八
風の音で目が覚めた。
春は風が強いから嫌いだ。夏は暑いから嫌い。秋は嵐が多いから嫌い。冬は寒いから嫌い。
あの日から、移り変わるすべてのものを、久太は疎み続けていた。
仰臥した状態で長く息を吐く。
酷く腹が減っていた。思えば、昨日は碌なものを食っていない。
横目でちらりと壁を見やると、撓んだ板のわずかな間隙から光が漏れて入って来ていた。
朝だ。それも久太の嫌いなものだった。
今日は一年で一番憂鬱な日だ。こんな日は一日中酒でも飲んでいなきゃやってられない。
噎せ返るほどの酒気を纏い、半分覚醒のしていない頭で、久太は酒を求めて部屋を歩き回る。
しかし、酒瓶は全て空であった。もう昨日のうちに呑み切ってしまったらしい。
「くっそ」
よりにもよって、今日に限って。
安い焼酎でもいい。酔えるならなんでもいい。
意識が飛ぶほどに泥酔すれば、今年こそあの夢を見ないで済むだろうか。
「………じじい」
再び筵にごろんと寝ころんで、久太は掠れる声で呟いた。
毎年、毎年、命日に現われる男は、己の記憶がそうさせるのか。
それとも、男自身が意志を持って久太の夢に現われているのか。
捨て子であった久太を拾って育ててくれたのは、白露という老爺の町医者だった。
出会った時、既に傘寿を超えていたにも関わらず、子供の久太よりも活発で豪胆なところのある男であった。
久太が白露に出会ったのは今から七年前、まだ十だったころだ。
ちびで生意気ざかりの久太に、白露は厳しく医者の技術や知識を叩きこんだ。
「ごるぁぁあ! 逃げるな! まだ説明は終わってねえ!」
「だから、俺は医者になんてなりたくねぇつってんだろ!」
白露は患者には気さくで優しいというのに、久太だけには異様に厳しく接した。座学を嫌がり逃げ回る久太を椅子に括り付け、薬学の書の内容をすべて諳んじられるようになるまで飯抜き、なんてこともざらにあった。当然、久太は反発するし、怒る。それでも白露が根気強く久太に医師の知識を教え込むので、そのうち久太のほうが根負けした。というより、反発するより従った方がましだと思うようになったのだ。
この時、久太と白露が住んでいたのは、櫨と呼ばれる里の、殿茶という村であった。
白露は村で大層慕われており、その当時、里一の名医だと謳われていたほどだ。
しかし白露が慕われていた理由は、なにも腕のある医師だという理由だけでは無かった。
人の集まる集落には、いろんな種類の人間が住んでいる。
商人、役人、武人。金持ち、貧乏。だが、尊き卑しきに関わらず、病は平等に降りかかる。
そういう場合、ある程度金に余裕のある人間なら、医者にかかるなり薬屋に行くなりして対処することが出来る。しかし、中には貧しくて医者は愚か、薬すら買えない人間も多く存在した。
そういう人々からは、白露は一切金を請求しなかったのだ。無償で診てやり、治療をして家に帰した。それをごく自然なことのように、何十年もずっとしてきたらしい。
村の人々は白露にとても大きな恩を感じ、皆親しみ、感謝していた。当然、儲けは出なかったが、白露は満足そうに笑っていた。
「いい加減、大損するぞ」
そんな軽口を久太はよく白露に叩いた。善行を皮肉ったような口調であったが、その言葉が照れ隠しであることを白露は気が付いていただろう。