志軌要――腐れ縁
○
「僕が行こうか」
疑問形ではない明らかな希望の意思を含む主張に、栞と時織は察してくれたのか頷き合って了承の意を見せた。
思い詰めるような険しい表情のまま一瞥する栞と、こちらを見向きもしないが心の底では穏やかでないだろう時織。僕が敵を迎えようと主張する理由を、彼らは知っているからこそのものだ。
その時、彼らがどんな想いで了承したのか分からない。しかしそれは僕を尊重してくれた結果であり、小さく笑みを零す。
窓の外、地上三十メートルほどのビル屋上に見える人影。《《僕に照準を定めて》》魔術を放った人間がこちらを見下ろしている。敵との距離では顔は伺えないが、それでもその視線は僕に向いていると予想できる。
開けた窓から身を乗り出し、窓枠に足を乗せて下腿に魔力を付与する。窓枠を蹴り、一気に跳躍して敵を飛び越した。
タンッと着地して振り返る。敵はまだ背中を向けたままで敵意を見せず、僕もそれに応えるように『呪縛の四肢』を発動させない。
敵が僕を眼前にして構えず、僕が敵を眼前にして異能力を発動させない理由。
それは至極単純な話。ここは僕達の戦場ではないからだ。
「移動するぞ、要」
「そうしようか」
敵の声に賛同する。本来なら有り得るはずのないこの行動も、僕が敵と表現している相手に理由がある。
「桃李、生きていたんだね」
弥希桃李。愚の伝道師に心酔していた僕の、腐れ縁の名前。そして、僕が殺そうとした彼の名前。
「…………」
桃李は何も言わず、ビルの屋上を転々とするようにして去る。
「……はは」
やっぱり、そうだよね。あんな罪を犯してしまった僕を、君が許すはずがない。
締め付けられる胸を無視するように、僕は追う。いつか殺し合うだろうと理解していた人間の、その背中を。
やがて場所は変わり、桃李が足を止めたのは都心の中にあるにも関わらず周りは木々に囲まれ、静謐な雰囲気を情感させる教会だった。
戦場と呼ぶに相応しくない綺麗な外装をしていて、教会の入口へと繋がる石貼りされた通路は神聖な風情を感じる。その通路を挟むように丁寧に芝刈りされた芝生は清潔さを主張し、全体的に見てもこの教会は最高峰に位置する部類だろう。
しかし僕と桃李はそう思わない。僕達の中で、確かにここは戦場なのだ。
桃李が木製の扉を開き、中へと足を進める。数メートルの距離があった僕もそれを追うようにして教会の内部に踏み入れた。
「相変わらずだなぁ」
教会の内部を見て、声が漏れる。そこにあるのは僕が心酔していた幼い頃に何度も見た光景。
中央部を左右より一段高くすることによって広がりを持たせた白塗りの天井。西洋風のベンチが赤いカーペットの敷かれた身廊を挟むようにいくつも設置されている。
何より精彩を放つのは祭壇の背後にある多色を彩るステンドグラスのバラ窓。直径五メートルほどもあるそれは教会に施された様々な装飾より一層美しく、この教会において神聖の象徴。
その象徴の前、祭壇に座る女性に小さく笑いかける。
「久しぶりだね、優華」
祭壇から垂れるほどに長い真っ白の髪に落ち着いた表情。キリッとした目は見据えるようにこちらに向いていて、そこに久しく会う友人と再会を祝う意は無い。さらにはこれから決闘が繰り広げられるというのに悠然として居座るその姿。
白芽優華。やはり、君は変わらない。
「久しぶり、要。君と会うのは何年ぶりか、もう忘れてしまったよ」
気の強そうな表情でも君の声は心躍らせるように優しく、清らかだ。学生だった頃から変わらない美しい動作の一つ一つ。君が髪を靡かせるだけでどれだけの男が振り向いたことか。
僕や桃李もその一人だった。彼女の絢爛な様に魅入られたのだ。
「桃李、要。君達がここにいるということ、その真意を聞かせてくれないか」
数歩先で優華を眺める桃李の横に肩を並べる。敵同士である以前に、僕達は同じ距離から彼女を眺めていなければいけない。それを桃李も分かっているし、僕も分かっている。
僕達がここにいる理由。それは、ただ一つ。
「君を、愛しているからだよ」
「お前を、愛しているからだ」
今も昔も変わらない、純粋な愛情。僕達がここにいる理由はそれだけで、これから僕達が殺し合うのもただそれだけを得る為のものだ。
すると彼女は微笑んだ。
「君達は変わらないな。こんな犯し難い女を愛し続けるなんて」
あぁ、君の言う通りだ。君は実に犯し難い。触れることさえ躊躇ってしまうほどに凄艶なのだから。
「……分かったよ、本音を言おう」
祭壇から下り、歩を進める優華。彼女は僕達の前で足を止め、右手で僕を抱きしめ、左手で桃李を抱きしめる。
「私も愛しているよ」
心の底から湧き上がる歓喜の感情。高嶺の花という存在に近い彼女に、愛を貰っている。その真実がどれだけ僕達の心を満たしたことか。
「しかし私の身は一つ。私は、一人のモノにしかなれない」
まぁ、そんな都合の良すぎる話はない。それを遥か昔から知っていたからこそ、僕は桃李を敵と呼び、桃李は僕を攻撃したのだ。
「私は勝者のモノとなろう。それで納得してもらえるだろうか」
「もちろん」
「そのつもりだ」
同意を返す。不自然なくらいに一方的な愛を向けられている彼女は何を思い、何を考え、どうしようとしているのか。君のことだ、きっと悪いようにはしない。例え悪いようにしようとしていても、僕達は同意を返すだろうけど。
「では、夢を見ようか」
彼女は両手の平を天井に向けるようにして呟いた。彼女の手の平にどこか神秘的で温かい光が溢れそうなほどにある。
これは彼女の異能力『夢見心地』。それは、対象者に彼女の想像した世界を見せる力。
「これは、私達の軌跡だ」
瞬間、溢れ漏れた光が辺りを包み込む。そうして、世界は一変した。




