六
呆けたように云った琉霞に、顔を赤くした少年が怒鳴った。
「ガキはてめェだろうが! 俺はもう十七だ!」
「腕のある医者って云うくらいですから、もっとしっかり大人かと思ってましたよ」
やれやれ、とわざとらしく首を振った琉霞を見て、少年は苛立ちを募らせていく。
「そんなもん、お前らが勝手に勘違いしただけだろうが!」
怒鳴り声を上げる少年を琉霞は胡散臭げに見つめた。
「で、あなたが久太ですか」
「初対面で年上の相手に呼び捨ては不敬だと、習わなかったのかクソガキ」
「初対面ですが、あなたの悪評はかねがね伺っているもので。張りぼての敬意でよろしければお呼びしますよ久太さん」
久太の顔に血管が浮き出ている。その様子を見て、梔乃はやれやれと溜息をついた。
子犬のような無邪気な愛嬌のある琉霞だが、少々思い込みの激しいところが欠点だ。落ち着いた物腰の印象を与えることもあれば、実年齢よりも幼く見えるときもある。特にこの少年は、自分の感情の制御が下手だった。加えて鳥頭なので、既に『薫子の父診てもらえるように説得する』という当初の目的を忘れているのだろう。
そして、これまた遺憾なことに、人を煽るのに関しては天才的であった。
「てめえら、そんなこと云いに来たのかよ。俺は忙しいんだ、さっさと帰りやがれ!」
「昼間っから酒の匂いを漂わせている人のどこが忙しいのか、是非教えて欲しいものですね」
「ぐぬっ。このクソガキ……」
「さっきからクソガキクソガキって云ってますけど、三つしか違わないじゃないですか」
「三つの差はでけェだろうが! 年長者には敬意をだな」
「歳の差でしか自分を誇示することが出来ないような人に払う敬意なんて塵ほどもありませんよ」
普段抜けていることが多い癖に、こういう時に限って妙に弁が立つ。
着地点の見えない争いに突入しようとしていたので、梔乃が待ったをかけた。
「琉霞。怒らせてどうするの」
「え? ……ああ、そうでした、あはは。僕としたことが、目的をすっかり忘れてました」
「鳥頭」
「ひどい!」
悲鳴をあげた琉霞を無視して、梔乃は久太に向き直った。
「この子の無礼は私が詫びる。私たち、あなたにお願いがあって来たの」
「梔乃が謝ることないですよぉ」
「五月蠅い。誰の性なの」
「うう、すみません……」
小さくなった琉霞と、殊勝な態度の梔乃を見て、些か留飲を下げた久太は、ふんっと尊大に鼻を鳴らした。
「患者かぁ? 金によっては診てやるよ」
「………一応訊くけど、いくらなの」
梔乃が恐る恐るというように尋ねた。不適に嗤った久太は指を立てて金額を示す。提示された額を悟った二人は揃って瞠目した。
「ちょっと待ってください! なんか聞いてた話よりずっと多くないですか」
「不敬料も入れといたからな。恨むなら先刻の自分を恨みな」
嘲笑した久太に、今度は琉霞が憤然として声を上げた。
「あなたそれでも医者ですか! 病に倒れて今にも死にそうな人が目の前にいても、金が払えなければ見捨てるのですか!?」
「莫迦お前は。俺は慈善で医者をしてるわけじゃねえ。あくまで助けてやってる側だぞ。その恩恵を受ける奴は元よりどうこう云える立場にねえんだよ」
久太の小馬鹿にしたような云いように、琉霞の怒りはますます高まっていく。
「そうやって斃れていく人を見ても、心は痛まないのですか! 仮にも医者を名乗るものが!」
「あんな、坊ちゃん」云って、久太は琉霞にじっと顔を近づけてきた。
「世の中綺麗事だけじゃ動かねえんだよ。お前の今まで見てた世界が、どんなに優しくて美しいもんか知らねえけどな。そういうもんに馴染めない人間も一定数いるんだ。そういう奴らはどんな泣き落としも詭弁も効かねえ。そんでもって、俺はその汚ったねぇ人間の一人なんだよ」
云ってから、顔を離した久太は、後ろにあった椅子にどかりと腰かける。
「だがまあ、お前なら払えねえ額でもねえだろ、坊。お前、あれだろ。里長
の息子だろう」
すると琉霞は驚いたように顔を上げた。
「なんで知ってるんですか」
「んな上等な着物きてりゃあ一発で分限者って分かるだろうが。ご丁寧に伽羅の香まで纏いやがって。加えてその奇抜な髪、瞳。里のもんなら一度は聞いたことあるだろうよ。照柿の里長、末子の琉霞ちゃん、だっけ」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべた久太に、琉霞は「ああ」と納得したように頷いた。
「僕の美しさは、里中に轟いていたんですね………」
「………なあ嬢ちゃん、こいつ阿呆なのか」
「放って置いて。そういう子なの」
「ふうん」と興味なさそうに云ってから、久太は再び琉霞に目を向ける。
「お前なら払えんだろ、里長の息子。金さえ払えばその病人、治してやるよ」
「莫迦ですかあなた」
「は?」
思ってもいないことを云われて、久太は眉を寄せた。対する琉霞は倦んだような顔で久太を見ている。
「僕にそんな額払えるわけ無いでしょう」
「いや、出来るだろ。里長っていったら、この里で一番地位も権力も持ってるじゃねえか」
「それは僕では無く、僕の父です。確かに父なら出せる額でしょうが、僕がそれを強請ったところで父は頷きません。僕は屋敷で父の仕事の手伝いくらいはしますが、里長として務めを果たしているわけではありません。まあ、先のことは分かりませんが――少なくとも今は里長の息子という肩書しか無い身です。そんな情けない身分で、里の皆から集めた税をおいそれと使えるわけがないでしょう」
琉霞が本当に心底呆れたように云うので、久太はしばし面食らった。
ただの世間知らずの坊ちゃんかと思っていたら、存外、道理というものをよく弁えているようだ。
なるほど、この少年。阿呆だが、愚蒙ではない。
「はぁん。ま、いいけどよ、どの道金が払えねえなら話は無しだ。さっさと帰った帰った」
「そこをなんとか!」
「無ェよ! 今更そんな態度しても遅すぎるわ!」
「こンの人でなし! 悪代官! 閻魔大王――!!」
「いいからもう出ていきやがれ!!」
そう云って久太に半ば放り出されるような形で、琉霞と梔乃は長屋の外に出た。




