日常
ある日、世界に名を轟かせる天才はその異名に恥じぬ偉業を成した。
それは人間の持つ不思議な力。ある時は己の四肢から火を生じ、ある時は水を生じさせた。それの誕生初期は単純ではあったが、月日が流れるにつれて複雑に変化し、全てを把握し難い程度の範囲まで拡大していった。
日々の研究により、その不思議な力は人間の体内に存在する魔力と名付けられた微流動を根源として発動していること。また、その力は四歳から二十歳の間までに発現することが分かった。
その力は後に異能力と名付けられる。それが、約二百年前の話。
今となっては異能力は当たり前のものになった。異能力についての決まりが立法され、道徳が説かれ、それを学ぶ学校教育機関が造られた。人々は一様に入学し、卒業し、社会への入口へと歩を進めた。
俺、八雨瑛士もその人生を歩んでいる一人である。
「瑛士? どうしたんだよ、ボーッとして。帰ろうぜ」
聞き慣れた声が耳に入り、思考から現実へと引き戻される。目の前には顎を引いている俺の顔を覗き込むように見る友人、阿川恭介。
所々外にハネている濃いグレーの髪にあどけない笑顔。約百八十の長身に高校では阿川恭介という名を知らない人はいないであろう程に人気があり、ネタの引き出しも多く、男女ともに彼に好意を寄せている人は多い。
友好の輪を広げるのがそこまで得意ではない俺と恭介が友人なのは、幼い頃からの付き合いであるからだ。
「ん、あぁ。帰るか」
どうやら呆然としている間にホームルームが終わっていたようだった。周りを見渡すと次々と帰宅の準備を進めている人もいればもう済ませて教室から姿を消している人もいる。
俺も思考に浸っていて進めていなかった帰り支度を始めた。
「その様子じゃ何も聞いてなかったなぁ? 教えてやろうか? ん?」
帰り支度を終えると「聞け、聞け」とでも言いたげな顔で煽ってくる恭介を無視して廊下へと出る。
「あ、やっと終わったんだね」
そこで声をかけてきたのは恭介と同じく幼馴染の橘結乃。肩甲骨辺りまで伸びた茶色の髪が内側にふわっとしていて柔らかな印象を醸し、それに合うようにおっとりとした垂れ目に桜色の頬。誰が見ても愛らしい顔立ちをしていて性格も優しい、気配りができる、と男にかなりの人気がある友人だ。
今年のクラス分けでは結乃が離れてしまい、ホームルームが終わった後はこのように廊下で待ち合わせをして三人で帰るというのが当たり前になっていた。
「待たせてごめんな」
「うぅん、気にしないで。じゃあ帰ろっか」
俺と恭介は間を空け、その間に結乃が入る。いつも通りの、幼い頃から変わらない位置。歩幅を結乃に合わせ、廊下を行く生徒に邪魔にならないように時には形を変えながら歩く。それでも、やはり元に戻る位置。
それは些細なことだが、俺達の中では幼い頃からの決まりのようなもので。昔から少し病弱だった結乃を、俺達が「守ってやる」と子供の頃に発言した時からずっとだ。
高校へと上がってからは結乃の病弱体質は人並み程度には回復したのだが、今更位置を変える意味も無い。
昇降口へと繋がる廊下を歩いていると、部活動紹介ポスターや委員会の日々の活動が掲示されている掲示板の前に人だかりができていた。
「そういえば今日、技能試験と筆記試験の総合順位が張り出されてるって先生が言ってたね」
技能試験とは異能力を用いた護身術や制御の試験であり、筆記試験はそれぞれの科目に異能力特別講座の科目を加えた試験のことを指す。技能試験では国家異能力公安局の人間が実際に学校教育機関へと訪れ、生徒の異能力を実際に見て点数がつけられるという採点方法。
筆記試験は完全的なペーパーテスト。解答が正答であれば点数がつけられ、誤答であれば点数はつけられない。異能力の無かった頃から何も変わらない。
俺達はこの両方の試験を数日前に終わらせ、試験勉強から解放された余韻に浸っている現状だ。
「おう、ホームルームで教師が言ってたな」
そこでニヤニヤと卑しい笑みを浮かべながら俺の肩に手を乗せる恭介。もちろん、ホームルームの話を全く聞いていなかった俺が知るはずもない。恭介の笑みはそれを知ってのことだろう。
「はいはい、次から聞くようにするよ」
「別に聞けとは言ってねーけどな!」
俺の肩を軽く叩くと、掲示板前の人だかりに割り込んでいく恭介。人気者だからか、恭介がいじられている声が人だかりの後ろで待機している俺達にも聞こえてくる。
「順位、予想は?」
そう聞くと、結乃は耳の後ろの髪を指でくるくるといじりだして考え出した。これは結乃の幼い頃からの癖だ。
「うーん、真ん中……くらいかな?」
この総合順位は学年別に掲示される。俺達、三学年の生徒在籍数は大体三百人程度。つまり、結乃は百五十位ぐらいだろうと予想できる。
「それなら、筆記テストは自信があるんだな」
総合順位と言うだけあって、もちろん技能試験と筆記試験を合わせた順位のことだ。結乃は十八になっても異能力が発現していないかなり珍しい存在であり、技能試験には参加せず、筆記試験のみの点数で順位が出されている。
これは不公平だと国会では常々話されているそうだが、ほとんどの人間は十八にはもう異能力が発現していることからあまり無能力者のプラスになるような結論には至ってない。
「うん、異能力が使えないから勉強は頑張らなくちゃね。瑛士くんは?」
「俺は――」
言いかけた所でふと、視線を感じた。
「……?」
視線を感じた廊下の先に視線を移してもそこには誰もいない。
「どうかしたの?」
「あぁ、いや。なんでもない」
気のせいか、と思ったところで人ごみの中から恭介が戻ってきた。人ごみに揉まれて疲れたのか汗を掻いていて膝に手をついて呼吸を整えている。
「で、どうだった?」
「その、前に……俺に対する労いはまだか?」
ゼェ、ゼェと息を荒げる恭介に適当に感謝する俺としっかりと感謝の旨を伝える結乃。恭介に変顔で睨まれたのは言うまでもない。
「で、順位だけど。結乃は百五十六位、瑛士は二百十二位。瑛士は予想つかない順位にいるから毎回探すのに苦労するわ」
「悪い悪い」
「全く謝罪の意が伝わってこないんだが? ……で、俺の順位は聞くか?」
「いい」
「いや、聞けよ!」
恭介は「ムードメーカーは勉強できない」という俺としては結構推したい方程式から外れるような奴で、技能試験も筆記試験も上位に位置しているという謎の存在だ。決して勉強のできるようには見えないし、授業中も居眠り常習犯と教師に太鼓判を押されるほどに眠っているのに点数だけはとっていく。
「まぁ、俺は近いうちに国家試験があるからな。絶対に受かってやるぜ」
「恭介くんはどこに就職するんだっけ?」
恭介は「よくぞ聞いてくれました」とでも言いたげな表情で笑顔を見せる。
「国家異能力公安局! やっぱり、ここだよな~」
恭介は昔から正義の味方の類であるヒーローに憧れていたのを覚えている。まだその意志が変わってないことは驚きだが、なんというか恭介らしい。
「まぁ、安定してそうだよな」
そう話しながら昇降口で靴を履きかえる。結乃は下駄箱の位置が別の場所にあるから姿は見えない。
上履きを下駄箱にしまい、昇降口を出る。しばらく待つと、ローファーに履き替えた結乃が出てきて俺達は帰路についた。
「あ、そうだ。駅前にカフェがオープンしたらしいよ」
そういえば少し前に駅前を通った時、新しくカフェをオープンする旨が書かれたチラシを配っていた女性がいたな、と思い出す。やはりこういう新オープンの情報に関しては女子の方が一足早いな。
「どうする? 行くか?」
恭介の発言で結乃の目がキラキラと輝くのが分かった。どうやら、結乃はかなり行きたいようだ。
特に用事も無いから断る理由は無い。
「そうだな、行くか」
「やった! ありがとね」
家に繋がる帰路を歩いていた俺達だが、駅のある方向へと歩を進めた。