立ち上がるために
ガリッ――。
何もない牢屋に響く、石を削る音。
今日も、俺は目を覚ますことができた。俺の定位置、気絶したか、もしくは労働から帰り疲れ果てた後、転がされる壁際の隅。そこには今日で丁度九十本目の線が、俺の握る石ころによって刻まれた。
縦に四本、そして五本目をそれらを割る様に描く。それがこれで十八個目だ。
そして少しして、遠く籠ったような鐘の音が聞こえてきた。3回鳴らされた鐘の音は、兵士たちの仕事が始まる、つまりは俺たち奴隷の一日が始まる合図でもあった。
ここでは、そうそう日の光を見ることはできない。洞窟の中での労働のみであり、外の空気を吸うことはできず、昼も夜もない。食事というのが憚られる”餌”も不定期、寝ることのできるわずかな時間も不規則だ。唯一、一日の始まりを教えてくれるのは兵士たちが目を覚ます合図である、3回の鐘の音のみだった。
俺はこうして毎日目が覚めた時に、鐘の音が聞こえてきたときに壁に傷をつけていく。一日中起きているような気もすれば、日に何回も気を失うように感じる日もあった。それでも、俺はこの日課を続けていた。
自分の中でどれだけの日を耐え抜いてきたのか。どれだけの日を乗り越え、そして自身の糧とできたか。それを知るためにも、いつかここを皆と出ていく俺には必要な指数だった。
この線を一日と思うのなら、死ぬ前の世界ではもう三か月だ。
この地獄のよう日々。ひたすらに壁を削り続け、時には思い切り殴られもした。血も、排せつ物も、全部処理などしてくれない。自分たちで、できる範囲で何とかするしかなかった。牢屋の中はひどく不潔で、異臭を放ち続ける。それでも怪我は絶えず、もちろんそこから炎症を起こし激痛に悲鳴を上げることもある。
周りの奴隷たちは、古い順にどんどん倒れていく。目の前でこと切れる奴隷を何度見たことか。徐々に慣れていく自分に吐き気を覚えながらも、その死体を洞窟内の焼却炉へと持っていく。隅で死んだ死体は放置され、当然腐り、濃厚な腐臭を放つ。それをシャベルで”掬い”ごみに捨てる。
気が狂うような毎日だった。実際、もう俺は狂ってしまっているんじゃないかと思える。
俺が立っていられるのは、こうして今でも王になろうと足掻いているのは、ひとえにみんなの悲鳴が聞けるからだ。みんなの泣き顔が見れるからだ。
多分、一人になった瞬間、俺は立ちあがれなくなる。守るべき対象が、依存するべき対象が無くなればきっと瓦解する。守りたいのに、そいつらの悲鳴や怨嗟を聞いていなければ立っていられないなんて、狂気と言わずになんと言おう。
……益体のない考えはやめよう。今俺はこうして生きて、立っている。それでいい。
かぶりを振り、いったん頭の中をすっきりさせる。その後少々周りを警戒したあと、俺は自分が着ているコートを脱ぎ、裏地をよく見えるように地面に広げた。
するとコートの裏一面に、赤黒い線で描かれた地図が現れた。
裾の長いコートを着ていたため、キャンバスは広くとれた。
俺が初めて働かされた巨大ホールは真円のタイプの団扇のような形をしており、それを中心に俺たちの牢屋へとつながる道や兵士たちの詰め所へとつながる道、ほかにもわかる範囲で地図が書かれている。
昨日、この牢屋に帰ってくるときに普段は通らない道を歩かされた。おそらくいつもの仕事場から離れた場所で働かされていたためだろう。
その時にこの牢屋まで歩いた距離、通ったことのある道との交わり。そういったものを思い返しながら、コート裏の地図に新しい道を書き足していく。
インクの代わりに使っているのは、血と腐った木や食べ物の汁を混ぜたものだ。それをボロ布に含ませて擦るように描いていく。
一旦、地図の更新を終えて全体を見てみる。
相変わらず不思議な形をした洞窟だ。中央ホールから伸びる細い小道はそれこそアリの巣のようだ。
言葉が分かるようになるまでずっと気になっていた、俺たちが押し込められているこの場所は何なのか――それはどうやら兵士たちが所属する国の砦となるのだそうだ。
中央ホールが一階部分、そのホールからつながるようにあるまっすぐな道、団扇の持ち手部分のような道の先には螺旋階段のような構造体がある。直接見たことはないが、この洞窟のある山の中腹にはすでにある程度の建築物が存在しており、そこへと吹き抜けているそうだ。
どちらかと言えば、すでに山の中腹にあった拠点をさらにアクセスしやすく、かつ巨大化を図ってこの洞窟を掘っているのだそうだが、正直いまの段階で兵士やストクードの話から分かるのはこのくらいだった。
そして、この砦を建造しようとしている大国――その名をアイルオルグ聖皇国というらしい。
人間族至上主義を掲げ、魔族の淘汰を是としている。
魔族を虐げ、虐殺し、そして有用であればこうして砦の建造などの奴隷として働かされる。
俺やストクードのような人間族も奴隷として使役されているのは、聖皇国の意向にそぐわないからだ。あくまで自国の民を「人間族」とし、歯向かうものはなんであれ敵である。それがアイルオルグ国の性質らしかった。
とにもかくにも、俺はこのアイルオルグ国とやらが新たに建造しようとしているこの砦で、決意を果たすために足掻かなくてはならないわけだ。
そんなことを考えていると、後ろから老人の声がかけられた。
「お早う。目覚めはどうかな? シドウ」
そのしわがれた、優し気な声に振り返れば、そこには深緑のコートを羽織った老人――ストクードがこちらを見ていた。
「ああ、相変わらず最高の目覚めだよ。ストクード」
その挨拶に、俺はもう恒例となった返しをした。
ストクードを見やり、そして少し周りを見渡してみる。まだ特に兵士の気配はなく、周囲からはいつものようにかすかな怨嗟と苦悩の声が、流れる風に乗ってきているだけだった。
「もうそろそろ、奴らも此処に来るじゃろう。わしらの担当様は真面目じゃからの」
周囲を観察している俺にストクードが声をかける。その言葉にうなずき、俺は地図を書いたコートを再び羽織った。
担当兵士、俺たちの場合はあの青い布を巻いた女兵士である。
兵士たちはどうやら何個か奴隷の牢屋を割り当てられているらしく、奴隷を仕事場に連れていく、また部屋の移動や管理なんかを行っているらしかった。労働中、私語をしていた兵士の会話の内容を盗み聞いて大方そういうシステムなのだろうとは把握できていた。
「……ぅん……ふわ……おはよう、シドウ、ストクード」
ふと、袖を引っ張られる感覚に隣に目を移す。俺のすぐ横、俺の隣に並ぶようにして寝ていたアトスネーヴが目を覚ましたようだった。
今だ出会ったときの輝きを維持している髪に、老廃物にも汚れていないその姿はまるで人間ではなく、空から舞い降りた天使のようだ。
いや、まさしくアトスネーヴは天使族という種族なのだから、俺たち人間とは少し違うのだが。
「お早う、アトスネーヴ。本日もよい目覚めであったか?」
「……うん。今日もちゃんと眠れたよ」
ストクードの挨拶に、そう返してアトスネーヴはふにゃりと笑う。その顔を見て、俺も目覚めの挨拶を交わす。
「おはよう、アトス。体は平気か?」
「うん……えへへ。ボクはだいじょうぶ」
頭を撫でてやると、子犬のように甘えた声を出すアトスネーヴ。俺は短くアトスと呼んでいる。アトスはなぜかあの宣言以降、言葉が分からなかった時の俺に対しても、異様になついてきたのだ。手も汚れ、血やらなにやら、とにかく衛生観など微塵もない自分の手で美しい白金髪を触るのは上質の宝石を素手で触る様で気が引けてしまったが、どうやらここにきてから嫌な夢を見るようで、こうしなければ落ち着けないのだという。俺の隣で寝ているのも、それが要因らしい。
……まあ、気が引けてしまうのにはもう一つ理由があるが……。
「……ふわぁ」
アトスはその小さな口を開けあけながら、可愛らしい欠伸をする。仕草こそ可愛らしいが、碌に疲れが取れていないのだろう。目元にも隈ができている。
「……すこしでも横になっとけ。兵士が来たらすぐに知らせるから」
少しでも休んでもらいたくそう言ったが、アトスは首を振りはにかんだ。
「だいじょうぶ。ボクばっかり甘えてられないよ」
アトスはそのまま両手をぐっと上に掲げた。
……ほとんどの奴隷たちは、基本的には限界まで働かされる。自分でしっかりと意識を保って帰ってきたほうが少ない。俺なんかは若いから、特にそう使われるのだろう。だが気絶しているせいで変に魘されることもないからか、目を覚ませれば何とか意識をはっきり保つことができる。目を覚ませなければ、まあ手ひどい暴力が待ってはいるが。
ストクードはその逆で、老人であるがゆえに労働の内容が俺たち若い衆に比べ比較的時間も量も少ない。それでも奴隷として少ないのであって、労働基準法などあろうものなら一発でアウトなのだが。それにだいぶ長い間ここで捕らえられているらしく、その所為か体力が尋常じゃない。彼が気を失っているところを見たことがない。
そして一際疲れている様子のアトスの仕事だが、俺たちとは少し違うものだった。
最初、そのかわいらしい容姿と、下卑た笑い声を上げる兵士たちを繋げて非常に不愉快な想像をしてしまっていたが、どうやら”そういったこと”はされていないようだった。
あの『魔法』を奴隷治療のための労働に使われているらしい。『魔法』を使うには普通の労働とはまた違った疲労を強いられるようだ。ゲームに例えるのは不謹慎だろうが、いわゆるMPというやつなのだろう。勿論、MPなんていう数字は存在しないので限界を超えて魔法を使い続けていれば、当然命にもかかわるらしいが……。
まあそれはそれとして、それでもアトスのこの見た目だ。俺の知らないところで下種なことをされているのではという不安も最初はあったが、それも俺の杞憂という事が分かった。
……なぜなら、アトスネーヴの性別は少女ではなく、少年なのだから。
アトス曰く、天使族というのは種族全体で男女での見た目の違いがかなり薄いらしい。生物的性別はあるが、ぱっと見の差が希薄なのだそうだ。
……まあ、冷静に考えれば男と女の奴隷を一緒の牢屋に入れておくわけがない。最初に俺とストクードがいる牢屋に連れてこられた時点でアトスは男だという事が確定していた。見た目と声と、そして仕草から何の疑問もなく少女だと思っていたが、そんな訳はなかった……。
そしてどうやら、俺たちを捉えている兵士たちの国では同性愛というものはとてつもなく厳しく律されているらしい。宗教的にも法的にも、かなりの厳罰を下されるらしいのでアトスは奴隷の治療にのみ使役されているらしかった。
かのj――彼を最初に連れてきた兵士が憤っていたのも、今思い返せば美少女を捕まえたと思ったら男だった。という理由があったのだろう。
そんなわけで、アトスは俺が想像するようなひどい目に合うことはなかった。もし少しでもアトスが汚されているのであれば我慢ならない。言葉が分からなかったうちは、こうしてなついてくれている人をまた守れなかったのかと思っていた。杞憂だったからいいものを、もし守れていなかったのなら、それでは俺がここに立っている意味がない。
アトスの頭から手を放し、ストクードに向き直ろうとすると、視界の端でまだ俺を見上げる顔が映る。
「…………ぉぅ」
……正直まだ少し気は引けている。いろんな意味で。それにアトスは、俺やストクードにおそらく依存に近い感情を抱いているのだろう。こんな状況だ。身近な頼れる存在が俺たちしかいない以上、そうなるのも当然かもしれない。しかしそれ以上に、俺は彼に甘くなってしまっていた。まぁ、こんな荒んだ世界で唯一の癒しともいえる存在だ。男だろうが女だろうが、俺が救いたいと思った存在には変わりない。存分に甘やかしてやろう。
もう一度、俺は彼の頭をなでる。すると嬉しそうに、アトスは微笑んでくれた。
「ははっ……言葉に関してはもう問題ないの」
やり取りを見ていたストクードは、笑いながらそうつぶやいた。
この三か月、俺はひたすらに知識をむさぼった。ストクードから本当に基本的な文法、そして会話、発音、この場所がある大陸の名前などの固有名詞、ここのルール、世界のこと、あの異形の者たちのこと――。
多くを享受した。彼に刻まれた皺は伊達でなく、その一本一本に確かな知識が記憶されていた。その知識をとにかく吸収し続けた。
文法は英語に似ており、男性詞や女性詞があり、さらには一人称や他人称には日本語並みに豊富な表現があった。とにかく慣れ親しんだ言語に似ている個所が見つけられたためにかなりの速度で吸収できた。
言葉というのは意外と共通点があったりするものだ。それは世界をまたいでも同じらしかった。文字も発音もまったく聞きなれないものだったが、それでも進化の仕方というのは似ているのだろう。文字と発音さえ覚えてしまえば何のことはなかった。
まあ、彼らにすればまだまだ発音は怪しいのだろうが、それもきっともう少しで問題なくなっていくだろう。周りがネイティブしかいないのだから、慣れるのは近い。
ここにきてから、多くの知識を蓄えた。それでもまだ、現在必要な最低限の知識でしかない。だが歩き出す、いや立ち上がるための能力は得た。だからこれからは進むための能力を得なければならない。
その力とは――仲間だ。
今俺に、この場所をどうにかする力なんてこれっぽっちもない。俺は英雄のような力があるわけでも、選ばれた戦士でも何でもない。ストクードとアトスの力を合わせても、それだけの力では打開策すら見えない。もっと、もっと、多くの力が必要だ。
奴隷として、俺が手に入れられる力とは何か。今の俺に特別な武器も、特別な力も何もない。俺が手にすることができる可能性のある力。それは紛れもなく同じ奴隷の仲間たちなのだ。
――みんなを救うからにはまず”奴隷”そのものから脱却をしなければならない。その為には兵士たちを地に墜とす必要がある。俺たちを虐げる存在をなくさなければならない。
そのためにできることは何か。学校のいじめとはわけが違う。その構造自体は似ているにせよ、規模も程度も段違いだ。だからこそまた一人で突っ走るわけにはいかない。前と同じ轍を踏んでしまっては意味がない。
俺は昔、正義をはき違えた。助けるためじゃなく、憂さを晴らすために一人で戦ってしまった。
だから今度こそ、今目の前にいる少年も、老人も、そして虐げられ続ける奴隷たちを”救う”。俺がヒーローになるのが目的じゃない。それは救った先にある結果だ。
周りの人間の使い方が悪かった。昔の俺は周りの人間のマイナスの感情を独り歩きさせたせいで、その行き先が暴走した。マスコミに、加害者家族に、そして最後は事件をひっかきまわした俺自身に――。
ならば今度はプラスの感情を突き動かせばいい。今の現状に満足している奴などいない。奴隷は皆どこかで救いを求めている。でなければ、あの時の蛇の少女のように縋りついたりはしない。そこを持ち上げる。反逆の意志を育てていく。今はまだここの兵士たちに屈してしまっているが、もとよりここには人間でない、『魔族』たちがほとんどだ。いくつかの”条件”さえクリアしてしまえば、人間族である兵士たちを散らすことなど本来朝飯前なのだから。
今まで幾度となく見たあの異形の者たち。彼らは『魔族』と、元の世界で言う人間にあたる人族から呼ばれている。
彼らはこの世界において『魔法』を扱うことのできる存在だ。アトスの見せてくれた、今でも俺が限界近くになれば使ってくれるあの回復の奇跡、あれが『魔法』と呼ばれるものだそうだ。
なんでも世界に満ちている『魔力』をつかってどうのこうの――正直詳しい話はまだ理解が及んでいない。しかしある程度の説明は受けた。
『魔法』とは種族ごとに多種多様にあり、それはその種族であれば生まれつき、誰に教わらずとも勝手にできるようになるものらしい。ストクード曰く、人間でいうところの歩く、鳥で言いうところの飛ぶ、魚でいうところの泳ぐ――それと何ら変わらないことと同じなのだそうだ。
技術ではなく、それはあくまで身体能力のようなものだと。だからこそ、魔の扱う法、魔法との呼称がついたのだそうだ。
その魔法は、この世界に充満しているという魔力があれば体力の続く限り発動できるものらしい。その中にはドラゴンのように炎を吐いたり、雪女のように氷塊を出現させたりできる種族もいるらしい。しかし、人族は一切それができないのだという。
ではなぜ人間が猛威を振るい、魔族を奴隷として使役し続けられているか。そんな能力を持っている魔族が本気で暴れれば人間などひとたまりもないはずであるのに。
それには、人間側が持つ『魔術』という技術があるからである。この『魔術』は、人間が魔族に対抗するために編み出した技術だそうだ。世界に充満する魔力を勝手に吸収する『魔鉱炉心』という特殊な鉱石に、術式というものを組み込む。そこに決められた呪文と共に祈りを捧げると発動するものらしい。魔法に対して、こちらは魔法を扱う術といったところだ。
そしてその中でも、ここの兵士たち――大陸の西にあるアイルオルグ聖皇国の兵士たちが使用できるという特別な魔術――『聖皇の加護』と呼ばれる大魔術が、この魔族と人間族のバランスを形作っているのだという。
なんでも、この魔術を施された武器を使えばただの人でも竜を屠り、防具なら竜の炎にも耐えられるのだという。それが本当なら、とてつもない強大な力だ。
だが魔族の魔法と違って、複雑な魔法になればなるほど術式とやらが膨大になり、比例して魔鉱炉心自体も大きなものが必要になるらしい。この『聖皇の加護』というものは非常に巨大な魔鉱炉心にすさまじい量の術式を専門的知識と技術によって施す必要があるのだとか。
本当に詳しい仕組みは魔族であるアトスはもちろん、ストクードも専門家ではないので知らないらしいが、大まかにはこのようなものなのだそうだ。
とにかく、この魔術――聖皇の加護というものが、今のパワーバランスを作っているようだった。
逆に言えば、人間族の立場はこの魔術によって成り立っているといっていい。
この魔術の無効化、そして魔族たちの結束――それさえ果たせば、俺たちは”勝つ”ことができる。だがこれができなければ勝負にもならない。
――正直、この世界の情勢や魔術、魔法の関係を聞いて詰んだと思った。どうしようもない。飛車角金銀すべて取られた挙句に王将の周りに何もないくらいには詰んだと思った。特に二つ目の条件はどうするのだと頭を抱えたものだ。
それでも、俺は今もこうして、みんなを救うために立っている。
どうしようもない偽善と独善と、後悔と懺悔から来るどうしようもない復讐心だとしても、だ。
今の俺には、少なくとも助けてくれる人が、味方となってくれる人が二人いる。
俺には導いてくれる先導者がいなかったから。ストクードのような人がいてくれれば、間違うこともないだろうと思えた。
だからこそ進む。でも、無謀に進んでいるわけじゃない。それはストクードにも、そしてなついてくれているアトスネーヴにも失礼だ。
まず俺にできること。それはコミュニケーションだ。兵士に気づかれないように奴隷たちと話し、そして味方になってくれるよう説得しなければならない。だからこそ必死になって言語を習得した。
これから進んでいく。ちょっとずつ。犠牲はその間にも出るだろう。でもだからといって焦ってはいけない。諦めるなんてもってのほかだ。
少しずつ、輪を広げ、そして信頼を勝ち得ていく。叛逆のための布石を張っていく。情報をかき集めていく。
今、進んでいくことができている。停滞していた俺の時間は、死んだことによって動き出した。ようやく進みだすことができた。
ちょっとずつでもいい、岩を削り取る様にゆっくりでも、進み続けられる。
ようやく……三か月以上の時を経てやっと、俺はこの世界で一歩踏み出せた気がした。