四
「少し待っていてください」と云われ、梔乃は云われた通り朝霧亭の前で待っていた。薫子は父の様子を見てくると云って、中に引っ込んでしまった。
程なくして琉霞の声が聞こえ、梔乃はぼうっとしていた頭を上げた。
「馬?」
琉霞に手綱を引かれて歩いてきたのは、一頭の立派な馬だった。
「可愛いでしょう? 子供の頃から世話してますから、家族みたいなものなんです」
そう云って琉霞は得意げに馬の首筋を撫でる。撫でられた馬は満足そうに目を細めた。
臀部がっしりとしていて、足の筋も隆々《りゅうりゅう》と盛り上がっている。西日に反射して、黒毛が艶々と美しく輝いていた。
梔乃は馬にさほど詳しいわけではないが、琉霞がこの馬を大事にしていることは分かった。
「綺麗な馬だね」
梔乃が云うと、琉霞は破顔した。
「でしょう! 千里云うんです。今年で五歳ですが、もう立派な大人ですよ」
千里とは、また大層な名を付けたものだ。千里を駆けるという願いをかけているのだろう。いかにも琉霞らしいな、と梔乃は微苦笑した。
「さあ、手を貸しますから、乗ってください梔乃。千里にかかれば、楝までひとっ飛びですよ」
結論から云って、千里に乗るのはとても面白かった。
梔乃は馬に乗ったことがない。加えて、手綱を握るのはあの琉霞であるので、不安はかなりあった。
が、存外、琉霞の手綱捌きはうまかった。初めて馬に乗るという梔乃に配慮して、最初のころは速足で歩いてくれたが、梔乃が慣れて来たことが分かると、段々と速度を上げていった。
これが自分でも意外だったのだが、梔乃は馬に乗るのが好きらしい。最後の方には、琉霞に強請って千里を全速力で走らせていた。
馬の背に乗って野を駆けることが、これほど気持ちがいいものと、梔乃は知らなかった。
大地を力強く叩く蹄の音が耳に心地いい。上下に揺れる己の体に、千里の興奮が直截に伝わって来た。
西日が閃光のように強く照り付け、野花を朱く染め上げる。遠くに見える
山々の稜線を撫でるように眺めながら、梔乃は己が風になったように錯覚したのだった。
「…………また、千里に乗せてくれる?」
四半刻ほどであっという間に楝に着き、千里から降りた梔乃は、琉霞の背に向けて小さくそう云った。
「お望みなら、いつでも遠乗りに連れて行ってあげますよ、お姫様」
琉霞はそう云って、やっぱり嬉しそうに笑ったのだった。




