二
「あ」
「っげえ」
思い描いた顔に会いたくなって、鎮守の森の家を訪ねた琉霞は、勝手知ったる顔で茶をすすっている久太を見ると露骨に顔を歪ませた。
「なんでまたいるんですか」
「そりゃこっちの科白だ」
同じくらい倦んだ顔をした久太が吐き捨てるように云う。
いまにも丁々発止を始めそうな少年二人を見て、肩をすくめたのは梔乃だ。
「お前と違って、俺は今日はちゃんと用があって来たんだよ」
「用――?」
胡乱気な琉霞の視線が、不意に、久太の横で居心地悪そうに縮こまっている人影を捉えた。
三十代くらいだろうか。こげ茶の髪を顎下あたりで切りそろえて、山吹色の着物に身を包んだその女性は、琉霞の視線を感じると、僅かに目礼した。
「ええと、その方は?」
幾分か毒気が抜けたような声で琉霞が訪ねた。
「この前、患者としてうちに来た加代さんだ。まあ、実際用があるのは俺じゃなくてこの人だな」
「?」
首を傾げる琉霞に、久太は淡々とこれまでの経緯を説明した。
五日ほど前のことだ。風邪を拗らせた加代が、久太の下に尋ねて来たのは。その時に、久太の作った薬を有難そうに抱えて帰った加代は、昨日再び、久太の下にやって来た。もしや体調が悪化したのかと危惧した久太だったが、そうではないと加代は首を振った。彼女の風邪はすっかり快癒したらしく、今日ここに来たのは、己ではなく、息子のことで相談があったからだと云った。
どういう訳か久太が尋ねてみると、彼女曰く、『息子の様子がおかしい』だそうだ。
「おかしいって、具体的にどうおかしいんですか?」
琉霞が云うと、久太の横に座っていた加代がおずおずと口を開いた。
「私、昼間はずっと大きなお屋敷の下女をしているので、家を空けているんです。帰ってくるのが夜遅くなることも多くて……。ここ半年くらいなんですけど、家に帰るとまだ六つの息子がずっと一人で何か喋っていて。ぶつぶつぶつぶつ、何を云っているのかは聞き取れないんですけど……すごく不気味な様子で。初めは独り言だろうと思っていたんですが……どうも……誰かと会話をしているように思えて。勿論、誰も居ないんですけど。何を話しているのか、聞いても教えてくれないんです」
「はあ」
「これだけなら、大して気にしなかったんです。でも少しすると、もっと変なことをするようになったんです」
「もっと変なこと?」
琉霞が訊くと、加代は顔をしかめたまま頷く。
「はい。突然泣き出したり、じたばた床を叩いて暴れたり、大声でよくわからない言葉を叫んだり…。家の物……花瓶だったりお皿だったりを壊しだすんです。前はそんなこと一切しなかったのに……。本当にいい子だったんです。大人しくて、私のいうことをよく聞いてくれて、手がかからないことが逆に心配になるくらいで」
額に手をあてて、今にも泣き出しそうに俯く加代の様子は、本当に疲れ切っているように見えた。久太がそれを見て気遣わし気に背を軽く摩る。
「子供の癇癪……とも違うんですよね、その様子じゃ」
元来、子供というのは未知数な生き物で、突然理由もなく泣き出したり、暴れたしたりすることは、別に珍しくもない。しかし、産まれる前から時を共にした母親が滅入るほどの異常な変化がその子に起きているというのならば、それは確かに変事と捉えざるを得ないのかもしれない。
「それで心配になって久太のところに相談を?」
琉霞が云うと、久太が頷いた。
「まあ、今聞いたような行動は心の病っていう可能性もあったからな。それを思って俺のところに来たんだろうが………まあ、話を聞くに俺よりも梔乃のほうが適任のような気がしてな」
それを聞いて、琉霞はようやく「ははぁ、なるほど」と納得の顔をした。
「物の怪憑き、ですか」
悪霊、怨霊、あるいは獣。還るべく場所に還らずに彷徨い続けている者たちの魂は、時に生者にも干渉してくるようになる。
加代の子供が、以前はしないような奇妙な行動をとるようになったのなら、それは死霊にとり憑かれているかもしれない。
「実際、見てみないとわからないけどね」
恬淡と云った梔乃に、琉霞は身を乗り出して尋ねた。
「今から行くんですか」
「ああ。俺も行くぜ」
久太が云うと、「では僕も行きます」と琉霞が立ち上がる。
各々準備をして、いざ家の外に出ようという時、今更ながらにあの少年が居ないことに琉霞は気が付く。戸を閉める直前、伽藍になった家を見渡してから「梔乃、弥彦は?」と後ろにいる少女に呼び掛けた。
「―――ああ、水浴びでもしてるんじゃない」
何時になく素っ気ない口調で、梔乃はそう云った。




