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栖城莉世――本質




 ◑




 やけに風がざわついていた。星の見える快晴の夜空だというのに、葉擦れの音が鳴り止まないことが不気味さを感受させる。町は大勢の人が出て行ってしまったからか家族の団欒だんらんの灯火はほとんど無い。


 その日、同じように灯火の消えたの風情を感じる屋敷を住処とする久牙時織、片瀬栞は世界核出現場所の軽い偵察を旨として留守にしていた。瑛士の眠る部屋の隣に志軌要が布団を敷き、瑛士のすぐ隣では栖城莉世が睡眠を取る。そのように奇襲に備えていたのだが、瑛士の隣に莉世の姿は無い。


 そんな中、睡眠を取る瑛士に一つの影が迫っていた。


 物音一つ立てない足取り。人影は止まったかと思えば瑛士の眠る和室の障子をしゅくとして開き、足を踏み入れる。


 小学校高学年の女児の平均身長に満たない小柄な体躯。人々の目を引きやすい真っ赤なロングヘアに側頭部から黒リボンで結ばれた髪が尻尾のように生えている。猫の如く瞳孔が縦線になっている目が朱色に煌き、露出度の高い着物を着衣していることから当てはまるのは一人、莉世しかいない。


 しかしいつもと様子が違っていた。


「ふふ、んひっ」


 赤みを帯びた表情に荒い息遣い。小さく笑うその声はいつもより甲高く、いつもの華やかな笑みとは裏腹に歪んだ表情のまま卑しい笑みを浮かべていた。


 莉世はその笑みを浮かべる表情を両手で包み込み、声を抑える。伝う汗を拭い、そのまま瑛士の隣へと歩を進める。


「ふ、んぁ……だめ、だめ……ッ」


 眠る表情をさらけ出す瑛士に莉世は己を制止する。ぺたんと座り込み、右手で口を押さえながら落ち着かない様子で体を擦り合わせる。


 莉世はこれ以上になく興奮していた。


 無防備に眠る瑛士の寝姿。あの愛おしい凛とした瑛士の、幼い姿。莉世にとって瑛士のそれは理性が崩壊してしまいそうなほどに性的欲求を刺激するものだった。


 目の前に眠る男性を襲ってしまえたらどれだけ快感にがれるだろう。きっと、いや、絶対に酔いれて止まれない。彼の顔を赤くする姿、快感にあえぐ声、反応する体を想像するだけで堪らない。


「ん……」


「――――ッ」


 眠りに就きながらも不審の念に駆られたのか小さく顔を歪めて寝返りを打つ瑛士。


 その嫌がる瑛士の表情に莉世は自身の性的本質を突かれ、理性は完全に消え失せた。




 ◐




「が……ッ!?」


 重みのある衝撃が腹部を走り、瞬間的に目が覚める。衝撃を加えた正体を探ろうと腹部に焦点を当てる前に、腹部に乗っかる衝撃の原因に目が移った。


 俺の体をまたぐようにして腰を置く莉世。その事実から衝撃とは莉世が俺の腹部にのしかかったことによるものだと予想できた。


「……り、莉世?」


 衝撃の原因は分かった。しかしここで新たに生じた問題は、何故マウントを取られているのか、だ。


「瑛士ぃ……」


「っ!?」


 状況が呑み込めない俺を他所よそに、莉世は俺の左手を指を絡めるようにして握った。次には俺の右手首を掴み、そして――


「ふふ、あはっ」


 ――その手を、自分の胸へと触れさせた。


「な……っ」


 服の上からでも伝わる柔軟な膨らみ。唐突の出来事に言葉らしい言葉が出せず、すぐにその手を引いた。


「ど、どうし――んぐっ!?」


 どうしたんだ、とかけようとした声は莉世の行動によって中断させられる。


 仰向けに寝転がっている俺の後頭部と枕の隙間に腕を回し、体を覆い被せるような抱擁ほうよう。包み込まれる頭部。感じて間もない柔軟な膨らみの感触が顔全体へと押し付けられ、莉世の匂いが広がると共に窒息してしまいそうなほどに強い抱擁。息苦しくなり、どうにかほどこうとするが莉世は微動だにしない。


「ぶ、ぐ……――ぷはっ!!」


 酸素の欠乏により意識が飛ぶ寸前、莉世が拘束に近い抱擁を解く。


 すぐに息を吸い込み、暗くなっていた視界が鮮明なものへと変わっていく。ふと莉世を見て、全身の血の気が引いた。


「フゥーーーッ、フゥーーーッ」


 異常なほどに荒い息遣い。自分の体を抱きしめるようにして手で腕を摩り、伺えるのは卑俗ひぞくな微笑。以前に浮かべた悪戯心の伺える笑みではなく、卑俗そのものの笑み。


 本能が告げている。今、目の前にいるのはこれまで接してきた莉世ではない。これは、莉世の中にある何か(・・)の姿だ。


「瑛士ぃ、瑛士っ」


 そう理解した途端、俺は僅かに冷静さを取り戻していた。今は体を擦り合わせるように動く莉世を否定するような行動をせず、ただ見守っている。


 表現されたものとしては違うが、まるで栞に説明を受けたあの時のようだ。俺は"戦っている"ということにしがらみを思い出し、恐怖に怯えた。


 莉世の今の姿も、それと同じようなものなのだ。


 過去の何かに囚われ、己でも理解できず制御できないもの。莉世の様子を見て、俺はすぐにそう理解していた。


「ねぇ瑛士」


 莉世は体を離し、俺の頭の両端に手を置くようにした。性欲を刺激するような声色に火照った体。首元には汗が伝い、興奮を体現したようなその表情を前に、俺はただ見ているだけしかできない。


 ふと、頭の横にあった手が首元へと移動する。手の平を首に添え、両親指が喉仏に触れた。



狂愛あいしてる」



「――――――ッ!!」


 喉元に掛けられた手の親指が喉仏を押し込むようにして力が込められる。横に添えられた指が肉にめり込み、流れようとしている血液が強制的にき止められた。


「がっ、か……あ゛っ」


 華奢な体に絞められているとは思えないほどの力に苦痛が体を支配する。苦痛に耐え切れず、莉世の手を解こうとしても力は増すばかり。成す術なく、ただ足掻くことしかできない。


「ぐ――ッ、げほっ、ごほっ」


 力を込めることさえできなくなる寸前、莉世は絞めていた手を離した。


 絞めていた手が離れることで苦痛から解放され、咳き込む俺を見下ろす莉世。動いたかと思えば、莉世は俺の両手を取って自分の首へと添えた。


狂愛あいして?」


「――――」


 声が出なかった。それは恐怖でもなく、怯えたからでもない。ただ単純に、今までで最高の笑顔を見せる莉世を見て、形容しがたい感情に揺さぶられていた。


 何もできなかった。その先には苦痛しかないと言うのに、それでも『愛』だと言いながら首を絞められることを望む莉世に。


「お願いだから――」


 瞬間、隣部屋のふすまが開く音がしたかと思えば目で追えない速度で何かが過ぎ去った。まず感じたのは腹部にあった重量感が無くなったということ。いつの間にか莉世は姿を消していて、過ぎ去ったはずの方向に視線を移すと、そこには隣部屋で眠っているはずの要がいた。


「ん゛、ぐぅ゛、あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!!」


 莉世を連れ去ったのは要だった。要の手は莉世の首元を掴み、壁に押し付けるようにして締め上げている。


 要の容赦ない首絞めに足をじたばたとさせて苦しむ莉世の姿。特徴的な赤く光る目が見開き、口を開いてどうにか空気を吸い込もうとしている。


「お゛前、じゃ、な゛いッ!!」


「黙れよ、こっちだってお前を呼んじゃいない」


「ぐ、ぅ゛……」


 すると莉世は首をカクンッと折れるようにして意識を落とした。どうにか突き放そうとしてじたばたしていた足も力なく伸び、要はそれを確認してから掴んでいた首を離すと同時に抱き抱えた。


「……要」


「ちゃんと、説明するよ。居間で待っててくれないか」


 どうやら俺の言いたいことが分かったようで、要は莉世を抱き抱えたまま隣の部屋へと姿を消した。意識を失った莉世を部屋で寝かせるのだろう。


 俺は莉世のことを知るために、立ち上がって居間へと向かった。



「そう……知られてしまったのね」


 あれから居間の座布団に腰かけて待っていたところに現れたのは莉世を寝かせてきた要と、丁度よく偵察から戻ってきた栞と時織。要が栞と時織に小さく何かを呟いたかと思えば、栞と時織はすぐに事態を理解したのだろう、そう呟いて腰を下ろした。


「瑛士、一つだけ約束してくれないか」


 莉世を止めた時の険しい表情とは打って変わり、小さく微笑んで言う要。しかしその微笑みはどこか作られたものに見えた。


「これは誰も悪くない。そう、思って欲しい」


「……分かった」


 それが何を意味するのか俺には分からなかった。しかし、それが莉世の為になるのなら喜んで受け入れよう。


「莉世は、今から六年後に起こる魔女捕獲の夜と名付けられた大災厄の生存者なんだ」


「……魔女捕獲の夜?」


「魔術を発見した人間を狙って、魔女の集会(サバト)という組織が起こした大災厄よ。場所はここ、天花町の北部で生存者は限りなくぜろに近いと言われた事件のこと」


 栞の説明が入る。栞から要に視線を移すと、要は頷いて口を開いた。


「その時の莉世は九歳。幼く、か弱い彼女が生きていたのには一つの理由がある」


 要はそう言うと一度栞に視線を移した。なにやら同意を求めているようで、栞は小さく息を吐きながら目を瞑り、頷いた。それを見て、要は視線を俺に移す。


「彼女は、地下に監禁されていたんだ」


「……はっ?」


 監禁されていた、とはある場所に強制的に閉じ込められ、出る自由を奪われたということだろう。その事実が、魔女捕獲の夜で生き延びたことと繋がるのを理解した。


 地下に監禁されていたことで地上で起きた災厄を直に受けることが無かった。その結果、生きながらえることができたと考えるのが妥当だ。


 だが、問題はそこではない。


「監禁って、誰に」


 誰に、何故、監禁されたのか。そして、あの莉世が見せたあの人格とどのように繋がっているのか。


「彼女の両親は経済的な理由から莉世を養子に出したんだ。監禁したのは、莉世を養子として迎えた人達だよ」


「なんで……っ」


 なんで、そんなことを。理由を問おうとした声を抑える。他人が監禁する理由など要が知るはずもないし、それは今重要ではない。


 それを要も理解しているようで、顔を歪める俺に反応することは無かった。


「莉世が監禁されたのは五歳の時だ。それから彼女は四年間、一筋の光も差さない空間で暮らしていたんだよ」


 四年間、光の無い誰もいない世界で生きてきたという事実。莉世はどれだけの絶望の中で生き、何を思ったのか。


「想像できるかい? 異能力で召喚した人間の死肉を食らって生きるのを。真っ暗の空間でただ生きようと足掻く人間の心境を。何もできず、ただ数字を声に出す彼女の生き様を」


 想像できるはずがあるものか。その心境を、絶望を分かるのはそれを感じた莉世だけだ。


 あの可愛らしい笑顔を見せる少女が、そんな苦しみを味わって生きてきたなんて。考えただけでゾッとする事実に、俺はまだ何も言えずにいた。


「彼女は養子に迎えられる前の愛に飢えていただろうね。そんな時に、魔女捕獲の夜によって地上に脱出できたんだ」


「それから、どうなったんだ」


「絶望を撒き散らした。『死者の行進(モート・マルゾ)』で、できる限りの人々を殺した」


「――ッ」


 聞いているだけで苦しかった。もうやめてくれ、と願いながらもその話を聞く。ただ聞きたかったのは莉世が今のように明るく、元気な姿になるまでの道筋。


 しかし要は俺の願いを壊すようにそう言った。


「彼女には何も無かった。空白の四年間、愛に飢え続けた結果だ。でも、そんな中に君と出会った」


「俺と……会った、のか」


 俺と莉世が一緒にいるという事実。それはつまり道程どうていはともかく結果として今のような莉世になったということだ。


 きっと、この話を聞いている中で俺は一番の安堵の表情を見せただろう。それを見て、要は追い打ちをかけるように言った。



「君は、莉世を殺そうとした」



「……………………?」


 唐突な言葉にただ真顔で返すような形になる。予想だにしていなかった言葉に、俺はなんの反応もできず、ただ要を見つめていた。


「周りの人を無差別に殺していたんだ、当然だよ。きっと瑛士さんも攻撃されただろうし」


「で、でもっ、莉世は生きて……っ」


「落ちつけよ、瑛士さん」


 時織の声に、浮いていた腰を下ろす。震えながら息を吐き、できる限り心を落ち着かせた。


「もちろん、瑛士さんが勝った。その時に、瑛士さんは莉世の首を絞めて殺そうとした。これがどういう意味か分かるかい?」


「分かるわけないだろ!! 俺が莉世を――ッ!?」


 信じたくない要の言葉に取り乱し、声を荒らげて反論しようとした俺の胸倉を掴み上げる時織。言葉を遮られ、何も発さなくなった俺を見下ろしていた時織は掴んでいた胸倉を離す。


愛に飢えていて(・・・・・・・)何も無い莉世(・・・・・・)が、君に苦しみというものを(・・・・・・・・・)植え付けられた(・・・・・・・)


 要の強調するその言葉が、どんな意味を持つか俺は理解した。


 理解した上で、俺はただ黙っていることしかできなかった。


「莉世は愛に飢えていた。だから彼女は一番最初に受け取った苦しみを、愛と勘違いしたんだよ」


 それから先、要が何を言っていたのかを覚えていない。ただ過ぎていたのは時間ばかりで、いつの間にか三人の姿はなくなっていた。


 俺は、なんて奴なんだ。莉世のあの表情を、行為を、植え付けられた狂愛あいを、俺が作ってしまったなんて。


 それからというものの、ただ過ぎていく時間に俺はただ恐れおののいていた。

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