紙葉、一葉『隣国の彼岸花』(1)
————『彼岸花』
とある国では死を連想させると言われる、鮮血を想起させる鮮やかな赤色の花弁を開く花。
その花言葉の一つは、『悲しい思い出』。
そんな悲哀を感じさせる花が見渡す限りに咲き渡る不思議な草原が何処かにあった。
彼岸花は本来なら咲く期間や場所が決まっているのだが、その草原では奇妙なことに一年中絶やすことなくその朱を広げる。
そんな面妖な花畑の茜色は、人の目をどうしようもなく惹きつける強い魅力を纏っていたが、人の目に触れることは殆どない。
その故は、朱色の草原が人里離れた位置にひっそりと隠れるようにあることに加え、その辺りは普段は人が立ち入ることは滅多にない郊外の区域であるからだ。
だが、ある穏やかでいて清澄な晴日のこと。
とある少女が、秘された赤い花々の群れに紛れるように、ぽつりと静かに佇んでいた。
その少女は遠目から見ても分かるほど、体の全てから色素が脱したような白色をしていた。
そのうえ、抱きしめればいとも簡単に折れてしまいそうな華奢な体つきに、精巧なビスクドールめいた非の打ち所がない端麗な顔立ち。
それこそ、実は少女は雪の精霊または天使の類なのだと言ってしまえば、万人が揃って納得して頷くほど少女の容姿は美しく、この世のものとは到底思えない白さを魅せる。
朱の中に白一点。
少女の美しい純白さは、ただでさえ目立つものではあるが、辺り一面が朱一色の草原ということもあり、今はその少女の純白な色合いが極限まで映えている。
その異様な光景は、まるで夢幻を現に描いたような、妖しくも人を魅了するような、常世離れした雰囲気を醸し出す。
それを一言で形容するならば、まるで『あの世』。
そうと言っても過言ではないぐらい神秘的なものだった。
どこからともなく響く小鳥の囀りに少女は耳を傾け、草原に腰を下ろし一息ついて空を見上げる。それだけでも一連の所作の全てがつくづく絵になる少女だ。
すると少女は腰の横に斜めに留めている本専用のベルトポーチから一冊、年季を感じさせる本を取り出す。
その本は手記であった。
これまでに少女が体験した様々な出来事を書き残した在りし日々の記録であり、少女にとって何よりも大切な宝物だった。
少女は旅をしていた。
主に3つの理由から旅をしていた。
手記には少女の旅路の様々な思い出を書き残し、その手記を此処へ持ってくることが、その旅路の目的であり理由の一つだった。
「約束……。忘れなかったよ」
そう言って少女はその本の表紙を愛おしげに細い指で撫でる。
少女の表情は冷たさを纏う無表情である。だがその面様に反して声色は柔らかく、暖かいものだった。
少女は本を開き、記憶を遡るようにページを後ろから前へとぱらぱらとめくる。
その全てのページに書かれていることが懐かしく、一抹の侘しさを覚える。
そしてページをめくり切ると、先頭の見開きの1ページにたどり着く。
そのページだけは何も記されていない、完全な白紙。
確かに何も書かれていないただの白紙なのだが、それさえも思い出深いものであった。
なんせ旅の始まりはその『白紙』から、だったからだ。
すると、その白い少女を思わせる白一色のページに水滴がぽつりと落ちた。
通り雨だろうか。
少女は頭上を見上げるも青い空には雲一つ見受けられない。
なら何故だろうと下を見下ろす。するとまたしてもぽつり、ぽつり、と水滴が垂れた。
その時、頬に生暖かい感触が一条に流れていることに初めて気付く。
少女は泣いていたのだ。
目尻からぽろぽろと溢れる涙に少女は驚き、そして戸惑い、涙の止め方が分からずただひたすら目を拭い続けた。
すると今度は嗚咽が漏れ始める。
それも押さえ込もうと少女は唇を強く結ぶ。だがそれさえも堪えきれずに吐き出した。
溢れ出した感情の奔流が形となり、音となり号哭として表れる。
その感情の吐露はしばらく続いた。
そして収まりきらないと思われた慟哭はやがて止み、少女は再び上を向く。
そうでもしないとまた泣いてしまいそうだったからだ。
そして泣きやんだ少女は再び本と向き合った。
その本に綴られているのは少女の旅の記憶。
美しくないからこそ美しい世界を旅して得た感情の彩り。
様々な願いや想いを持つ人々と触れた日々の瞬き。
その最中に生まれては消えたモノ達。
真っ白で何も書かれてないページに、精彩を放つ言葉の色を与えるように記すことで、
真っ白で何もなかった一人の少女が、世界に大切な色を与えられたことを。
「それじゃあ、読むよ……」
そう言って少女は、艶やかでいて、陽光を反射して煌びやかに光る白色の髪を微風に靡かせる。
まずは旅の始まりのこと。
在りし日の純白な少女に、旅を志すよう導いてくれた少女との出会いからだった。
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「これを一つ」
昼下がりの活気に溢れる大通りに鮮やかな色彩を振りまくように立ち並ぶ幾多の露店のうちの一つ。
サンドウィッチといえばハムやレタスを具材とするのが主流であるが、その代わりに生クリームや様々な果物を挟むフルーツサンドウィッチなる魅惑の甘味を取り扱う物珍しい店があった。
そこでフード付きマントのフードを目深く被った一人の少女が一人。簡易的なショーケースに並ぶ色とりどりの煌びやかな商品を真剣に眺め、そして自身の気になった物を指差して注文していた。
その少女が注文したものは、苺サンドウィッチという具材は苺と生クリームだけの至ってシンプルなもの。
だが、それ故に苺と生クリームの特色を最大限に活かしたディープでいて乙な味わいを楽しませてくれるのが売りなんだとか。
ふわふわとした柔らかいパンに舌触り滑らかな生クリーム。極め付けは甘くも少し酸っぱさを残す瑞々しく張った新鮮な苺。それを想像するだけで舌鼓を打ちそうになる。
暫くすると注文した通りの商品が少女のいる露店横のガーデンテーブルへと置かれる。
少女の目の前に置かれたサンドウィッチは値段が中々なものであることもあって、それに遜色ないぐらいサイズは大きく見える。具体的に言えば、恐らく少女の小さな顔を少し覆うぐらいの大きさ。
その大きさに少女は四苦八苦するに違いない。その場にいた誰しもがそう思ったその矢先、まばたきする間も無くサンドウィッチは少女の胃袋へと跡形もなく吸い込まれていった。
あまりのことにそれを目撃した店主や道行く人は目を白黒させるが、当の少女はどうということはないと小さく鼻息を零す。
そしてあっという間にサンドウィッチを食べ終わり、口元を小さく拭った少女は、ちらりとショーケースの方を見る。
「もう一つ」
どうやらお気に召す味わいだったようだ。
少女は同じ物を注文し、同じように運ばれてきたサンドウィッチを小さな口からは想像も出来ない大きな一口で再びパクリと一気に頬張った。
捕食と形容すべき驚異的な一口の大きさと完食までの異常な速さなのだが、それに反して小さな頬をリスのように目一杯に膨らませ、小さな口をもぐもぐと懸命に動かす姿がなんとも幼くも愛らしく小動物的で、一種の愛念を催される。
少女は終始無表情に加え、無言であった。だがその食いっぷりと、美味しいと唸る喉の音を聞けば満足であることは容易に想像がつく。
それに、少女の周りには、ほんのりとした木漏れ日の柔らかな温もりに、木陰に揺れる穏やかな微風の心地よい匂いがに満ち満ちている。
食事とその休憩の場には最適と言える環境に恵まれた少女は、さしずめご満悦といった様子だ。
さて、お勘定の時になり、少女は財布を弄った。
「ん……」
だがその様子は思ったより芳しくない。
どうやら持ち合わせている現金がお会計の金額にギリギリ届いていなかった様である。恐らく二つ目のサンドウィッチを後先考えず衝動的に注文したのがよろしくなかったのであろうことはあえて言うまでもない。
さてどうしたものか。
少女が無表情ながらも財布をじっと見つめて真面目に考えあぐねていると、後ろから肩を小さく叩かれた。
振り返るとそこにいたのは、無表情な少女と同じぐらいの年齢の快活な少女だった。
「もしかして、お金足りなかった?」
その問いかけに、無表情の少女はコクコクと頷いて肯定とした。
「それじゃ、私にお任せあれっ!」
そう唐突に言って、快活な少女は店主の女性に話しかけに行った。
どうやら無表情な少女に代わって直談判をしてくれるらしい。
にしてもなぜ見ず知らずの自分の事を助けるのかと疑問に首を小さく傾げる無表情の少女である。
色々と話についていけず置いてけぼりになる無表情な少女の傍らでは、次々にと店主と快活な少女の押し問答とも言える不毛な会話が繰り広げられ、いつのまにかその会話すらもそろそろ終わりかというところまで来ていた。
「だからごめんねー、おばちゃん。ここは天才発明家の私の顔に免じて許してあげてよー。また新しいマッサージ機作ってあげるから。ね? ね?」
話をちらりと聞くに、その少女と露店の店主はどうやら知り合いらしく、今まさに何を馬鹿な事を言ってるのかと快活な少女は店主に頭を小突かれる。
しばらくすると、露店の店主の方が先に根負けしたらしく、それ以上快活な少女に詰め寄ることはなくなった。
どうやら大目に見てくれるということらしい。
とりあえず、一抹の礼節として財布の中身を全て店主に払った後で、快活な少女に助けてもらったお礼を簡潔に述べる。
「ありがとう」
それだけ言うと踵を返そうとした。
「ちょーっと待って! 助けてあげたのにそれだけ⁉︎ 何かもう少しあるでしょ⁉︎」
またしても分からないと首をコテンと傾げる無表情な少女だが、思いついたように深く頭を下げた。
そしてまたもや踵を返そうとした。
「いやいやいやだからお礼を言うとか頭を下げるかどうかとかじゃなくってね? 何かもっと他にすることがあるでしょ? んー?」
そう言われて、快活な少女の意図を読もうと考えてみるも、やはりいい答えが思い浮かばなかった。
「ごめんなさい。分からない」
そう無機質に返されて、額に手を当てた快活な少女は天を仰ぐが、ため息を一つ挟んだ後にこう言った。
「あのね。こんな時は相手側が絶対に何か望んでる筈だから、その是非はともかく、何か要望があるか訊くのが普通なの!言わせないでよ全くもう」
頬を膨らませて怒る少女だが、その言葉が無表情な方の少女の疑問をより複雑にしてしまった。
「つまり、どう言うこと?」
「だーかーらー、私はあなたにして欲しいことがあるの!」
そう言われてやっと物事をなんとなく理解した無表情な少女は肯首する。
「分かった。何をするの?」
「それを今から話すんでしょ! もういいから付いてきて‼︎」
苛立った少女に手を引かれるがまま、無表情な少女はその場を後にした。
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無表情な少女が連れて行かれたのは、快活な少女の自宅らしき民家。
快活な少女のペースに乗せられ、無表情な少女はあっという間に椅子に座らされていた。
「飲み物は何がいい? って言ってもお茶かコーヒーか水ぐらいしかないけど」
苦笑いを浮かべて掌をひらひらと振る少女に選択を迫られ、
「ブラックコーヒー。ホットで」
と簡潔に答えた。
暫くして、
「おまちどーさん」
謎の掛け声とともにテーブルに置かれたマグを手に取り、無表情な少女は一口嚥下する。
すると形の良い眉が少しハの字に歪む。
「熱い……、苦い……」
無表情な少女は、どうも猫舌のうえに苦いものは苦手なようだ。
苦手なのにブラックコーヒーを飲むとは甚だ疑問であるが、何か本人にしか知り得ない理由やこだわりがあるのであろう。
今まで崩れることのなかった無表情が少し崩れ、少し人間らしさを感じる表情を小さく浮かぶ。
「それで、して欲しいことって、なに?」
よく言えばはっきりと、悪く言えば無遠慮に、無表情な少女は用件を問う。
だがその言葉にまたしても、快活な少女は頬を膨らませた。
「もー、そういうのは自己紹介とかを済ませた後で! だからまずは自己紹介をしよ?」
そう言って快活な少女はミュージカル俳優の舞台パフォーマンスを思わせる大仰な仕草で恭しく頭を下げた。
無表情な少女はそれにどう返すのが正解なのか分からず、とりあえずペコリとお辞儀を軽く返す。
「それじゃあ、はじめまして! 私は天才発明家のリコリス!」
あなたもどうぞ? と促されるが、無表情な少女は少し返答に迷うように逡巡する。
だが、観念する様にフードを下ろし、その口をゆっくりと開いた。
「私はメメント……。メメントモリ」
そう答えた。