三
森を出た一向は、そこから程ない距離の集落にある田園風景の中を歩いていた。
加代に案内されながら、久太、琉霞、梔乃の順に後ろをついて進む。
田畑に揺れる若い苗が濡れているのは、昨夜の驟雨のせいだろう。家が揺れるほど風が強く吹いたので、姉が少し怯えていたのを琉霞は思い出した。
「加代さんは、真緒に住んでいらっしゃるのですね」
「はい。久太さんの噂を訊いて、先日お暇を貰い、楝へ訪ったんです」
「加代さんが奉公されているお屋敷って、どこですか?」
「西の方の……」
「まさか、孔雀の館、ですか」
云ってから、琉霞は苦い顔をした。
孔雀の館、というのはその名の通りこの村の西にある、孔雀を飼っている屋敷である。琉霞の家に負けず劣らず大きな敷地を有した庭園に、何羽かの孔雀が放し飼いされているのだ。しっかりと数を数えたわけではないが、少なくとも三羽はいたと記憶している。
目が覚めるよう鮮やかな碧の肢体は、その姿を初めて見た者に鮮烈な印象を残す。琉霞も最初に見た時は大層感動したものだ。
しかし、羽を広げた姿は些か華美過ぎるように思う。従って琉霞は羽を閉じた姿のみを雅なものと好んでいる。
「ええ、そうです。お館さまにも、お方さまにも良くしていただいております」
いくらか顔を歪めた琉霞を不思議そうに見ながら、加代が云った。それに対し、「へえ」と生返事を返した琉霞の思考はとっくに別の方向へ耽溺している。
孔雀の館の主と琉霞の家は少々複雑な関係にあった。
琉霞の一族がこの村の里長を務めるずっと前から、この辺りと大地主であったあの家は、未だに村の西方で大きな権力を保っているのだ。無論、領主から正式に下知を受けている琉霞たちに表立って逆らうような真似はしてこないが、それでも西方ではあの館が抱えている民も多く、里長の権が及びにくいのである。
この國では、國主である帝を支えるように、四つの大貴族が東西南北に分かれたそれぞれの領地を治めている。
北の霜紋、東の春宮、南の青嵐、そして、西の皇。
各地を治めている里長の一族は、これらの領主の下知により、その里を管理していた。
とうぜん、琉霞の家である照柿の里家も東領主、春宮家の現当主である春宮左京より直々の任を受けているのだ。
琉霞の一族はこの地に根付いて長いので、今は里長としてそれなりと地位と信頼を得ているが、中には与えられた土地を持て余し、うまく治めることが出来なかった一族もいた。そういった里長としての役目を果たせなかった者たちは、土地を剥奪されたり、そのまま賤民まで零落していったのだという。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか畦道を通り抜け、少々角度のある上り坂に突入しようとしていた。
奥まった道だというのに、綺麗に整備されているのが意外だった。両脇に均等な感覚を空けて、木々が屹立している。
「これ、銀杏か」
久太の呟きに、加代が微笑んで応えた。
「はい。この坂は黄依坂といって、秋になると、一斉に銀杏が色づきます。足元にも道が見えなくなるくらいの黄色が散って……それはそれは美しいですよ」
「へえ、それは是非見てみてえな」
「この銀杏は、誰が手入れされているのですか」
「お館様です。ここに銀杏を植えたのも、その管理をしているのも。もちろん、私たちもお手伝いしていますが。でも、お館様は銀杏に並々ならぬこだわりがあるようで」
「はあん」
こんな奥まった、それこそ誰かが云わないと気が付かないような道に、これほどの手を入れるとなると、余程込み入った事情があるのか、はたまた金持ちの酔狂か。
琉霞たちがそんな会話をしている中も、梔乃は一人沈黙を保ったまま歩き続けている。
元来、無口な性質なのだろうが、それは喋るのを拒んでいるというよりも、何かを黙考しているように見えた。こうして何人かで集まっているときは口数の少なさが目立つが、琉霞と一対一の時などは結構話してくれたりもするのだ。
(そういえば)
ふと、琉霞の頭に小さな疑問がよぎった。
梔乃は、自ら積極的に他者と関わろうとしない。普段は鎮守の森でひっそりと暮らし、どちらかといえば余所者を拒むような生き方をしているように見える。琉霞は暇さえあれば梔乃のもとを訪ねるし、真白や久太だってそうだ。そういった旧知の仲を邪険にするような態度は無くとも――最初の頃、琉霞に対して当たりがきつかったような気もするが――自ら琉霞達の下を訪ねて来たことなど、一度だってないのだ。
これまで琉霞は何度か梔乃に、町に甘味を食べに行かないか、屋敷へ遊びに来ないか、と誘っていたのだが、色よい返事を貰えた試しがない。単に予定が合わないだけか、それとも人里へ行くのは不得手なのか――真相は判らないが、そんな梔乃が唯一積極性を見せることと云えば、このような怪事件に関わる出来事であった。夜食のときは、琉霞が真白の病状を少し話すと、二つ返事で願いを引き受けた。 久太のときは熾から話を聞くや否や、自ら白露の記憶を呼び起こすことを提案した。今回だってそうだ。加代の子供が物の怪憑きかもしれない、という話にすんなりと乗っかって森を出て来た。
例外として、芳三が病に罹ったときは、琉霞が調子に乗って『芳三さんが病に罹ったんですが、ひょっとしたら呪われてるかも……』みたいなことを口にして強引に森から連れ出しのだが、そうでもしなければ、出てきてくれたか怪しかったと思う。
要するに、梔乃は怪異と聞くと目の色が変わるのである。
何故、彼女がそのような性質なのか琉霞には判らないが、唯一克明なのは、梔乃の見ている世界と己の見ている世界が違うということだ。
琉霞に見えないものが、梔乃には見えている。それは死霊であったり精霊であったり、妖怪であったり、あるいは神かもしれない。只人が触れることの出来ない『向こう側』に手が届く梔乃だからこそ、そういった物に強く惹かれるのかもしれない。




