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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
二 ろくでもない名医
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 十五

 数秒、誰もが凍り付いたように動けなかった。


「今のは」


 辺りを見回して、梔乃しのに答えを求めたおきが云う。茫然とした様子で、ふらりと立ち上がった梔乃は、白露の消えた方を見やって小さく呟いた。


「……あり得ない」

 梔乃が呼び起こしたのは、ただの記憶だ。死者がこの場に残した残留思念。魂そのものはそこには無い。ましてや、生者と言葉を交えるなんてことが、あるはずーー


「奇跡が起きたんですよ!」


 弾けるような声を上げた琉霞は、嬉しそうに梔乃に駆け寄ってくる。


「奇跡?」

「そう。奇跡です。久太の思いが、白露さんに届いたんです!」

「何、云ってるの。そんな分け判らないこと」

「だって、そう考える他ないじゃないですか! 梔乃にすら予測できなかったことが

起きたんでしょう? 本来なら起こり得なかったことが起こった……そういうのを人は奇跡と呼ぶんですよ」


 未だ胡乱な顔をする梔乃の後ろで「そうですよ!」と高らかな声を上げたのは、熾だった。


「最後の瞬間、確かに白露さまは久太さんのことを見ていました。それで『立派になったなぁ』って云ったんです。あれは確かに、今の久太さんを見て云った言葉です! 紛れもなく、白露さまの意思です!」


 鼻息荒く捲し立てる少年二人に、梔乃は若干気圧されながらも、頭の端で冷静に思考を巡らせる。

 一体、何が起こったのだろうか。もしや、知らず知らずのうちに梔乃は白露の魂を呼び起こしてしまったのだろうか。だとしたら―――


「梔乃」


 不意にパンっと目の前で音が弾けた。突然のことに梔乃が驚いて顔を上げると、琉霞が至近距離で両手の平を開いて梔乃のほうをじっと見つめている。


「奇跡に理由なんてありません。あれこれ考えたところで、明確な答えなんて出るはずもないのです」

 大真面目な顔でそう云った琉霞は、それからふっと表情を緩めて視線を横に流した。


「それに、これ以上の追及は野暮というものですよ」


 得意げに笑った琉霞の視線の先には――涙を流して天を見上げる久太の姿が。

 その顔に、出会った頃の鬱屈とした翳りはもう無かった。


 何かが吹っ切れたような晴れ晴れとした表情で、頬に伝う涙を拭っている。

 そんな久太の傍に熾が恐る恐るというように寄り添っていく。すると、今度は沢の向こうのほうから、たくさんの人々が雲霞うんかのようにやって来た。


 恐らく、この殿茶の村の人々だろう。それぞれ神妙な顔をした者、久太を見て泣き出す者、懺悔するように頭を下げる者、泣きながら嬉しそうに久太の背を叩く者。

態度は様々であるが、皆一様に久太に対する愛情が籠っているように見えた。対する久太も、未だ複雑な感情は抱えているものの、悪し様にすることなく話をしている。その態度の端々には村の人々への親しみが見て取れた。きっと、あんなことが起きなければ、家族のような関係だった人も多かったのだろう。


 村の人々が抱えているのは、花だったり、食べ物だったり、酒だったりと、恐らく墓前に供えるものばかり。五回忌となる今日、白露の命日を悼んで、彼らは久太の作った粗末な墓に集まって来たのだ。それはきっと、これまでも、これからも欠かさずに行われていくに違いない。


 失ったものが、元に戻ることは無い。悔恨も悲しみも消えることはないだろう。

 それでも。


 痛みと向き合う勇気が、人にはあるのだ。

痛みを抱えながら生きてく強さが、彼らにはあるのだ。


 ――きっと彼らはもう大丈夫だ。

梔乃は、少しだけはにかむように微笑った。


「――そうだね」






 殿茶とのちゃの村の帰り道、例によって千里せんりに乗った梔乃と琉霞は、馬上で揺られながら暮れなずむ大地を眺めていた。


 どさくさに紛れて、芳三よしぞうの治療を久太に取り付けた琉霞は、一仕事した実感が嬉しいらしく、先ほどから随分と上機嫌に鼻歌を歌っている。梔乃はその歌を聞いたことが無かったので、判別が出来ないが、なんというか……大分特殊な旋律……というのか、聞きなれない節回しが妙に気にかかる。果たして、それは元々そういう歌であるのか、あるいは琉霞が著しく音痴なだけなのか……こうなると後者の方が有力な気がするのが悩ましいところである。


 そんなことに密かに頭を悩ませている梔乃の気など全く知らぬ琉霞は、相も変わらず安穏とした声で「ところで」と顔を上げた。


「つかぬことをお聞きしますが、あの少年――弥彦とは何者なのです?」

「弥彦?」

「梔乃の父親……とかなんとか名乗っていましたが」

「まさか。本気にしてるの?」梔乃はふっと微笑って「弥彦アレが勝手にそう云ってるだけ」

「……では、彼とはどのような関係で?」


 深く事情を察することは出来ないが、梔乃の傍に親らしき存在が居ないことは、琉霞もここ数日で確信していた。では、弥彦は肉親なのだろうか。兄、あるいは、従妹とか?

 どことなく身構えた様子の琉霞に、梔乃は少しの沈黙のあと口を開いた。


「まぁ、なんていうか…………私からすれば、恩人、かな」

「恩人?」


 首を傾げた琉霞の視線の前。向かいから馬に乗って駆けてくる人影があった。

 歳は二十歳前後くらいだろうか。いかにも優男然とした青年は、琉霞たちの姿を見止めると、手綱を引いて馬を止めた。


「あのう、実は私、三つ隣の里から来た者なんですが。妹が病に罹ってしまって……今、里の医師はみんな朽葉に出払っているせいで、診てもらえないんです。そこでお聞きしたいのですが……この辺りにお医者さまはいらっしゃいませんか?」


 僅かながらに焦燥を滲ませたその青年は、伺うような声色でそう云った。

 一瞬、きょとんとした琉霞だったが、前に乗る梔乃と目を合わせると、ふっと笑う。


「居ますよ……この先に。『ろくでもない名医』が一人、ね」


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