異能力
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「いいから口を開けなさい、瑛士くん」
「口を開けるのじゃ、瑛士」
目の前で栞と莉世が強制するように言う。栞は木製の箸の先端に白米を乗せ、莉世は鉄製のスプーンの先端におかずを乗せて口元へと押し付けてきている。
「だ、だからッ! 自分で食べるって!」
俺は不満そうな表情を露わにする栞と莉世に飯を食べさせられていた。
九重弦との戦闘で傷を負い、意識を失ってから数時間。目を覚ました俺は結乃の別荘の一室で眠っていた。莉世に傷の手当てをしてもらってから居間に移動し、待機していたのだが――まさかこんなことになろうとは。
「だから儂がやると何度言えば分かるんじゃ!! お主は引っ込んどれ!!」
「最初に提案したのは私よ、あなたが引きなさい」
事の発端は栞の発言からだった。九重弦との戦闘で両腕を負傷していた俺は負傷した箇所を包帯でぐるぐると巻かれていて、箸を握れないとはまではいかないが握りにくくなっている。このままでは結乃が作ってくれた夕食を食べることができない、ということで栞が「私が食べさせてあげる」という発言をし、それに対抗する莉世。
結果、二人が俺の口元に無理やり料理を押し付ける形になった。
「お主とは決着を着けねばならんようじゃな!!」
「望むところよ、これだけは譲れないわ」
ぎゃーぎゃーと言い争う二人。止められないと分かっているのでもちろん口出しはせず、要も我関せずと見向きもしない。
「瑛士くん、食べる?」
両腕を包帯に巻かれて食おうにも食えないことを察してくれたのか、結乃は茶碗を持ちながら白米が先端に摘まれている箸を向ける。
「あ、あぁ、ありがとう」
幼馴染とはいえこのような恋人みたいなことをしたことはない。戸惑いはしたが結乃は俺が満足に飯を食べれない現状に善意でどうにかしようとしてくれている。断るわけにもいかない。
「もう結婚したらどうだ?お前ら」
「ぶほっ!! ご、ごほっ、ごぶっ!!」
その様子をじっと見ていた恭介の発言に咽せる。
どうやら、あーんというこの行動を意識していたのは俺だけのようで結乃は頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「い、いきなり変なこと言うなよ、恭介……」
「結構本音だけどな」
はっはっと悪戯が成功したかのような無邪気な笑みを浮かべる恭介。しかし前を向いた恭介がいきなり目を見開き、青ざめていく。何を思ったのか即座に立ち上がり、部屋の隅へと移動して膝を抱えた。
さらに右隣からもガタッと音がしたと思えば要まで部屋の片隅へと移動していた。こちらを振り返るその表情までも恭介と同じで恐怖に染まっている。
「瑛士くん?」
「瑛士?」
「あぁ、なるほど。そういうことか」
テーブルの向こうで俺の名を呼びながらにっこりと笑う栞と莉世。理解した頃にはもう遅い。
「さっきまで自分で食べるって言ってたのはどの口かしら? 私のあーんを拒否しておいて結乃さんのあーんは口にするのはどういう了見よ」
「儂が見てない内に瑛士に食わすとはいい度胸じゃな小娘? これは火蓋が切られたとみてよいな?」
今までに見たことがないほどに笑顔なのに感じるのは恐怖そのもの。結乃に至っては莉世に弾圧されて泣きそうになっている。
距離を詰めてくる栞と莉世に後ずさりする俺と結乃。すると後方から襖の開く音が聞こえて振り返ると、そこには上半身を包帯で巻かれている時織が立っていた。
「と、時織ッ、助けてくれ!!」
俺の発言が理解できないのか、時織は現状を理解しようと辺りを見渡す。
「……………………」
鬼の形相をする栞と莉世に距離を詰められる俺と結乃。部屋の片隅で怯えながら待機する要と恭介。
「……………………………………」
パタン、と閉められた襖。俺達は時織に見捨てられた。
それからというものの、俺は栞に延々と飯を食わされ続け、結乃は莉世に頬を抓られるなど罰を受けた。
「うぅ、痛い……」
隣で涙目になりながら頬を摩る結乃。俺に至っては満腹を通り越して今にも吐き出してしまいそうだ。
幼馴染にあーんされるくらいでこんな罰を受けるなんて酷すぎる。それを抗議したら何をされるか分からないのでするつもりはないが。
「さて、これからどうするかだけど」
テーブルの上から食器が片付けられ、一段落つき、栞がこれからの話を切り出す。その時にはもう時織はテーブルを囲んでいて、要と恭介も部屋の片隅から戻ってきている。
「周りを監視してた限り、敵には見つかっていないようね。気配も感じなければ人影一つないもの。しばらくは安心していいわ」
その言葉に俺はほっと胸を撫で下ろす。敵に見つかっていないということは奇襲を受けることはないということ。警戒するに越したことはないが、栞が言うのなら安堵していい。
「約一ヶ月後、世界核保守派のメンバーが時空超越してくるの。それまで行動したくないのだけど……世界核が出現する場所の偵察もしないといけないわ」
時空超越ということはまた栞達と同じように世界核保守派の人々が未来からやってくるのだろう。戦力が劣っている現状、支援に来てくれるのは嬉しい。
「ただ、今の戦力じゃ不可能ね。恭介くん、結乃さん。私はあなた達に戦えるようになってもらいたいの」
「待ってくれ。恭介と結乃を戦わせないでくれとは言わない、だけどできる限り前線には――」
「瑛士、やめろ」
恭介の異能力は防御型。結乃に至っては異能力が発現していないし戦わせるのことこそ不可能に近い。どうにかそれを伝えようとすると恭介が俺の言葉を遮った。
「俺の異能力は『神格の防御盾』だ。詳しくは分からないけど、でっけえ盾が出てくる」
恭介が異能力を発動させると、手には恭介の足元から胸元まであろうほどの盾が現れた。
銀色の輝きを放つ左右対称の盾。見るからに頑丈そうで重量感のあるそれを軽々と持ち上げる恭介。恭介曰く、他人が持つと重いらしいが本人が持つと軽くなるらしい。学校の技能試験でも防げなかった攻撃はなく、防御力はかなりのものだという。
「へぇ……」
真っ先に声をあげたのは要。恭介の『神格の防御盾』を見ながら感嘆ともとれる声だ。
「わ、私も……異能力は発現してないんですけど、魔術が使えそうなんです」
あまりの驚きの発言に全員の視線が結乃に向いた。結乃は恥ずかしそうにしながらも手を翳すと風が巻き起こる。
手に現れた一重の赤く発光する陣。歪な形をした文字が次々と掘られていく。
その様子は俺が恭介や結乃と別れた後に公園で襲ってきた奴の魔術と似ていた。いや、感じ取れる圧迫感からすれば結乃の方が上だろうか。襲撃してきた奴の手に現れた陣からはここまでの威圧感を感じなかった。
「……魔術はまだ発見されてないと聞いているのだけど」
「え、えっと……やってみたらできたというか……」
何やら結乃に思うことがあるのだろうか、栞は顎に手を当てて思考に浸っている。
未来では魔術が発見されているのだろうが、現代ではまだ魔術は発見されていない。そんなものが発見されているのなら教育機関に入学している俺達が知らないはずがないからだ。
「そう、分かったわ。ありがとう、恭介くんに結乃さん。助かるわ」
「俺も黙って見ているだけじゃ嫌だから、な」
「私も、役に立ちたいです」
二人が自ら戦おうと決意してくれているのは分かった。それでもやはり、俺としてはできる限り戦闘は避けてほしい。
今回、襲われたことによって俺は全身打撲に腕は動かす度に痛む。時織も同じように怪我をして下手をすれば死んでしまうほどに危ない状況だったらしい。そんな非情な戦争が二人を襲ったら――そう考えると不安で仕方がない。
「なら莉世が結乃さんに魔術を教えてあげて。恭介くんは――」
「僕が教えるよ」
栞の言葉を遮って要が立ち上がる。すると要を中心に風が巻き起こり、光を放ったかと思えば要は煌びやかな銀色の鎧や赤色の宝石が目立つ剣を装備している。
「僕の異能力は『呪縛の四肢』。本来の力とは違うけど……鎧や剣を発現する能力だ。僕が君を鍛えよう、恭介くん」
カキィン、と要は手に持っていた剣を恭介の盾に当てる。
確かに要のような魔術ではなく剣を扱う人間との戦いの方が恭介も鍛えられるだろう。時織や莉世より適任だ。
「そうと決まったら明日から鍛え始めるわ。とにかく一ヶ月後の時空超越までは自由。それからが本当の戦いよ、力を付けましょう」
本当の戦い。俺や時織が襲われたのはあくまで少数同士の衝突。もし世界核保守派の仲間が時空超越してきて多数同士の戦闘が始まるのならば――死人が出るだろう。
それまで、俺達は強くならなければいけない。俺も――甘えてはいられない。
「瑛士くん、ちょっといいかしら」
話を終えてゆったりとする莉世達とは裏腹に栞は真剣な表情で俺を呼んだ。栞についていくと襖を出て廊下をしばらく歩き続け、横に庭の広がる場所で立ち止まった。
森に囲まれているのか分からないが、遠くに視線を移すと木々が見える。ここがどこだか分からないが、自宅の近くでないのは確かだ。
「異能力、発現していたのね。何故教えてくれなかったのかしら」
それは聞く、というより責めるという表現の方が正しい声色だった。
栞は俺が危機に瀕している時を何度も見ている。最初に公園で襲われた時や自宅にいて奇襲を受けた時。おそらくそれらで俺に異能力が発現していないと思っていたのだろう。
「……ごめん」
「まだ理解していないようだから言うけど。あなたの生死に世界が懸かっているのよ」
栞の言う通りだ、何も間違っていない。俺が死ぬということは将来、世界核を保守する役目を持つ組織が無くなるということを意味する。
それはまさに世界の死だ。行使派の連中に渡れば世界は破壊され、活用派の連中に渡れば破壊の創世物を扱われてしまう。そんなことは、あってはならない。
守られている俺が――このままでいいのか。そんな考えが頭を過る。
「あなたがどんな理由で力を使わないのか知らないわ。でも、戦うなら戦いなさい。そうじゃないと――――」
栞はそのまま背を向けて歩き出した。背中から伺えるのは絶望でもなく期待でもない。強いて言うなら失望の一歩手前というところだろうか。
今までの俺を見て期待などできるはずもない。力を使えるのにも関わらず、己の命が危険でも他人を頼り死にかけた人間などに。
「――私達が、救われないでしょうに」
その声色は責めるようなものでもない。ましてや絶望したものでもない。ただ、悲しみに帯びたものだ。空に広がる果ての無い彼方に吸い込まれてしまいそうな小さい声。
月明かりのみが照らす暗い廊下の奥に栞の背中は遠ざかっていく。
「――――」
俺はこのままでいいのか。守られているばかりで、いいのか。命を賭けて守ってくれている皆の前に、こんなにも無様な姿を晒し続けていいのか。
栞も、莉世も、時織も、要も、命を賭して俺を守ってくれている。恭介や結乃も役に立ちたいと戦うことを決めた。今まで戦争とは無縁な二人が、皆の為に。
俺はどうしたい? どうありたいのだ? 栞と莉世が多数の敵兵から俺を逃す為に食い止め、時織は追跡してくる強者を抑える為に戦った。どちらも命を落とす危険性があっただろう、実際に時織は怪我を負い意識を失って運ばれたと聞く。それらを知り、俺は。
「なぁ、栞」
俺は栞の手を掴んでいた。
「俺は――」
それを知り、そんなことがないようにしたいと思った。これから先、柵の鎖が何度も縛り付けるだろう。扱いきれない力に畏怖するだろう。その度に苦しみを感じ、辛い思いをするだろう。そして、まるで生き物のように根付く力は問うのだ。
あの日、両親を殺し、そして――――
――――お前は他に、誰を殺したのか、と。
「――――戦うよ」
それでも、俺は皆を守りたい。もう誰も傷つかなくていい世界が欲しい。
「……そう、良かった」
振り返った栞は小さく笑みを見せた。そこにあるのは絶望感でも期待感でもなく、ただ一つの安堵の意。
俺は、戦おう。誰もが傷つかなくていい世界の為に。
「ところで、離してくれる?」
「え? あ、あぁ」
なぜか小さく震えている栞の手を離す。栞は俺が掴んでいた手首をもう片方の手で軽く掴みながら胸元まで持っていき、顔を俯かせていた。
「どうしたんだ?」
「……ッ!」
栞の顔を見上げるように覗き込むと、そこにあるのは羞恥心を堪えているかのような赤い顔。ふるふると震え、今にも泣きそうな表情。なんでそんな表情をしているのか俺には分からなかった。
「別に……なにもないわよ」
そう言って早足に廊下の奥へと姿を消す栞。
これは避けられたのか?いきなり腕を掴んだからだろうか。しかし栞がそれを気にするような人間にも思えない。
「……なんだっだんだ?」
結局、栞の行動に思い当たる節のないまま立ち尽くす。
雲一つ無い夜空に十六夜の月。辺りは静寂に包まれた。もうこの季節では鳴く虫もおらず、風の無い日だからか木々がざわめく音もしない。
ただ一人、十六夜の月を見上げながら俺は胸に手を当てた。
「なぁ、杏里」
それはかつて愛した人の名だ。生まれつき病弱で歩くことすら厳しいと言われた彼女だったが、可愛らしく常に俺のことばかり考えるような優しい人だった。俺はそんな彼女のことだけを考えて生き、彼女の為に死のうと思った。
最愛の人であり、最愛の家族。そして――
「俺を、許してくれないか」
――そんな彼女を、俺が殺したのだ。




