十
だが、事態は思わぬ展開に向かって行く。
疫病もようやく落ち着きを見せ、一つの季節が移り変わろうとしたとき、再び村にあの役人の男が姿を現した。
以前よりも顔色を悪くした男は、その後ろにぞろぞろと御付きの者を追従して、よりいっそう権高い声で白露に云った。
「お前は病で苦しむこの私を治療することを拒み、いくつもの不敬不遜な態度で尊い
身分である私を愚弄したな。よって、その罪で斬首刑に処す」
久太は凍り付いた。しかし当の白露はいつもと変わらぬ平然とした態度を貫いている。
馬鹿みたいな話だが、不敬罪は、れっきとした罪悪として法で制定されている。
王族、貴族、またはそれに準ずる貴い身分対する名誉棄損、不敬とされる行為に対する罰は、その度合いや判事にもよるが、概ね極刑だ。地域によってはその土地で権力を持っている者や、崇拝されている祖神に対する不敬も同様に罰せられる。
男は貴族であった。北の里で格式高い家の傍系の出だという。血は薄くとも、男が仕える宗家の方は、数代前の王家に妃を輩出したことがあるほどの名家だ。
白露は治療を拒んだわけでもないし、男を愚弄するような態度もとっていない。これは間違いなく権力者の横暴であり、無実の罪を着せようとしているのは明らかであった。
「私はこの櫨の里の民であります。いかにあなたが尊い身分の方とはいえ、他里の民を勝手に裁くことは出来ますまい。私の身柄は里長に権がある。私を裁くというのであれば、罪の真偽を里長の前で認めさせる必要があるでしょう」
白露がそう云うと、男はにやりと卑しい笑みを顔に浮かべた。
「その通りだ。私を愚弄したこの罪を、公に櫨の里長の前で証明しなければ、お前を法で裁くことは出来ない。では、こうしよう。この村に住む者で………お前の身内以外、そうだな、そこの小僧以外だ。たった一人でもお前の潔白を訴えるものが居れば、私はお前の無実を認めて、引き下がろう。ただし、そうでなければ、里長に訴えてその首地に晒してやる」
十日後、今度は里長を引き連れてもう一度来ると男は云った。その時に一人でも白露を擁護する者がいれば、白露の無実は証明されるという。
そのたった一人に、久太はどうやらなれないらしかった。仕方がない、久太は白露の弟子で、傍から見れば子供のようなものだ。久太が白露を擁護するのは当然だし、確かに公平性に欠けるといえるだろう。
(いや、そもそも全くいわれのない罪をでっち上げられてるんだから、公平もクソもねえけどな)
そう思ったが、久太自身、このときは余裕があったから特に強くは訴えなかった。
村の人々は皆、白露を慕っている。白露に大恩があるものばかりだし、きっと村中を上げて白露の潔白を大声で証明してくれるに違いない。だから、久太がジタバタする必要なんてないのだ。
そう思って、微塵も疑わなかったというのに。
「なんで! なんでだよ!!」
十日後、里長や役人が見守る中、引きだされた白露を前に、白露を擁護する人間は終ぞ現れなかった。誰一人として、白露の無実を訴える人間は居なかったのだ。
絶望して、怒りのままに久太は叫んだ。
「なんでだよ! なんで誰も来ねえんだよ!? 皆、白露に助けられただろうが! お前ら皆、白露がいたから生きていられたんだろうが!!」
泣きながら、喘鳴を上げて訴える久太を、縄で縛られた白露がじっと静かに見下げていた。
助け出そうと駆け出した久太は、周囲にいた男たちに取り押さえられる。惨めに顔を地に押し付けられると、上から嘲笑する男の声が降って来た。
「残念だったな、白露。お前の潔白を証明するものは誰もいないぞ! お前は随分とこの村の奴らに慕われていたようだからなぁ。俺もこの結果には驚いたよ!! ああ、実に残念だ! だが仕方がない。これは公平な裁きだ。分かるな? 俺はお前の罪を暴いた。だが、慈悲深くそれを返上する機会を与えた。こんな簡単な方法でな! だが、お前は失敗した。なぜ失敗したか分かるか?」
口汚く云って、男は白露の背を蹴り飛ばした。
「それはお前が誰からも信頼されていないからだ! 誰一人として! お前を罪から救おうというものが居なかったからだ! っあはははははっ! 実に哀れな男だ! 涙が出るよ!」
「黙れ! 黙れ! 黙れ――――!!」
声が枯れるほど久太は叫んだ。
だが、誰一人として、白露を、久太を救おうとするものは居なかった。
――たった一人、たった一言。それだけで良かったのに。




