十
何かに誘われるようにして目が覚めた。
どのくらい寝ていたのか、体の節々がきしきしと痛んだ。
真白はゆっくりと上体を起こす。自分の手を確かめるのうに何度か摩った。
―温かい。
体の温度が戻ってきている。最後に感じた凍えるような寒さはもう無かった。
「生きているのね、私」
眠りに落ちて行くとき、どこまでも果ての無い深淵に引っ張られていくような恐怖があった。同時に、もう二度と起きられないかもしれないと、覚悟した。
深い眠りの奥底で、誰かの悲痛な叫びを聞いた気がした。
―痛い、怖い、苦しい。助けて。
何故だかひどく身に迫るような感覚がして、真白もとても悲しい気持ちになったのだ。寂しくて寂しくて仕方がなかった。
ゆっくりと足を立てて立ち上がる。その際に腰と背中が酷く痛んだので、ひょっとしたら何十年も眠っていて、いつの間にかおばあちゃんになってしまったのではないかと不安になった。
支えを求めるようにして、壁に凭れながら廊下を歩く。不意に、誰かに呼ばれたような気がして、横を見た。
障子の向こうは明るい。まだ静かなので、早朝だろう。
「桜は散ってしまったのよね」
残念だが仕方がない。また来年を楽しみに待つしかないのだ。
真白はそう思いつつ、外に通じる障子を開く。
――夢を、見ているのだと思った。
そこには、満開の桜の木があった。
庭で一際大きく立派な父の自慢の桜木に、薄紅の花がいっぱいに咲いている。
春の暖かな陽気と、柔らかな風に吹かれてその淡い花弁を散らし、視界の限りに花吹雪が舞っていた。
「なんで…………」
震える声で両手を合わせ、真白は広縁に躍り出る。
泣きたくなるほど美しい光景だった。小さな花びらの一枚一枚が、薄く虹色に輝いている。踊るように舞い散る花弁が、楽し気に真白の肩に乗った。
まるで、己の目覚めを、春が祝福しているように思った。
ふと足元を見ると、そこにはいつか自分が怪我をした男に巻いてやった布巾が、ちょこんと畳んで置いてある。
「あら、これ……」
不思議に思って拾い上げると、にわかに若葉のような香りがした。
もう一度顔を上げて桜の木を見ると、そこにはもう満開の桜は何処にも無い。
桜の木には緑色の若葉がさわさわと揺れているだけだ。
その、木の、てっぺんに。
黄金色の狐が座っている。
じっと真白のほうを見て、緩く尾を振ったと思ったら、風に攫われるようにして消えてしまった。
――ありがとう。大好き。
そんな声が聞こえた気がした。
花は散るれど、おもひは散らぬ。狐の恋は邪恋に非ず