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志軌要――腐れ縁3


 暗くなった世界から引き戻される。世界はまたも一変し、見ていた夢と同じような場所ではあるが心酔している姿も怯える姿もない。


 あるのは、手の平を上にして祭壇に座る優華と僕の隣に並ぶ桃李の姿。優華の『夢見心地(エニュプニオン)』によって見せられていた夢が覚めたようだ。


「君は、意地悪だな」


 夢の続き、振り下げられた剣は彼らを切り裂くことはなかった。突如として現れた八雨瑛士さんに腕を掴まれ、制止させられたからだ。


 組織とも呼べるほどに拡大していた実父の宗教集団は、世界核保守派として世界の平和を望んでいた瑛士さんに目をつけられていた。瑛士さんが粛清しゅくせいしようとした瞬間が、たまたまその時だったというだけ。


 それから優華と桃李は共に逃げ、瑛士さんに実父を殺された僕は世界核保守派に引き取られ、今に至る。


「こうでもしないと、君は真面目に戦わないだろうからね」


 君は過去を見せることでこの決闘の真意を告げようとしたのだろう。これが、どれだけ重要なものであるかを。


 君と過ごしたのは約一年間。君は僕のことを分かっていない。


 僕はあの日から一日たりとも忘れたことはない。思い出さなかった日などない。一生心に留め続け、死んでもなお、後悔し続けるような出来事だ。


 告げられなくても、わかっているよ。


「……不要なことだったね」


 どうやら僕の顔を見て気づいたようで、優華は小さく笑った。


「旧友に掛ける言葉はあるかい?」


「ない」

「ないよ」


「では、始めようか」


 いずれ来ると分かっていただろうに、どうしてここまで悲しいものか。かつては離れている時間の方が短いくらい、時を共にしただろうに、こうして剣を交えようとしている。


 しかし、これは僕の運命なのだろう。過ちを犯した僕の、然るべき運命なのだ。


 それならば、受け入れようではないか。


「構え」


 歩き出し、入口の前で足を止める。振り返ると、桃李は優華を背にするように立ち、僕は入口を背にするようにして立つ。


 『呪縛の四肢(ダーインスレイヴ)』を発動させる。剣客に赤い宝玉が埋め込まれ、つかには金色の紋様に刀身は窓から差す月光を反射させている。


 それに応じて桃李は異能力『救済の四肢(クラウ・ソラス)』を発動させた。剣客に青い宝玉が埋め込まれ、柄には銀色の紋様に刀身は窓から差す月光を反射させている。


 彼も同じ、剣士の異能力。戦う準備の整った僕達は剣を構える。


 今、彼は何を考えているだろうか。何を思っているだろうか。自分を殺そうとした相手を前に、昔は親友だった相手を前に、どうしようとしているのだろうか。


 おそらく僕と同じだろう。君を殺そうとした僕でも、同じことをしようとしている。


「――始め」


 それはただ一つ。旧友を倒し、想い人を手に入れることだけだ。




 ◑




 双方の剣が非対称に交わされ、キィンとけたたましい音が響き渡る。その鍔迫つばぜり合いを制したのは志軌要。後方に小さく飛び上がり力をいなした弥希桃李。要はさらに力を押し付け、桃李は約三メートルの距離を後退させられた。


 小さくとも飛び上がった状態を見逃すはずもなく、要は即座に前傾姿勢で足を踏み出す。それを理解していたかのように桃李は剣を突き出した。


「――ふんっ」


 しかし志軌要の方が一つ上手うわてであった。首をめがけて突き出された剣をさらに姿勢を低くすることによって回避し、懐へと入る。


 右下段からの切り上げ。その斬撃は桃李の左腕を切り落とすかと思われたが、要は視界の端に映った切り下げようとしている桃李の姿を見て軌道を変え、剣を跳ね返す。


 その衝撃をもって桃李は今度こそ確実な距離を取る。そして、二人は構えた。


「どちらかは死にゆく命。これは道理であり、真理ともいえる。よって変わることはない。そこで一つ、問おうか」


 問おうというのに変わらぬ剣を構えるその姿。変わったことといえば、その顔は冷静なものから打って変わり、怒りに塗れたことくらいだ。


「降りる気はないか」


「ないね」


 投降を示唆する発言にすかさず否定を返す。一瞬、物悲しげに目を閉じた桃李の心境がどのようなものであったかなど、要は容易に理解していた。


 そしてまた、要も同じような心境であった。


 殺し合いをしなくてよいのなら、喜んで剣を収める。お互いがお互いにとって掛け替えのない存在であり、親友であることになんら変わったことはない。


 それでもお互いが譲れないのは祭壇で傍観する女性にあるのだが。彼女はただ見つめるだけで、止めようともしない。


「そうか」


 桃李が足を踏み出す。首のど真ん中を貫くように突きを放つが軽々とかわす要。伸びきった刀身を下から跳ね上げ、崩れた体制の前で遠心力を利用し体を回転させて繰り出した一振り。そのまま剣で受けた桃李は力に抗えず吹き飛ばされる。


 ベンチをいくつも巻き込み、壁へと激突。砕けた壁と立ち上る煙の中から光が伸びた。


「ぐ……っ」


 瞬間的に現れた桃李の怒涛どとうの剣撃。右、左、下、上とありとあらゆる方向から繰り出されるそれを受け止め続ける。


「――ハッ!!」


 受け止めきることを不可能だと感じ取った要は魔力を下腿に付与、左方の斬撃に合わせて右に飛ぶ。距離を取った要に追撃しようとする素振りを見せず、桃李は剣を下ろした。


「俺はお前を理解していたつもりだった。お前は順良じゅんりょうで決して驕らず、優雅であり、間違いのない人間だと。あの日までの俺は、そう思っていた」


 言葉を終えると桃李の体が強張る。剣の柄はこれでもかというほどに力強く握り締められ、怒気を体現するように顔を歪めた。


「少なくとも、あの日まではそうだった。そのことを、何よりも、誰よりも俺が知っていた。だというのに――」


 あの日とは、彼らが別れた日を指している。親友に剣を振り上げ、殺めようとした日。共に歩んでいた道に分岐点が現れた日。


「――貴様は親友と想い人を裏切った!!」


 風が巻き起こる。それは放出された魔力を纏い、桃李の周りを風の流れるままに漂った。やがてそれは周りを巻き込み、内壁にひびをいれ、置物を次々と吹き飛ばした。


「答えろ、志軌要!! 貴様が愚行を犯した理由を!!」


 桃李は知らない。いいや、気付かなかったのだ。要の本質ともいえる狂信を。無意識に隠し、心の奥底へと封印した心酔を。


 とはいえ、気づいたところでどうしようもないことだと要は知っている。今から伝え、許しを請うことをしても、改善されることはないのだから。


 要に植え付けられた心酔とは、そういうものだった。


「自意識だよ」


 要は吐き捨てるように言った。


「僕が殺したいと思ったんだ。だって君は眩しいし、彼女は美しかったから。そんな君達が隣にいると、幸福でしかない。それは、悪いことだ」


 嘘でもあり、本当でもある。要にとって桃李とは常に突き進み、道を作る先導者であった。優華とは常に秀麗であり、才能に驕らず努力を惜しまなかった。


 何より、そんな二人と共に過ごして幸福であった。


 それは悪いことだ。それは、悪いことだ。要は、幸福であったが故に堕落した人間を知っている。


「なぜなら、幸福とは絶望の一歩先に足を止めることだから」


 風が巻き起こる。要の体内から溢れ出る魔力は風に巻き込まれて宙を舞う。存在を拒むように置物を飛ばし、足を置く地面は圧に耐え切れず粉砕された。


 桃李は俯いた。やはり、分かり合えないのだと。僅かに存在していた"もしかしたら"が消えたことに悲壮ひそうしながらも、心の在り方を定めた。


「分かったよ」


「あぁ」


 その一言で十分だった。これ以上、分かり合えることはない。互いにそう思い、納得したのだ。よって、これから彼らの本当の戦いが始まる。


「――『救済の剣(クラウ・ソラス)』」


 それは光の剣。ありとあらゆる繁栄と栄光を願い、かざされる神々によって創成された救済の剣。神々《こうごう》しく輝く絶世の刀身に、金色の剣客には繁栄を表す緑の宝玉、栄光を表す黄色の宝玉。『救済の四肢(クラウ・ソラス)』の真髄が、桃李の手に創出された。


「――『呪縛の剣(ダーインスレイヴ)』」


 それは闇の剣。ありとあらゆる破壊と絶望を尽くし、翳される神々によって創成された呪縛の剣。禍々《まがまが》しくにごる絶世の刀身に、黒色の剣客には破壊を表す赤の宝玉、絶望を表す黒の宝玉。『呪縛の四肢(ダーインスレイヴ)』の真髄が、要の手に創出された。


 『救済の剣(クラウ・ソラス)』は救済することにより剣を離すことを許され、『呪縛の剣(ダーインスレイヴ)』は冒涜することにより剣を離すことを許される。


 その真理によって、この決闘における勝者は、一人のみ。


 ここに、想い人を賭けた親友同士の決闘が始まる。


「行くよ、桃李」

「行くぞ、要」


 その決闘とは人間の次元を超えたものであった。


 剣を交える度に耳をつんざく轟音が響き渡り、交えたにも関わらず両者後方の壁は切りつけられたかのように破壊された。巻き起こる暴風はいとも簡単に西洋風のベンチを持ち上げて投げ飛ばし、鎌鼬かまいたちの如くそれは教会を支える柱の数々を欠けさせた。


 時として地を走り、時として宙を舞う。それでも尚、勝利を得ようとする二人は

剣を重ね合う。


 目に追えない速度で飛び交う刀身の合戦。化物のように剣を振るう二人を、優華は目に焼き付けていた。


 これが、最後の姿。戦うべくして戦う、愛した二人の勇姿。目を離すことができるものか。逸らすことなどできるものか。


 どちらかが勝ち、もう片方が負ける。どちらかが生き、もう片方が死ぬ。その両極端の境界で争う二人を、他の誰でもない自分が見届けなければならない。


 優華は溢れそうになる涙を抑え、ただ見届ける。


 決死の覚悟で始められた決闘の末、立っていたのは。


「僕の、勝ちだ」


 仰向けに倒れる桃李を見下し、呟く。


 この決闘の勝者は、志軌要だった。


「……俺は、負けたのか」


 『救済の剣(クラウ・ソラス)』に段々と取り込まれていた腕が解放されていく。救済を終えていないというのにも関わらず、真理に抗ったということは完全な敗北を意味する。


 敗北したことを悟る桃李に、要は何も言わない。敗者にかける言葉など、同情以外の何物でもない。


 要の腕は禍々しい真っ黒の影が侵食していた。さらにそれは進み、首へ、右半面を侵食する。


 それは『呪縛の剣(ダーインスレイヴ)』の真理。桃李を殺さなければ、侵食は止まらず、要は『呪縛の剣(ダーインスレイヴ)』に取り込まれる。


 要は何度もささやかれていた。「殺せ」と。『呪縛の剣(ダーインスレイヴ)』はそれを望み、それを以て力を貸した。


 しかし、要は剣を振り上げない。


「分から、ない…………分からない、んだ」


 ヒュー、ヒューと虫の息で言う桃李。敵である要に声を届けようとしていた。


「俺、たちは…………友、なのに」


 そこでようやく、桃李は本音を呟いた。


 志軌要は、友だ。信頼している友だ。これ以上のない、親友だ。なのに。


「どうして……」


 どうして、戦わなければいけなかったのだ。あんなにも、共に過ごしてきたのに。俺達は、最高の親友なのに。


 そんな言葉ですら紡げない。それほどに弱っていた。


「かな、め………………」


 力無く、震えた手を伸ばす桃李。その先はしっかりと自分を見据えながらも口を閉じ、無表情を徹する要の姿。


「……―――」


 その手は握られることは無かった。


「……終わりか」


 侵食していた『呪縛の剣(ダーインスレイヴ)』はガラスが罅割れるように剥がれ落ち、やがて剣本体ですら消えていく。


 もう動くことのない親友を前に、要はそう呟く。


 そう、終わったのだ。親友同士の、十数年にも及んだ信念のぶつけ合いが。


 要は天を仰いだ。支柱を無くした教会は崩れ落ち、見上げると星一つない穢れた夜空が広がっている。


 視線を祭壇へと向けた。教会は崩れたと思っていたのに、祭壇へと繋がる階段から神聖の象徴であるバラ窓までは一切の被害を受けていないようだった。


 ステンドグラスが鮮やかに彩る手前、祭壇に依然として佇む優華へと歩を進める。


「――悔しいかい」


 祭壇の前で優華をあがめるように立ち尽くす要を前に、優華は呟いた。


「いいや、悔しいだろうね。大切な親友を殺し、それでも救われないと知ったのだから」


 まるで見透かしたかのような優華の発言。要はその口ぶりから、全てを悟った。


「ともあれ、君は勝利した。よって、私は君のモノだよ、要」


 そうして優華は祭壇から降りた。それは勝利した一人が優華を手に入れるという約束事が達成されたということだ。もう、優華は崇められる対象ではなく同等の立場なのだ。


「それでも、救われないかい」


 彼女は、全てを知っている。何故、親友と想い人を殺めようとしたのかを。そうまでしようとした原動力とはなにかを。これまで、要が進んできた道がどれだけ悲惨なものであったかを。


 やはり、彼女は美しい。全てを知っていても、逃げ出さないのだから。


「僕は――ッ」


 その美しさに顔を俯かせた。要にとって、それは自分が眺めていいものではないから。心酔した狂信者が拝んでいい美しさではないのだ。その美しさは、自分自身を壊すようなものだ。


 俯かせた顔が歪む。その表情に先程まで化物の如く強さで戦っていた面影は無い。


「君、を――」


 言葉を紡げない。それは、弱いからだ。まだ決心がついていないのだ。それでも、悪魔は囁く。


「何も言わなくていい。君が惚れたのは強い女なのだから、分かっているよ」


 下らない記憶だ。穢らわしい過去だ。分かっている。分かっているのに――。


「私は愛の為に死ねる女さ」


 悪魔は言う。「殺せ」と。


「僕は――」


 そして秘め続けた狂気は支配する。


「――幸福に、なってはいけないんだ」


 涙が溢れた。月光で輝くしずくが頬を伝い、ポタポタとこぼれる。今にも嗚咽しそうで、ひたすらに抑えた。


 要は剣を創成し、振り上げる。


 その姿を見て、優華は小さく微笑んだ。


「君は――変わらないね」


 穢れた夜空、月光のもと――――その剣は振り下ろされた。




 心酔してから数十年、彼は依然いぜんとして狂信者であった。それを知る者はもうおらず、救われることはないと理解し、彼はただ立ち尽くした。

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