襲撃
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「それで、結乃さんの方はダメだったのね」
朝。アラームの繰り返し設定によって平日は七時四十分に目覚まし時計が鳴ることで俺は起床した。それから朝食や日課を済ませてリビングのソファに座っている。
今は八時半。リビングには栞、時織、要、恭介がテーブルを囲むように集まっている。
昨日の夜、恭介は自宅に戻ってから両親に大まかな内容は誤魔化しながらも俺の家に長期間泊まることを話したらしい。最初は隣街の楔町や三虚町が危ない状況になっていることから拒否されたが、あまりにもしつこい恭介に白旗を上げてくれたという。
しかし、結乃の方はうまくいかなかった。常識的に考えれば幼馴染とはいえ男の家に長期間泊まるなど以ての外だ。それに結乃の家庭は中々の富豪だ。今まで門限や行動なども厳しく教育されているのをよく見かけたし、承諾をもらえなかったのも頷ける。
それをSNSで確認したのが今さっき。俺が起きた頃には恭介と時織は戻ってきていた。
「これは困ったわね。ずっと莉世を護衛につけるわけにもいかないし……」
「交代にしてもただでさえ戦力は劣ってるからね」
栞と要を中心になにかいい案はないかと頭を捻る。するとスマートフォンが振動した。ポケットから取り出して画面を見ると、通知の主は結乃。
『瑛士くんのお家はダメみたいだけど別荘なら大丈夫かも。お母さんに頼んでみるね』
別荘、という単語に聞き返しそうになったが富豪の橘家が別荘を持っていてもおかしくはない。頼んだ、という三文字だけ返してスマートフォンを閉じた。
一カ所に固まれて隠れながら生活できることが条件である以上、橘家の方で別荘に住んでもいいという許可があるなら別に構わないだろう。一人暮らしの俺は家を置いていくことになんら躊躇はない。
とにかく栞達に話すべきか。最終的に決断を下すのは栞達だし俺の考えつかないようなところまで考えていることから判断を委ねる方がいい。
「栞、結乃から返信が来た。結乃ん家の別荘なら大丈夫かもしれないって」
「別荘? ……なるほどね。別荘の場所だとかにもよるけれど、ない話じゃないわ。時織、見に行ってくれるかしら」
「道、知らねェけどな」
「瑛士くんのスマートフォンを借りて、結乃さんに案内してもらいなさい。それと要は莉世と交代で結乃さんの護衛をお願いしたいの」
「道、知らないよ」
「恭介くんのスマートフォンを借りて」
なんというかパシリみたいに扱われてる時織と要が可哀想だ。要は見るからにしゅんとしているし時織も顔を隠す仮面で表情は分からないが雰囲気が切なくなった。
俺はパスワードを削除して結乃とのメッセージを開き、時織に渡す。恭介も同じようにして要にスマートフォンを託した。
「じゃあ、よろしく」
栞に追いやられるように部屋を出ていく二人。やはりこの中では栞の権力が強いみたいだ。莉世は従わなさそうだが。
しばらく話し合っていると玄関の扉が勢いよく開かれる音と閉められる音が聞こえた。ずかずかと大きい足音を鳴らしながらリビングに入ってきたのは如何にも怒ってますよと言わんばかりの表情をした莉世。
あぁ、これは栞と莉世の口論が始まる。
「何故儂があの小娘の付き添いを一日中やらねばいかんかったのじゃ!! 眠くて眠くて堪らんかったわ!」
「仕方ないじゃない、許可が取れないのは予想外だもの」
「嘘をつけ!! 隣町が襲撃されてるのに他人の家に子を泊まらせる親などいるものか! そんなものはただの育児放棄じゃ!」
頼む莉世、周りを見てくれ。その理論だとここには隣町が襲撃されてるのに他人の家に子を泊まらせる親に育児放棄されている恭介がここにいるんだ。
恭介を見ると栞と莉世の口論に居心地の悪そうにしていた恭介が真顔になって俺を凝視していた。悪いがこれは俺のせいじゃない、こっちを見るな。
「仕方ないじゃない、どのみち護衛はつかないといけないのだから」
「ならお主がつけばよいじゃろうに!!」
「私は指示しなくちゃいけないの。あなたにできないでしょう?」
二人の口論を聞きながら俺はどうすればいいか考える。
激情しているのは莉世の方だ。それなら莉世の方をうまく宥めるべきだろう。怒っている莉世を落ち着かせる方法といえば――賭けではあるが、やるしかない。
「莉世」
「なんじゃ!! 今、儂はこの女狐ならぬ女猫に説教を――」
振り返る莉世。声を荒げているが俺の行動に言葉を止めた。
俺は股を開いてその間をぽんぽんと叩く。もしかしたら子供っぽい扱いにさらに激情してしまう可能性があったが、それしか解決策が思い浮かばなかった。
それを見た莉世は最後に栞を睨み付け、小走りで俺の方へと向かってくる。小さい笑みを浮かべながらどすんと俺の股の間に座り、首を上に向けてこちらを見ると笑顔になった。
良かった、さらに怒ることはないようだ。機嫌も直っているようだし成功とみて間違いないだろう。
「瑛士くん? 何、ソレ」
「え?」
襲い来る寒気。背中を数百本の指が撫でたかのような悪寒に体を震わせながらも気の抜けた返事をしてしまい、栞を見る。
その時の栞はなんと表現するべきか。真顔であるはずなのに殺気に近いものを送り飛ばしてくる様。口論を止めた俺に対して怒気を飛ばしてくるのはなんでだ?
「いや……口論を止めようと思ってだな」
「ふぅん? そう。別にいいわ、あなたがそれでいいなら」
いや、栞のあの表情は絶対に納得していない。何故なら納得している言葉にも関わらずまだ悪寒も真顔の凝視も続いている。納得しているならそんなことはしない。
さすがにこればっかりは栞が分からないな。聞ける雰囲気でもないし……栞もこれ以上突っ込んでくる気はなさそう――真顔の凝視は続いているが――だからいいか。
「ふん、嫉妬とは見苦しいな栞よ。お主はここには座れんな?」
それ以上火に油を注ぐような真似をしないでくれ。さっきから俺にだけ飛ばされる視線が痛いんだ。しかも莉世の発言でさらに凝視され、もはや睨まれていると言っても過言でない程にまで達している。
「…………嫉妬して何が悪いのよ」
栞が小さく呟いたが、あまりにも声量が小さくて聞き取れなかった。ただ栞から飛ばされるものが無くなったことから、おそらく興味を失くした旨の発言だろう。
それからしばらくして時織が戻ってきた。どうやら俺のスマートフォンで橘家の別荘を写真に収めていたようで、栞は手渡されたスマートフォンを見て何度かスライドしながら頷いている。
「えぇ、いいわね。広さも立地も悪くないし、何より連中が近づいてきた時に把握しやすいわ。結乃さんの方はなにか言ってた?」
「許可は取れたらしい。ただ移動するなら準備があるから夜にしてくれってよ」
「そうね。私達も準備しないといけないし、今日の夜に移動にしましょう」
準備というのは衣服や食べ物を含めた全般を持っていく準備ということで大丈夫だろう
恭介の隣には自宅から持ち出してきたのだろう、大きいキャリーケースがある。準備の方はもう大丈夫そうだ。としたら、俺は夜までに準備をしなければいけない。
「それなら俺は準備してくるよ」
「む、それなら儂も手伝うぞ」
立ち上がる前に莉世に視線を移すと察してくれたのか立ち上がり、手伝いを申し出てくれる。何故か栞の視線が痛かったがあまり気にしないことにした。
「そういえば莉世の異能力ってどういう能力なんだ?」
階段を上り、部屋に入ってからそう聞いてみる。俺が保守派の皆の異能力で見たことがあるのは栞の赤い液体でできた触手のようなものを操る能力と要の鎧や剣を発現させて装備する能力だけだ。莉世と時織に関しては異能力の片鱗すら見ていない。
「うーむ……あまり好ましい異能力ではなくてな。あまり言いたくないのじゃが……まぁよい」
部屋の押し入れにあったキャリーケースを取り出し、その中にタンスから取り出した衣服を詰め込んでいく。莉世も同じ動作を繰り返しながら悩んだ末、話してくれるみたいだ。
「儂の異能力は『死者の行進』じゃ。死者を現世に召喚して操ることができる」
「うぉわっ!?」
すると床から真っ黒な沼のような円形が現れ、そこから異臭の放つ人間が現れた。あまりの驚きに後ずさり、莉世はそれを見て小さく笑う。
「ま、こんな感じじゃな。そこまで驚くな、彼奴は何もせんよ」
「そ、それならいいんだけどな」
その人間は床に埋もれるようにして消え、俺はバクバクと脈打つ左胸を押さえながらキャリーケースに衣服を詰め込んでいく作業を再開する。
「あぁ、それからな。結乃の家が富豪家庭なのはさすがの儂も――」
それからというものの、俺は莉世と会話をしながら時に笑い、時に作業を続けながら準備を終えた。
分かったこととしては、やはり莉世は陽気な少女のように感情豊かで遊び心のある女性だった。話している最中に見せた笑顔の数々、栞に対しての愚痴を零す時の苦い表情、時織や要のことを話す時に時々見せた小さい微笑み。
俺の気持ちをしっかりとした言葉で表すのは難しい。
なんというか、莉世と出会えてよかったと思う時間だった。




