一
「じゃーん! どう? 結構似合ってるんじゃない」
いよいよ本当に馬鹿じゃないのか。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、梔乃は倦んだ視線を目の前の少年に向けた。
上機嫌の弥彦が着ているのは、本来巫女が身にまとうような緋袴である。
柳のように華奢な身体は、見事に女物の着物も着こなしていた。
もともと性差の概念を飛び越えたような顔立ちをした男だ。凝った化粧などを施さずとも、そこらの女形や、町娘よりよっぽど様になっている。
だがしかし、一言でも褒めようものなら、この男が永遠に調子に乗り続けるのは目に見えていた。
そもそも、先ほどから向けられている期待の眼差しが鬱陶しくてかなわない。とはいえ、突き放すような言葉を言うと、これまた延々と落ち込み続けることが想像できたので、梔乃は無視を決め込むことにした。
「ちょっと、なんか云ってよ」
「…………」
「梔乃? おーい、しのちゃーん」
「…………」
「はいはい、分かった。着替えればいんでしょ、着替えれば」
反抗期かなぁ、なんて見当違いのことを云いながら、弥彦は長椅子に腰を沈めた。
ここは梔乃の家だ。
およそ十畳ほどの広さしかない長屋だが、二人で住むには丁度いい。風呂や台所は外にそれ専用の小屋があるので、ここは寝泊まりをする場所である。
社から少し離れた、湖のほとりにぽつんと建っているこの家に、梔乃と弥彦は二人で住んでいた。
もっとも、目の前の男はふらりと家を出て行くことが多いので、実質毎日ここで寝泊まりしているのは梔乃だけであるのだが。
梔乃は華美を好まないので、自ら部屋を飾ることはないが、一方で工作好きの弥彦は、暇があれば人形だの、掛け軸だの、よくわからない置物などを作っては部屋のあちこちに装飾を施している。故に、なんだかんだで家の中の雰囲気は雑多で賑やかい。
「そもそも梔乃が云ったんだろう? 自分で着てみればいいだろって」
長椅子に寄り掛かってぶうたれる弥彦は大層不満げだ。ちなみに、この椅子も弥彦のお手製である。
梔乃はそんな弥彦を一瞥して、眉間の皺を濃くした。
確かに云った。が、まさか本当に着るとは思わなかった。
そもそも、この緋色の袴は弥彦が梔乃のために拵えたものであった。女物の袴を易々と縫い上げる弥彦の器用さは感嘆を通り越してもはや気持ち悪い。大体、梔乃は袴が欲しいなどと一度たりとも頼んだ覚えはない。つまり、梔乃に着せようと思って、弥彦が勝手に用意したのである。
最初に見せられたときににべもなく峻拒した梔乃だったが、それ以来、ことあるごとに弥彦は梔乃に着て欲しいとせがんで来る。近頃は梔乃の目に付くであろう場所に先回りして置いてあることが増えた。一度破って湖に捨てたこともあったのだが、次の日にはまた元通りに直って、家の中に置いてあった。妄執が怖い。
だから嫌味のつもりで云ったのだ。そんなに好きなら自分で着れば、と。
断じて、弥彦の巫女姿を望んだわけでは無い。
「だってお前、いっつもそればっかり着てるじゃないの。町の娘たちはもっと着飾ったりしてるのに」
実際見たわけでもない癖に分かったようなことを云うのだ、この男は。
「いいの。私はこれで」
「嫌だ。それじゃ俺がつまらん」
無茶苦茶な。
「着飾りたいなら自分がすればいい」
「男の俺が着飾ってどうすんのさ。可愛い娘がお洒落した姿が見たい見たい――!」
そう云って、今度は長椅子の上で手足をジタバタさせて暴れる。
(………童か)
あざとく潤んだ瞳で見上げてくる男を睥睨して、梔乃は諦めたように溜息をついた。
「帯締めくらいなら」
付けてもいいけど。
ぼそりと小さく呟いた声を耳ざとく拾って、弥彦はにんまりと何かを企むように口角をあげた。
「やった! じゃあとびきり豪奢なやつにしよう! 里のみんなが度肝抜くような逸品を創らないと。そうと決まれば……よしまずは金糸を束ねて――」
――やっぱ辞めとけば良かった。
梔乃はそう思ったが、嬉々として準備に取り掛かる弥彦を見ると、今更そんなことも言い出せずに、今日何度目かの溜息をついた。




