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前夜2


「……ん?」


 真夜中、尿意に襲われて起床した俺はお手洗いで用を足した後、寝室に戻ろうと廊下を歩いていると人影を見つけた。


 屋敷の縁側、木柱にもたれ掛かり、空を仰ぐその姿。薄暗い月の光がそれを照らし、掻き上げられた髪に特徴的な仮面。黒色の浴衣姿が似合っていて、渋い雰囲気が感じられる。


 俺は黄昏れている人物に声をかける。


「時織、起きてたのか」


 掻き上げられた髪に目元だけが白い、黒を基盤とした仮面を被るのは時織しかいない。


 時織は俺に気づき、一瞥するともう一度空を仰いだ。


「瑛士さんは眠れねェのか?」


「まぁ……寝付きにくくはあるけど」


 時刻は午前一時。もう日付は変わっている。それはつまり、今日、時空超越してくる世界核保守派の仲間の護衛が決行されることを意味する。


 寝付きにくいのはそれが原因だ。護衛の成否で勝負が決まるといっても過言ではないのだから、それを目の前にして熟睡できるはずもない。


 俺は縁側に座り、時織と同じように空を仰ぐ。


「時織、誰も傷つかない世界って無理なのかな」


 今までを振り返る。恭介や結乃と別れた時や縁を切ろうとした時に襲われたこと。死んだ襲撃者のこと。


 九重弦の、俺を殺そうとする信念。腕を奪われて尚、信念を貫き通そうとする姿。


 ナナシの事情。魔女捕獲の夜で家族を失い、復讐しようとする姿。


 その苦痛も、その悲嘆も、その元凶でさえも、無くすことはできないのだろうか。


「無理だ。全員を救うことはできねェよ」


 変わらずの声色。時織は良い意味でも悪い意味でも嘘を吐かず、正しいことを言ってくれる。


「……世界はテメェを中心に回っちゃいねェ。テメェがどれだけ大切に思ってても、救えない命はある」


 それはかつて時織が俺に言った言葉だ。


 現実的な可能性を突きつけるものであり、俺を冷静にさせる為でもあった言葉。


「俺ァ……一番大切なモンを、失った。それはどうにかできるモンじゃなかった」


 空を仰いでいるのに、その視線はさらに遠くを見ているような気がした。見ているのは夜空ではなく、もっと、もっと遠い何処か。


 時織が何を見ているのか、俺には分からない。


「なぁ、瑛士さん。今日、誰一人無傷とはいかねェのは分かンだろ」


「……ッ」


 もちろん、分かっている。それをどれだけ望んでいても、叶わないものだと知っている。


 顔を俯かせたと思えば、隣に腰を下ろす時織。仮面の下から俺を見て、視線を外し、前を見据える。


「例え、誰かが死んでも……あんたは後ろを見ちゃいけねェ」


 声色は変わらないのに、その言葉は心にいかりを下ろすように重苦しいものだった。


 何故か、時織の言葉を聞き逃してはいけないという予感がある。


「あんたは俺らが生きている象徴だ。象徴はいつでも、全員の見える位置になくちゃならねェ」


 ドクン、ドクンと鼓動が速くなる。


 なんだ、この感覚は? なんで俺はこんなにも焦燥感に駆られ、泣きそうになっている?


「だからあんたは先頭にいンだよ。全員が前を向かなきゃいけねェからな」


「なぁ――ッ、時織――ッ」


 不安が、心配が、恐怖が押し寄せ、時織の名を呼ぶ。しかし時織はその声に反応することはない。


「あんたが後ろを向いたら、誰も前に進めねェ。だから、後ろだけは見るんじゃねェぞ」


 そう言って、時織は俺の頭の上に手を乗せた。


 溜まっていたものが全て流れ落ちるような感覚。不意に涙が頬を伝い、それを拭うことすら忘れるほどの喪失そうしつ感が心に残っている。


「泣くんじゃねェよ、もう十八だろうが」


「……ッ」


 わしゃわしゃと強めに頭を撫でられる。撫でるというよりは乱すに近い感覚がするが、時織からしたらこれは撫でるの部類なのだろう。


「明日に備えて寝ンぞ、瑛士さん」


 頭から手を離し、立ち上がる時織。返事を待たずに廊下を歩き出す後ろ姿。


「なぁ、時織ッ!」


 未だ消えない喪失感に堪らず声をかける。時織は立ち止まり、首だけ動かして振り向いた。


「時織は…………死なない、よな」


 しばらくの間、静寂が場を包む。すると小さく笑い声が聞こえて時織は前を向き、手の平をこちらに向けて振った。



「はは、死なねェといいなァ」



 小さくなっていくその姿。やがて暗闇の中に飲み込まれるようにして見えなくなり、木々のざわめく音だけが耳に入る。


「約束、だからなッ!!」


 誰もいない空間に響く声。聞こえていたかどうか分からないが、喪失感は未だ消えなかった。

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