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動揺




 ◐




「よし、じゃあ始めようか」


「あぁ、頼むよ」


 朝食を済ませたのち、それぞれ自由時間となった。


 買い出しに出かける人もいれば、親睦を深める目的で詩楠や梓廻、髭爺などの世界核鎮静課の人々と話したりした。


 しかし俺にそんな余裕は無い。自由時間ともなれば、俺に課せられた使命は一つ。


「要と戦うのは初めてだな」


 強くなること。俺達には強くなる為の時間が圧倒的に少ない。だから少しでも自由時間は訓練にて、無駄な時間を過ごさないようにした。


 それは恭介も結乃も同じだった。恭介は己自身である髭爺に盾の使い方を指南してもらい、結乃は魔術を莉世と、魔術学――魔術を論理的に解釈する学問――を専攻していたという梓廻に教えてもらっている。


「そうだね、お手柔らかに」


「それはこっちの台詞せりふなんだけどな」


 魔力で剣を造形して戦う俺からしたら、同じく剣士である要に指南してもらえるのはありがたい。


 早速ということで俺は剣を造形し、要も異能力で剣を発言させる。相変わらずの剣客に赤い宝石の埋め込まれた剣。


 剣を構える。


「一つ聞いていいかな」


 ふと、違和感を感じた。


 剣を構えない自然体の姿。いつも通りの爽やかな表情に中性的な声色。何も変わらないように思えるのに、本能が違和感を感じ取る。


 まるで時が止まるような感覚。吹いていたそよ風も、葉擦れの音もしない。ただただ広がる静寂の中に、要の声が透き通る。



「僕は、幸福かな」



「……こう、ふく?」


 質問の意図が読めなかった。何故、今それを聞くのか。幸福かどうかを尋ねるのか。果たしてその質問の真意とはなんなのか。


 そんな思考に浸っているとおぼろげに要の姿が目に入る。


 黒い霧のようなものが纏わりつく腕。腕だけに留まらず首元まで侵食し、ゆらゆらと揺れる。手の先にあるのは先程とは違う、真っ黒な刀身に赤と黒の宝玉。


「――ッ」


 禍々しい気を放つそれに意識がはっきりとする。目を凝らして要の姿を見るが黒い霧のようなものは無い。ましてや剣も濁っていない。


「どうしたんだい?」


 要の心配する声に首を振って返す。


 気の所為せいと思うにはあまりに現実性リアリティのあり、固唾をのむほどに恐ろしいものだった。


 まだビリビリとした感覚があり、目の前に天敵が現れた動物の警戒心の如くそれが、未だに俺の中に残っている。


 しかし今ははっきりとしている。あまり気にしないようにして、俺は要の質問に本心で答える。


「幸福じゃないと思うぞ」


 これは俺の本心だ。


「……どうしてだい?」


「要は俺を守る為に時空超越タイムリープしてきたんだ。何人もの犠牲者を出して、命を賭けてでも。それほどに、未来の俺を大事に思ってくれてたんだなと思う」


 この答えを導き出すのにあまり悩んではいない。俺からしたらこの答えは当然なものであって、寧ろ要がこの時代に幸福を感じる要素はあまり無いはずだ。


「要が幸福なのは未来の俺といる時だと思うんだ。だから、幸福じゃないと思うよ」


 すると、さっきまで感じていた威圧のようなものが嘘のように消えていた。


「……そっか」


 要の面様おもようはなんともいえない感情を秘めているように思えた。


「ありがとう」


 その感謝の言葉には、どこかずっしりとした重い何かが込められていたような気がする。



「いてて……剣って振るだけじゃないんだな」


 湯気の立ち込める銭湯のように広くはないが、狭くもない浴場で呟く。


 体を洗い終え、度々痛んだ体の節々を押さえる。


 要に相手をしてもらった結果、惨敗。とはいえ何度かチャンスはあったし、多少なりとも剣に慣れてきてる。


 しかし思えば要は剣をあまり振らず、体当たりや足を踏んで行動を制限してきた。剣を振り切ることはできないから体術で攻めてきた可能性を考えると、俺を斬るチャンスなどいくらでもあったのかもしれない。


 そう考えるなら俺はまだまだだ。要に勝てるとは到底思えないが、まだ強くなれるはず。


 今度はどう攻めようか、と考えながら立ち歩き、浴場の奥にある扉を開き、隣にあるスイッチをオンにしてから足を踏み入れる。


 そこにあるのは円形で木製の浴槽。シャワーと浴槽が別部屋になっていて、ここでは湯に浸かりながら外を眺めることができる。月が顔を出していて、肌寒い風が吹いていることから少々身震いするが、俺は趣深い浴槽に浸かった。


「ふぅ……」


 疲れが吹き飛ぶような安心感に大きい息を吐く。お湯は熱いと感じるが入れないほどではないのがまた良い。


 窓から微かに入る月の光と、暗めの電球色が程よい雰囲気を醸し、落ち着くには絶好の条件だ。


「……ん?」


 しばらく湯に浸かってまったりしていると、浴場の電気が消えた。


 誰かが浴場に人はいないと思って消灯したのだろう。別に電気が消されても浴場の入り口とここの扉までは一直線だから問題はない。


 すると、浴場から水を踏む音が聞こえる。


 その足音がしなくなったと思えば電球色の電気が消え、浴槽のあるこの部屋を照らすのは月光だけになり、視界が薄暗くなる。


「あ、入っ――」


 浴槽に浸かっていることを伝えようとして声を出した瞬間、扉が開かれた。


「え?」


 薄暗い視界の中、見えたのは揺れる長い髪にバスタオルを巻く姿。身長は俺より少し低いくらいで、その条件から人物を割り当てる。


「し、栞だよな? すぐ出るからもう少し待ってくれ!」


 心許こころもとない月光を頼りにして目を凝らすと、扉を開いて入ってきたのは栞で間違いない。


 少し俯き気味で、立ち止まり、こちらを見る栞に俺は顔を逸らす。


 するとピチャ、ピチャと足音が響き渡る。


「――ッ!?」


 栞の取った行動に驚愕し、声がつっかえて息を飲み込んだ。


 栞は浴場へと引き返すことはなく、人がいると分かりながらも木製の浴槽を跨いで俺と正対するように湯に浸かった。


「え、な、なんッ」


 俺は即座に前を隠す。バスタオルを巻いている栞はともかく、タオルを巻いていない俺は隠さなければ全裸だ。当然羞恥心を持ち合わせいるから、見られるのは恥ずかしい。


 戸惑っているのが伝わってるであろう栞はそのまま身動きせず、俯いていた。


「……栞?」


 栞の様子がおかしいことに気づき、名前を呼ぶ。しかし反応は無く、俺が前を隠すために体を丸めるようにしてから数秒。


「ねぇ」


 栞は小さく呟いた。その声はどこか悲しげにも感じたが、冷淡なものにも思えた。


 すると栞は膝で歩きながらせまってくる。その行動の速さに言葉が出せず、ただ見守るように体が動かない。


 やがて栞は俺に覆い被さるようになった。俺が背にしている木製浴槽のふちに手を置いて、逃さないとでもいうかのように。


 小さく開く色っぽい唇に長い睫毛まつげ。月光に当てられて艶が目立つ黒髪から水が滴る。バスタオルとの隙間から見える谷間が色欲を刺激し、顔の横にある華奢な腕、そして肩や鎖骨、首元、何から何までそそられるほど美しい。


 しかし、何かが違う。


「いい?」


 その言葉にどんな意味が込められているのかは簡単だった。


 心中しんちゅうが性欲衝動と"何かが違う"という感覚に混乱し、俺はただ固まることしかできなかった。それを見かねてか、栞は首に顔を埋めてくる。


「ぅ、く――」


 唇が首に触れ、体が密着してこそばゆい感覚に声が漏れる。


 栞のこの行動は誘ってきていると見て間違いない。ほぼ全裸である栞が、全裸の俺に体を密着させてきて、さらには撫でるように唇を押し付けてきているのだ。


 それでも行動にできないのは、未だに残る違和感のせいだ。


 栞は一旦距離を置き、手を伸ばして俺の肩に触れる。撫で下ろすように体を這って、脇下、横腹――そして、太腿ふとももに触れたところで、俺はその手を拒む理由を得た。


 その手を掴み、栞の瞳をじっと見つめた。


「なんで泣いているんだ?」


 ほんの小さく、消え入りそうな嗚咽の声。俺はそれを聞き逃さなかった。


「これは……本意じゃないよな」


「…………ごめんなさい」


 その謝罪はこの行動についてのものでもあり、理由を話せないことについてのものでもあると俺は理解した。


 俺は栞の手を離すと、栞は手を引いて立ち上がる。


「頭を冷やさせて」


 そう言うまでの間、栞は一度も俺の目を見ない。話す気がないのは理由があるからだろう、追求するつもりもない。


 それでも、今にも大粒の涙を零しそうな瞳を無視できるほど酷い人間じゃないんだよ。


「頭を冷やすなら、風呂じゃないのか?」


 立ち去ろうとする栞の手を掴み、小さく笑いかける。そこでようやく、栞は俺の目を見た。


 顔がくしゃっと歪む。涙が溢れるのを見られたくなかったのか、栞は顔を逸らし、それでも俺の言葉に従うように湯に浸かる。


「……誘ってるのかしらね、それは」


「そんな勇気ないぞ?」


 栞は小さく笑って窓に向くように体を半回転させた。俺もそれに合わせて背を合わせる。


「ねぇ」


 今度は悲しげでもなく、冷淡なものでもない。普段の栞の声。変わらない、透き通った芯のある声。


「月が、綺麗ね」


 どこか含みのあるようにも感じたその一言。


 栞が何を考えていたのか俺には分からない。どんな理由で行動し、どんな結果を待ち望んでいたとしても、栞が話さないのなら、俺は待つだけだ。


 俺に月は見えない。しかし、返す言葉は決まっている。


「あぁ、綺麗だな」




 俺はその時、光の無い浴場でただ立ち尽くす誰かの存在に、気づいていなかった。

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