地よく思う自分がいる。得難いものと感じ始めているのが、恐ろしかった。

 孤独を遠いものに感じる日々に慣れてしまったら、もう自分から繋がりを断ち切ることは出来ないかもしれない。


(もし、そうなったら―――)


 どうか、あなたの方から切り捨てて欲しい。

 いやに頭が重くなったように感じて、梔乃は手を頭に当てる。すると、髪飾りが指先に触れた。


『やっぱり、一番好きなのは梔乃?』


 無邪気にそう問うた、いつかの琉霞と顔が思い出される。なんでもないように返事をしたが、本当はあの時、一瞬どきりとしたのだ。硝子玉のように透き通った双眸で、真っすぐに梔乃を射抜いたあの薄紫の瞳。他意のない、興味本位の問いかけなのに、その無垢さに背筋が冷えた。

―――責められているように思えて、ならなかった。

 パリンっという甲高い音が聞こえて、少女は顔を上げた。加代の家がなにやら騒がしい。


――どうやら、ことが起ようだった。 

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