魔女の集会
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カツン、カツンと、革靴が地面を叩く音が反響する。数十メートル先が暗闇に包まれているほどに薄暗く、靴音以外の物音が何一つ聞こえない通路に一人の男がいた。
九重弦。くすんだ黄赤の髪を掻き上げ、整えられた口周りの髭。相変わらずの燕尾服に身を包み、平静な様子。憎き八雨瑛士との戦いによって片腕を奪われた彼は今は無き前腕を気にする素振りも無く、目的地に向かって前進している。
しばらく歩き続けると通路の最果てと辿り着く。一見、周りの壁と変わらないように見えるが、弦はある部分に手を触れるとカチャンという鍵の開いたような音が鳴る。
鳴ったかと思えば次には行き止まりに見えた壁が小さな地響きを立てて両開きの扉のように開いた。そこは弦が本来所属する組織の本拠地である。
「澄江、何か用か」
澄江と呼ばれた部屋の中央にある椅子に座る老婆。以前、八雨瑛士に怨念を抱いていた少年がいた時のように、老婆は水晶玉に目を据えていた。
目的を知らされず呼び出された弦はそう尋ねると、澄江は水晶玉に視線を据えたまま口を開く。
「未来が、変わっとらん」
「……なんだと?」
澄江が呟くように発した言葉に弦は眉を顰めながら返す。
「おかしい。未来が変わらないなど……有り得ん」
澄江は目をこれでもかと見開いて水晶玉を凝視する。
澄江の異能力『未来視水晶』は水晶玉を通して未来を視ることができる。それによりある一つの未来を視ているのだが、その未来に明確な異変を感じ取っていた。
水晶玉に映るのは真っ黒の未知の球体。過去から視ているにも関わらず感じ取れる悪気に規格外の存在感。その球体を覆うかのように紺碧色の魔力のような気体が存在している。ゆらゆらと炎の如く揺れるそれは触れた人を消し炭にしてしまうのではないかと思ってしまうほどに禍々しい気を放っている。
さらにそれを覆うようにある真っ白の障壁。結界とも呼ばれるその障壁の中は目を凝らせば確認できるほどの透明度をしている。それは不安定に歪み、時に波打つように動いていた。
「これも――貴様の力か? 八雨瑛士よ」
水晶の先、結界の中にいるはずの男に吐き捨てるように伝う。
真っ黒の未知の球体とはすなわち破壊の創世物、世界核。不安定な結界の中に佇むのは二十五年後に世界核戦争に勝利し、世界核を獲得した男。
「分からない、と分かりきった事象は捨て置け、澄江よ。君にはまだやらなくてはいけないことがあるのではないか」
思考することを咎められ、水晶玉から目を離して背もたれに寄りかかる澄江。
澄江はこれから弦に言い渡される言葉を知っていた。それは何度も通告されているからなのだが、澄江はこれといって飽き飽きしたような表情はせずにただ顔を俯かせた。
「あの少年を、解放しても良いのではないか」
あの少年とは誰を指すのかを澄江は知っていた。そして弦の言う解放という意味がどういうものであるか、知っていた。
「彼はお前を、実母のように慕っている。それもおかしい話ではない。魔女捕獲の夜という欲に溺れた人間が起こした大災厄に巻き込まれ、瀕死のところをお前が救ったのだから」
弦と澄江にとってそれは十五年前のことだ。ある天才少女を捕らえるためだけに生じた最悪の出来事。過去最悪といっても過言ではない、数多の魔術師によって起こされた虐殺の事象。
「魔女捕獲の夜を起こしたのは、紛れもない私達魔女の教会だというのに」
弦の言った不変の事実に、澄江は何も言わずただ目を瞑った。




