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くちなしの乙女 ~あやかし里の怪異譚~  作者: 風助
二 ろくでもない名医
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 二

 「悶々《もんもん》としています」


 悩みを口に出すと、幾分か楽になると誰かが云っていたのだ。

 だからそのまま率直な思いを口に出してみたのだが、微塵も心が晴れたような気がしない。


 実際は、『なんで悶々としているのかを、誰かに話すことで楽になることもある』という教えなのだが、生憎、琉霞はそんな言葉の裏を読み取れるほど賢くなかった。


 気持ちの良い晴れやかな昼下がりだ。今日も今日とてこのあたりは騒々しい。

 色茶小路の真ん中を、琉霞は思案顔で歩いている。

 憂いを帯びた少年の横顔もまた美しく、通りを行く娘たちが、ときおり秋波しゅうはを込めた視線を寄こしているが、今の琉霞にはそんなことをいちいち気にする余裕が無かった。


 思い起こすのは、数日前のことだ。鎮守の森に住むという『くちなしの乙女』。梔乃と名乗った少女には、姉のことで大層世話になった。

姉も琉霞もちょっとぶっきら棒なその少女のこといたく気に入り、このところ暇があれば鎮守の森に遊びに行っていたのだが。

てっきり梔乃はあの森で一人きりで暮らしているものだと思っていたので、突然現れた弥彦とかいう少年の存在に酷く驚いた。しかもその少年が果てしなく美しいのである。


 大変遺憾であるが、己よりも美しいと認めざるを得ない。

 知らず、琉霞の顔はどんよりと曇ったものになっていく。なんでこんな鬱屈とした気分になるのか、琉霞は自分でもよく分からなかった。


 嫉妬なのかもしれない。


 自分より美しい男に初めて出会ったのだ。己の立場を揺るがされたような気になっているのかもしれない。


「なんだかなぁ」


 この感情は美しくない。間違っても、他の誰かには知られたくなかった。

 万が一あの兄たちに知られたら最後だ。末代まで笑われるに違いない。



「あれ?」


 立ち止まったのは朝霧亭だ。しかし、いつものような活気はそこには無い。


 人も居なければ、のれんも出ていないのだ。八つ時のこの時刻、いつもなら一番賑わう時間だというのに。

 すると、店の戸がおもむろに開いた。引き戸の奥から億劫そうに顔を覗かせたのは薫子だった。


「薫子さん。今日はお店はお休みですか」


 琉霞に気が付いた薫子が顔を上げる。しかしその表情には隠し切れない疲れが見えていた。


「……ああ、琉霞ちゃんこんにちは。ごめんねぇ、しばらくお店はお休みにしたの」

「何かあったんですか」


 琉霞の知る限り、朝霧亭は二日と店を休ませたことがない。常時は快活な薫子のこの辟易とした様子といい、なにか尋常ではないことが起こっているように思えた。


「実はね、父さんが身体を壊して寝込んでるのよ。このところ風邪気味だったのもあるし、まあ長いこと休みなく働いていたツケがきたんだろうけどねぇ。いい加減、歳だから」

「ご主人が。それは大変ですね」


 薫子の父である芳三よしぞうは、朝霧亭の三代目の主人であり、指折りの菓子職人でもあった。琉霞も何度か面識がある。柔らかい面差しの初老の男であったが、娘の前では少々頑固な面があるようだ。


「では、お医者に見せた方がよろしいでしょう」


 七十近い老体に鞭を打ったのだ。ただの風邪や疲れと思って油断するのは危うい。

 琉霞が云うと、薫子は困ったように苦笑した。


「そうしようと思ったんだけど、今はほら、里中のお医者が出払ってるのじゃない」

「え? …………ああ」


 云われて琉霞は気が付いた。

つい二日前のことだ。照柿の隣、朽葉くちばと呼ばれる里の姫がなにやら重い病に罹ったらしく、父親である朽葉の里長があちこちに御触れを出して回っているそうだ。曰く、娘を治した者、または治療に貢献したものに対して莫大(ばくだい)な報酬を与える、とかなんとか。その報せは朽葉だけに留まらず、この照柿にも出回っている。今このあたりの医者は皆、朽葉の里長の屋敷に鈴なりになっているらしい。


「もう本当に困っちゃうわよ。お医者さまも、結局は金子に目が眩む普通の人間なのね」

「あはは………」


 薫子の言葉に、琉霞はなんとなく居たたまれない気分になった。

 実際、真白が倒れたときに、琉霞の父も似たようなことをしているので、朽葉の里長に対してどうこう云える立場ではないのだ。愛する者が苦しんでいるなら、どんな手を使ってでも助けたい。その気持ちは、琉霞にも少なからず分かる。そういう者の視野は、往々にして狭くなるということも自身の経験から知っていた。周りの迷惑などこれっぽっちも頭にないに違いない。


「じゃあ、まだ医者にはかかってないんですか」

「それがね、この前云ったでしょう? ほら、おうちに里一の名医がいるって。どうやらその人だけは朽葉に行かなかったみたいで」

「へえ」


 少し意外に思った。楝の医者といえば、腕はいいが、その悪名も折り紙つきである。高い金を払う者しか診ないという差別的な男だと聞いていたので、金払いのいい話には飛びつくものと思っていたのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。


「じゃあ、楝の医者に診てもらったんですか?」

「父を駕籠に乗せて、昨日行ってみたのだけど、駄目だったわ。治療代、とても払え

る額じゃないの。それこそお店売らないと間に合わないくらい」


 前言撤回。やっぱりくずだ。

 思い返せば、父が真白のために屋敷に呼んだ際にも、例の医者は頑なに来るのを拒んだ。地元の人々のために残っているのではなく、ただ単に移動が面倒なだけなのではないか。


「医者を頼ろうにも残っているのは怪しげな連中ばっかりだしねぇ」


 頬に手を当てて困ったように薫子は眉尻を下げた。

 この國では、医師を名乗るのに特別な資格は必要がない。無論、試験などもない。多くの医者を目指す者は、既に医者として成功している者のところへ弟子入りをし、十数年かけて修行をする。その後、師に認められて初めて独り立ちをすることが許されるのである。


 しかし、ちゃんとした手順を踏んでいなくても、医者と名を語るだけならば自由だ。そのせいで、やぶ医者もあちこちに存在した。

町の者たちはやぶに引っかからないように情報を共有する。評判の良い医者には患者が集まり、逆に悪い医者には中傷が集まるような仕組みになっているのだ。


「そうですね。適当な薬でも飲まされたら大変ですし」

「まあ、戻ってくるまで待つしかないわね。幸い、そこまで重病って感じでもないし」


 薫子は苦笑してから、ちょっと悪戯っぽい顔になった。


「いっそ、祈祷師きとうしにでもお願いしてみようかしら。父さんに憑りついてる仕事の鬼を祓ってもらうの」

「あはは。それはいいですね」


 つられて笑ってから、琉霞は「あ」と気が付いた。


「………やってくれる人、いるかも」


「え?」


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