親友
航空機騒音が聞こえる。それを響かせる正体を意味もなく見上げると、点とまでは言えないほどの大きさで飛行機が上空を飛行していた。
その背景には雲一つない青空が広がっていた。強い陽射しは俺が歩いてきたアスファルトの地面や目の前に聳え立つ校舎から反射し、きっと俺の瞳孔は収縮しているだろう。
秋の象徴でもある紅葉がひらひらと宙を舞い、地面へと落ちる。時期は十一月上旬。よくこんなにも強い陽射しの中で紅葉が色づいたものだ。
「おい、瑛士!」
「ん、あぁ?」
肩に手が置かれ、振り返るとそこには恭介がいた。既視感に近いものを感じながらも恭介の後ろに目をやると結乃が困った表情をして立ち尽くしている。
「最近黄昏すぎじゃねえか?」
「あー……ごめん。ちょっとな」
変わらずの青空に当たり前のように上空を飛ぶ飛行機や季節の趣を感じながら登校していると、この前の非現実的な出来事が夢に思えてしまって仕方がない。
実際、金曜日に俺は襲われている。体に青痣や痛みが残っているのがその証拠となるのだが、ここまで平和に登校できているとあの出来事が嘘だったのではないかと疑いたくもなる。
「金曜日からおかしいぞ、お前。土日も連絡したのに返信ねえし」
恭介の言葉に俺は制服のズボンからスマートフォンと取り出してパスワードを入力する。SNSのアプリを開いてメッセージを見ると、恭介から数十件のメッセージに結乃から数件のメッセージが入っていた。
全然気づかなかった。土曜日も日曜日も保守派の皆から話を聞いていたり、これからどう動いていくか話し合いをしていたりと忙しかったから携帯を開く暇も無かった。
「ちょっと忙しくて……結乃もごめんな」
「うぅん、大丈夫だよ。忙しくて返信できないこと、あるもんね!」
結乃は笑顔でそう返してくれたが、恭介は納得がいってないのだろう。不満な表情を露わにしている。
「次から気を付けるよ、恭介」
「…………それならいいけどよ」
しかし険悪な雰囲気を嫌う結乃の為だろうか、恭介は言いたいことを飲み込むようにそう言った。
やっぱり良い友達を持ったと思う。俺のことを思って心配してくれてメッセージを寄越してくれる。その返信がなければさらに心配して、心配をかけていることに対して怒ってくれるのだから。
だからこそ嫌だな。恭介と結乃との仲を切らなければいけないなんて。
朝、学校に登校する前に言われた栞の一言がまるで栞がすぐそこにいて目の前で復唱されるかのような錯覚に陥る。
『友達と縁を切りなさい。瑛士くんと関わっていることが知られたら、その子達に被害が及ぶ可能性もあるのよ』
栞の言う通りだ。分かっている。行使派と活用派の狙いはあくまで俺のみであって、俺の命を危険に脅かせるというのなら例え俺の友人を傷つけてでも行動に出るだろう。
「なぁ、恭介、結乃」
俺を追い抜き、昇降口の入口へと歩いている二人に声をかける。
「なんだよ?」
「どうしたの?」
なんで俺は声をかけたのだろうか。まだなんて言うかすら決まっていないのに。
「…………なんでもない。行くか」
俺は嘘の声と本音の声の両方を押し殺し、歩き出した。
それからというものの、特に変わったことは起きずに午前午後の授業が過ぎ、放課となった。
授業終わりの休憩時間や授業中に怪しい影はなく、いつもと変わらない学校生活。栞が危惧していたように学校で襲われて犠牲者が出るような事態にはならなかった。
しかし心境は落ち着きのないままだった。
「でさ、異能力でずっと防御してたら相手が降参してさ」
「ふふ、たまに諦められちゃうもんね、恭介くんは」
帰宅路で目の前を陽気に話しながら歩く恭介と結乃。
要の言っていることが根拠のあるものであるならば明日から俺は命を狙われ続ける。栞も要の言っていることに疑問を覚えていなかったし、おそらく何かしら根拠があっての発言だろう、狙われると考えていい。
それなら言うのは今しかない。
「…………なぁ」
言葉は授業の時間を全て使って決めた。ただ「学校を辞める」と伝えればいいだけだ。
きっと恭介は理由を問い質すだろう。そしてはっきりしない理由をあげる俺に怒り、胸倉を掴んででも真実を言わせようとするはずだ。
結乃はここで俺の意志を尊重して頷いてくれる。きっとこれから先も連絡を取り続けて、世話を焼いてくれるだろう。結乃のことだ、俺の事を考えて休学を勧めてくれるかもしれない。
幼馴染だから分かる。恭介は曲がった意志や筋の通っていない発言、理由の曖昧なことを嫌う。結乃は例えその人間がどうあっても尊重をしてくれるが、少しでもよい方向へと導こうとしてくれる。
そんな二人を、俺は拒絶しなければならない。
足を止め、振り返る恭介と結乃。俺は拒絶する決心をして、顔をあげた。
「――ッ、避けろッ!!」
二人の先に見えた、短剣を構えるローブを羽織った人間。距離を詰め、構えていた短剣を恭介目掛けて振り下げる刹那――
――赤い触手のような液体によって、ローブの人間の首が刎ねられた。
赤黒い液体が噴水の如く吹き上がり、一瞬呆けていた恭介と結乃は目の前に倒れている人間の首が切断されたことを理解したのか、みるみると驚愕と畏怖の表情へと変わっていく。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわ、ぁ、ぁぁぁ!!」
悲鳴を上げる結乃と尻もちをついて後ずさる恭介。俺はローブの人間の首を刎ねた栞に視線を向けた。
栞の後に現れた莉世に要に時織。全員で俺の護衛をしていたのだろう。
「言ったはずよ。友達に被害が及ぶかもしれないって」
首と刎ね落とされ、ピクピクと痙攣を起こしている人間を尻目に栞は俺を見てそう言った。
「…………ッ」
何も言い返せない。俺だって分かっていたんだ。俺といたら、恭介と結乃が危ない目に遭うかもしれないって。俺が原因で起きている戦いで、二人を巻き込んでしまうかもしれないって。
けれどもあんまりじゃないか。ずっと一緒にいて信頼し合ってきた二人と縁を切らなければいけないなんて。
堪らず拳を握った。おそらくそれは表情として出ていて血の味がすることから噛んだ唇から出血しているのだろう。ただそれを理解しても力は緩まない。それほどに悔しかった。
「瑛士くん」
咎めていた時の声色とは違い、優しい口調。顔をあげると、栞が死体となったそれを跨いで俺の前へと立っていた。
「その悔しさを、忘れないでね」
「―――?」
気づけば栞の顔は間近にあった。唇に感じる、湿り気を帯びた柔らかいもの。莉世とは違った大人の女性を感じさせる香水のような香り。落ち着いた息遣いに押し付けるのではなく軽やかな接触。
それから栞は俺の唇を挟むようにして、ぬるっとした感触が唇を撫でる。ピリッとする痛みから舌で撫でられているのは俺が噛んで出血した傷口だろう。
放心に近い状態のまま、栞は離れた。
「ここに残るのは危ないわ。早く戻りましょう」
速足で離れていく栞に何やら怒りを露わにして文句を言う莉世の姿。それを気にする様子もなく、要は恭介を背中におぶり、時織は震えている結乃を横抱きして軽々と持ち上げる。
そんな中、俺はあまりの驚きの出来事に――
「……………………は?」
――ただ、呆然としていた。
あれから急遽、恭介や結乃も俺の家へと移動した。
栞曰く恭介や結乃も行使派や活用派に存在がバレてしまったとみて一人で行動させるのが危険だという。もちろん二人に対しても保守派の皆の護衛があった方が俺としてはこの上なく頼もしい。
血飛沫を浴びてしまった二人は血を洗い落とす為に風呂へと連れ、風呂からあがってきた二人に事情を説明したのが今さっきのことだ。
二人は最初、信じられないという表情をしていたが栞の説明や俺の表情を伺って真実だと受け止めたのだろう、複雑な顔をしていた。
「……分かったよ。信じる。だけどな」
テーブルの向かい、俺の前に座る恭介は栞の話に一度頷いて俺を睨み付けた。
伸びてくる手。その手は俺の胸倉を掴みあげ、恭介が立ち上がったことで俺も強制的に立ち上がる形になった。
「お前が許せない」
そう言うと思っていた。許せない、と。恭介はさっきの俺のように曖昧であやふやで優柔不断で、曲がった人間を嫌うから。
「お前にとって俺はなんだ? 結乃はなんだ? 信頼できる人間じゃないのか? お前にとって俺達は頼れる親友じゃないのか!?」
「……すまない」
「……ッ」
ただ一言、謝る俺に恭介はこれ以上罵倒しなかった。
恭介も俺の心境を理解してくれているのだ。これから先もずっと途切れることのない縁だと信じていた親友を巻き込みたくない俺の気持ちを。
だから恭介は声を押し殺している。
「もういいかしら?」
栞の言葉に恭介は掴んでいた胸倉を離す。恭介はまだ怒りを解消できてないのだろう、ずっしりと音を立てるように座り込んだ。
咳き込みながら俺も腰を下ろす。栞はそれを見て、口を開いた。
「とにかく、阿川恭介くんと橘結乃さん。あなた達にはしばらくの間、ここに寝泊まりしてもらうわ」
その発言に二人はあまり驚きの表情を見せない。事情を聞いて狙われるかもしれないという可能性からなんとなく予想できていたのだろう。
「ただ親御さんのこともあるだろうし今日は帰ってもらうけれど。阿川くんは要が、結乃さんは莉世が護衛するから安心して。そして絶対に親御さんから許可をもらって頂戴」
要が恭介に軽く頭を下げ、恭介もそれに頭を下げる。結乃が莉世に頭を下げると、莉世は「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「学校については安心して。近いうちに休校になるから」
「休校? なんでだ?」
それが確定的だというような発言に俺が疑問の声をあげると、栞はテーブルに置いてあったテレビのリモコンを取り、電源を入れた。
『速報です。現在、楔町と三虚町が何者かによる集団的な攻撃を受けています。この速報を見ている、楔町と三虚町にお住まいの方や隣町の方々は今すぐに避難を――』
テレビに映ったのは燃え盛る炎が覆う町を背景に淡々と文を読み上げていくニュースキャスター。読み上げられた楔町や三虚町は俺達が住んでいる天花町の隣町であり、背景に映る赤く染まっていたり崩れている建物は見たことがある。
これは本当なのか? 本当に、画面の向こうのように楔町や三虚町が襲われているのか?
「マジ、かよ……」
呆気に取られている恭介の声。信じられないのも無理はないだろう。今まで身近にあった町が廃墟同然といえるほどに崩れている情景を見ているのだから。
「ねぇ、瑛士くん! 見て!」
結乃に袖を引っ張られ、視線を向けるとピンク色のスマートフォンの画面がこちらへと向けられていた。真っ先に分かったのは俺達が在籍している学校の緊急掲示板ということ。
学校側が投稿した内容を見てみると、そこには不定期的に本校は休校するという旨。
スマートフォンの画面から栞へと視線を移すと、栞は一度頷いた。
「そういうことよ。それに天花町の人々は避難するでしょうけど私達は避難できないわ。一カ所に固まって隠れるしかないの」
栞が避難できないという理由は俺達まで避難してしまうと巻き込んでしまうからだろう。
それにニュースキャスターの背景に映る楔町と三虚町には何人ものローブを羽織った人間がいる。それはつまり行使派や活用派はかなりの大人数で時空超越しているということだ。世界核保守派は行使派と活用派より時空超越の準備期間が短かったことで人数が圧倒的に少ない。だからこその隠れるしかない、ということだろう。
「まずは莉世、要。二人を送ってあげて」
栞の指示に莉世は顔を歪めながらも立ち上がり、結乃と共に廊下へと去っていった。それを追うように、要は恭介を連れて廊下へと出る。
俺も廊下へと顔を出し、玄関で靴を履く二人を見送る。
「また明日ね、瑛士くん」
「またな、瑛士」
そういって手を振る二人の声は若干震えていた。
やはり命を狙われるかもしれないという現実は恐怖を煽る。不安で当然だろう。
「あぁ、気をつけてくれ」
手を振り返し、玄関の扉が閉められた。沈黙が空気を支配し、余計に不安を煽る。
要と莉世なら大丈夫だろう。分かってはいる。分かってはいるのだが、万が一何かがあったら――そう考えてしまう。
しばらく考え込んでいると、時織も靴を履いて外へと出ようとしていた。
「と、時織」
話すのが自己紹介の時以来だからか、下の名前で呼ぶのを戸惑いながらも名を呼ぶ。
時織は俺の言葉に反応し、体は向きを変えずに首だけ動かすようにして仮面をこちらに向けた。
「どこに行くのか教えてくれないか」
その発言に興味を無くしたからなのか時織は前を向き、歩き出す。
「どこにも行かねェさ。安心して眠れよ、瑛士さん」
俺の返事を待つことなく、時織は玄関の扉の先に姿を消した。
「今日は時織が監視よ。家の外を見張っているだけだから、心配しなくても大丈夫よ」
「そう、なのか」
やはり俺は不安なのだろう。自分自身で心が不安定なのが分かる。
恭介と結乃を命の危険のある出来事に巻き込んでしまい、自分のせいで楔町や三虚町に住む人々を数多く死なせてしまった。その罪悪感といたたまれない思いを抱いている人々の気持ちを考えると胸が締め付けられる。
どれだけ謝罪をしても許されることはないだろう。間接的であっても俺が平穏に過ごしてきた人々を殺してしまったのだから。
「瑛士くん」
俯き、ただ立ち尽くす俺を見かねたのだろう。栞はふんわりとした口調で名を呼んだ。
「さっきはごめんなさいね。強く言ってしまって」
さっき、というのは恭介と結乃を危ない目に遭わせてしまった時のことか。栞に強く言われたことを考えるとそれしか思い当たらない。
栞の謝罪は受け取れない。あれは俺が悪かったのだ。縁を切れと俺のことを考えて提案してくれたことを、俺は自分勝手な感情に縛られて何もできず、結果的に罵倒されてもおかしくない状況にしてしまったのだから。
「私の知る瑛士さんは、強い人だったから。でも瑛士くんは違うわ。あなたはまだ…十八歳だもの」
「栞は悪くない。俺が、もっと早く……っ」
縁を切っていればよかった。そう発言しようとしたが、それは栞の人差し指の腹が唇に押しつけられたことで制止された。
「血、止まったのね。キスが効いたのかしら?」
「な――ッ」
莉世のように悪戯心のある笑みを浮かべる栞。
なんで俺だけが恥ずかしい思いをしているんだ。唇を合わせてきたのは栞で、俺が羞恥心を感じる必要はないはずなのに――。
「ふふ、冗談よ。おやすみなさい」
変わらずの悪戯心を含む笑みをしたまま、栞はリビングの扉の奥へと姿を消した。
「……はぁ」
自然とため息が漏れる。莉世は元より悪戯心が目立ち、からかう行動があるのは分かったものの栞まで莉世ほどとはいかないものの同じような行動を取られたら身が持たない。
おまけに莉世と栞が敵対関係のような形を築いているせいでその度に喧嘩が始まるかもしれない。
「……先が思いやられるな」
そんなことを思いながら、俺は夜を過ごした。