ナナシ
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「ここね、車を止めて」
栞の位置を指定する発言に時織は頷き、車を止める。
車を止めたのは片側一車線にしても狭い道路。その先にはメインストリートが広がっていて、普段都心に赴かない俺でも知っているような交通の往来として機能する道路だ。
次々と車から降り、辺りを警戒しているのか栞と時織はきょろきょろと視線を泳がす。敵の気配が無いのか、しばらくすると自然体へと戻った。
「ここからは徒歩よ。あなた達に世界核の出現場所を見せたいから、目標は高層ビル屋上。小道を通って行くから音を立てないこと、いいかしら?」
栞の注意に俺達は頷いた。
「それじゃあ行きましょうか」
栞を先頭にして次に恭介、莉世、結乃、俺、そして最後尾に時織。道路に並ぶ雑居ビルの隙間、薄暗く幅の狭い通路を進んでいく。一見、直線上に進むしかないと思えば右折し、目的地を目指して進んでいく。
栞と時織が一度偵察に行った時に見つけたのか。にしてもよくこんな道を見つけたものだ。俺なら裏路地に入ることすら考えもしなかっただろう。
「水溜り、音出さないように気をつけてね」
地面に視線を移すと雨樋から漏れているのか、水が溜まっていた。音を出さないように意識しながら裏路地を進んでいくと、遠くから甲高い金属音が耳に入る。
「おい、女猫」
時織の声に栞は足を止めた。
「えぇ、分かってるわ。行きましょうか」
それだけで莉世と栞の中では認識できるようなものがあったようで、栞は再び足を動かす。それを俺達に言わないということは、言う必要が無いからだろう。
しばらく歩き続けると、見上げても見上げたりない程の超高層ビルが聳え立っていた。そこが目的地のようで、栞は『血流操作』でビルの壁に穴を開け、踏み入れる。
「ここから気をつけて。見晴らしのいい高所は占領されてる可能性が高いから」
血液を近くに忍ばせる栞とロングコートから銃を取り出す時織に感化され、俺は魔力で剣を造形する。それに続くように恭介は『神格の防御盾』を発動させ、結乃は手の平の先に魔法陣を展開させた。
エレベーターは危険だと判断した栞は階段を上り、それに続くようにしていたが溜め息を吐きたくなるような問題が発生した。
「恭介、それ邪魔じゃないか」
「……すんません」
恭介も薄ら気づいていた。等身大ほどもある盾が邪魔で後ろがつっかえ、まともに進めない。恭介は盾を消滅させ、早足に階段を上った。
「女猫、危険じゃ」
大体七分目といったところか。それほど階段を上って莉世がそう呟いた。
「えぇ、この感じは嫌ね。けど、進むしかないの」
占領されている可能性の高い高層ビルを包む静寂。ここまで音が無いと不安にもなる。
それから何事も無い事実と妙な静寂に不安を募らせながらも、階段の最果てに辿り着いた。目の前にあるのは屋上へと繋がる扉。
「行くわよ」
扉の手前、六人程度が収まる空間の踊り場を血液が浸す。栞は勢いよく扉を開け、一歩踏み出した。
◑
夜空は酷く汚れていた。雲は見当たらないのに星が数える程しか見えず、不穏さを感知させ、時々吹く、目を細めたくなる強い風はそれをさらに増した。
そんな中、そんな夜空に都心で二番目に近い七十階の超高層ビル屋上に栞達はいた。扉を開けて踏み出したが目の前には広大な直昇飛機発着場。中央にアルファベットのHが黄色で書かれている。
警戒を怠ることなく中央へと進む。広がるのは靄がかっているように見える夜空とコンクリートの地面。敵は目視できていない。
「……こりゃァ」
しかし栞と時織、莉世は気づいていた。
超高層ビル屋上の一つ下、百七階の窓の傍にある敵兵の気配。ローブを風に揺らす敵兵が、一斉に屋上へと飛び上がった。
「やべェじゃねェか」
辺り一面に宙を舞う敵兵の数々。着地したかと思えば真っ先に瑛士を狙って走り出す。
「瑛士くんを守って!!」
次々と襲い来る敵兵を蹴散らす三人。応戦するようにして盾で攻撃を防ぐ恭介と、展開していた魔法陣から魔術を放つ結乃。瑛士も又、造形していた魔力の剣で敵を倒す。
「ぐ……っ」
「くぅ……ッ」
戦い慣れている三人はともかく、実戦は初めての三人は苦戦していた。まず敵を殺してしまうことを躊躇し、押し返すだけの見窄らしい攻撃。
そんな三人を庇うように戦い続けるが、強者にはその隙が見えていた。
「がっ!?」
「瑛士くん!?」
高速で栞と時織の間を突き抜け、結乃と恭介を躱し、莉世を押しのけて瑛士の首に腕をかけて連れ去る一つの影。
その影は瑛士と共に約三百メートルもある超高層ビルの屋上から宙へと身を投げ出した。
「な、……ッ!!」
数百キロにも及ぶ速度で落下する瑛士は冷静に考える。
自分が死んでは元も子もない。この状況を生き延びるにはどうすればいいか。
まず瑛士は状況を考えた。超高層ビルから飛び降り、突風を受けながら落下している。目の先に見えるのは隣の高層ビルの屋上。もちろん叩きつけられたら待っているのは死だ。
「ちっくしょう!!」
瑛士の頭の中に思い浮かんでいた方法はただ一つ。それもイチかバチかの賭けではあったがすぐさま行動に移す。
体を天に向けて後頭部を守るように腕を交差させて後ろにまわす。集中して魔力の流れを掴みとり、自分の背後に魔力を放出した。
「が、ァッ!!」
体が屋上に叩きつけられる。心臓にまで響くその衝撃に激痛の声を漏らすがすぐさま起き上がることができた。
魔力で剣が造形でき、人を斬れるほど鋭くできるのなら、自分の身を覆うようにして柔らかく造形できるのではないかという考えが瑛士の賭けだった。実際に痛みはあるが骨が折れているような最悪の事態は無い。これは、成功だ。
「く……っ」
高所からの飛び降りを感じさせない緩やかな着地。背中を見せる敵にズキズキと痛む肩を押さえながら正視する瑛士。ローブを羽織る明らかな敵は振り返った途端、強い風が吹いてフードが取れる。
「貴様が、八雨瑛士か」
月光の下で煌びやかに靡く銀色の髪。笑うことを知らないような無表情はどこか冷酷さを感じさせる。赤黒い瞳は光が無く、まるで憎悪と怨恨に塗れたそれを持つ男は瑛士を見据えていた。
「……ξιφος」
剣を造形する。今まで通り、栞との訓練で使っていた剣。実戦を模して訓練していたことで多少なりとも戦えるようにはなっている。
瑛士の表情に余裕はない。男はそれを見透かしても尚、攻撃をしかけなかった。
「お前は未来、人を殺し尽くす。男女を問わず、老若を問わず、泣き叫ぶ声も、助けを求める声も聞かずに」
それは己の体験を元にした発言だった。男はかの大災厄、魔女捕獲の夜の首謀者が八雨瑛士だと思っている。だからこそ、男は憎悪と怨恨を瑛士に向けていた。
「魔女捕獲の夜――それがお前の罪状だ」
「……何を言って」
しかし、それは間違っている。盛大な誤解だ。瑛士は魔女捕獲の夜という大災厄の概要を栞から聞き、それを起こしたのが魔女の集会だということを知っている。
だからこそ、男が何を言っているのかが分からない。
「俺は魔女捕獲の夜の被害者だ。産み落とされた瞬間から家族を失い、八雨瑛士を殺すことだけに生きてきた人間だ。よって――」
男の雰囲気が変わった。痛いほどピリピリと感じる威圧感に瑛士は剣を構える。
「――お前を、殺す」
「――ッ!?」
付与魔術が下腿と拳に施された男に一瞬で距離を詰められる瑛士。あまりの速さに驚きながらも顔めがけて突き出された拳を辛うじて避ける。
振り下ろした剣を男は体を僅かに逸らして避け、猛襲する。急所を狙った拳の攻撃に瑛士は体をズラし、腕で防御して距離を取る。
「ぐっ!!」
さらに追撃をかける男。反応することができず、繰り出された横蹴りが瑛士の体を突き飛ばした。
「く、げほっ!」
胃の中にある液体や口にしたものが逆流する感覚に瑛士は首に手を添える。口内に広がる血の味は口の中が切れたことによる出血。器官が傷ついていないことが分かり、瑛士は一旦安堵する。
距離を詰めず佇む男は瑛士の様子を伺っていた。
「腐れた話だ。あそこまで強くなった男が、その力を虐殺に使うとはな」
「何を、言ってッ、るんだ……」
口の中に溜まる血を吐き出す瑛士。疑問の声を上げる瑛士を見つめながら、男は自然体で次の言葉を待つ。
「魔女捕獲の夜は、俺達が起こしたんじゃない……」
瑛士のその言葉に、男は分かりやすく眉を顰めた。
「魔女の集会が起こしたんだ……俺達じゃ、ない」
「……時間稼ぎの発言であれ、仲間に嘘を吐かれているのであれ、そう思い込んでいるのならば憐れな男だな。まぁ、いい」
男は瑛士に向かって歩き出す。間合いに入り、瑛士は剣を振るうが腕を掴まれて捻られ、剣を落とすとそれは霧散するように消えた。
「であれば誤想して死ね。貴様が死ねば、そんなことはどうでもいい」
「ガッ、ア゛アァ゛ァ!!」
男の手が瑛士の首を掴む。そのまま体が宙を浮かび、血管が浮き出るほどに強く力が込められ、喉が潰されそうになる痛みと呼吸ができなくなる息苦しさに瑛士は暴れた。
「グ、ガ、ッ、ア゛…ッ」
「貴様がいなければあの大災厄は繰り返されない。誰も、死なずに済む。俺の親も、他に死にゆく命も」
瑛士は意識が薄れていく寸前、あることを考えていた。
この男も、誰も傷つかなくていい世界を望んでいるのではないか? 平和を掲げて共に戦えるというのに、すれ違っているだけではないのか。誰も死なないことを望み、他人の命でさえ救おうとするような、自分と同じ人間ではないのか。
なんで、こうなってしまったのだろう。きっと分かり合えたはずなのに。
「貴様さえいなければ、この世界は――ッ!?」
この世界は平和だった。そう紡ごうとした男は上空から一直線に頭上に落ちてくる影に気づいて瞬時に瑛士の首を離し、距離を取る。
ドゴォン、とコンクリートが破壊される音が響き渡り、瑛士の落ちそうになっていた意識ははっきりとした。目の前に映るのは見たことのある等身大まである巨大な盾。
しかし、それを持つ人間の背中は知っている人物とは違う。
「おー、随分反応いいじゃねえか。やるねえ兄ちゃん」
無精髭が目立ち、四十代程度に思える顔つきだがその表情はどこかあどけなさを残している。肩幅の広いがっしりとした体型に膝ほどまで丈のある白のロングコートを羽織っている。堅実な雰囲気を感じるまるで騎士服のようなそれに、グレー色の髪が後ろで結ばれていて、背中ほどまであることから男性とは思えないほどの長髪。
「つか瑛士、若ぇなぁ! 懐かしいわ!」
「え、だ、誰……なんだ?」
瑛士は自分の名前を知っていることに驚き、最初に世界核保守派の仲間が時空超越してきた可能性を考えた。しかし栞達からそんな情報は聞いていない。
すると、次々と上空から瑛士に背を向けるようにして着地する。
瑛士を救った男は振り返り、あどけない笑顔を見せて言う。
「俺は国家公安局世界核鎮静課部長、阿川恭介よぉ。このあどけない笑顔、覚えてるだろ?」
「……きょう、すけ?」
聞き覚えのある、というより毎日聞いている名前に瑛士は呆然とする。阿川恭介という名前に、瑛士に対して"若い"、"懐かしい"と言っている。それから予想されることは。
「み、未来の恭介、なのか!?」
「おう、そうだぜ」
瑛士に対してそう言えるのは時空超越した人物に限られ、かつ知っている人物に限られる。それならば、見覚えのある巨大な盾を持っているのも頷ける。
「ま、ともかく……詩楠、コイツ連れてくれ」
「はい」
恭介の後に現れた人々の一人、詩楠と呼ばれた女性が瑛士の体を支えた。
「私は国家公安局世界核鎮静課所属、藍咲詩楠と申します。以後お見知りおきを」
名前から取ったような藍色の髪は前髪が水平に切られていて、キリッとした目が瑛士の顔を覗く。恭介と似た騎士服がよく似合っていて、淡々とした声と凛とした表情から冷静沈着な性格をしていると予想できる。
「え、あ、あぁ」
「失礼します」
藍咲詩楠と自己紹介した女性は瑛士の腕を自分の首に回し、後方へと下がる。瑛士が首を動かして銀髪の男を見るが、引く様子はない。
とはいえ自分ができることはなにもない。寧ろここで出しゃばる方が足でまといになると考え、瑛士は詩楠に体を預けた。
「さぁて、兄ちゃん。この人数相手にどうすんだい? 俺は逃げるなら追わねえ主義だ」
「……チッ」
さすがにこの人数差は勝ち目は薄いと判断したのだろう、男は舌打ちをして構えるのをやめた。
「八雨瑛士!! 俺の名はナナシだ! 次、会った時がお前の最期だ」
瑛士に聞こえるような声量で男は言い、フードを被って背中を向ける。屋上から飛び降りて姿を消し、恭介は盾を消滅させた。
「なーんか、ごちゃごちゃしてんなぁ」
面倒臭そうに顔を歪ませて頭をポリポリと掻く恭介。すると戦闘を終えた栞が血液を利用して衝撃を緩めることによって、恭介のいるビルの屋上へと着地した。
「瑛士くんを助けてくれてどうもありがとう。誰かは知らないけれど……感謝するわ」
「……う」
一部始終を目撃していた栞は恭介に攻撃することもなく、まずは礼をする。恭介はその姿を見て声を漏らし、硬直して数秒。
疑問に思い首を傾げた栞。それを見て、恭介はさらに衝動を加えられた。
あまりの衝動に抑えきれず、恭介はただ一言。
「すっっっっっげえ綺麗じゃないですかお姉さん!!!!!!」
「……は?」
栞が顔を引きつらせた後ろで、国家公安局世界核鎮静課の人々は大きい溜め息を吐いていた。
 




