出会い:悠長の蛇
上がってきた昇降機にはナーゲルが控えていた。
「――よろしいですか」
ナーゲルの問いに、頷いて答える。そのまま俺は昇降機へと乗り、下へと向かった。
鉄扉は半壊しており、溶けたような跡がついていた。おそらく炉心爆発によって閉じてしまった扉が焼かれたのだろう。昇降機が無事だったのは運がよかったかもしれない。
ホールには中央に魔鉱炉心が鎮座しているのみで、それ以外は転がる岩一つない。鎧も、何もかも、すべて蒸発してしまっている。唯一原型をとどめているのは四騎士レイルの持っていた折れた大剣。そして――。
「……シドウ、これ」
アトスが、持ってきた布切れだけだった。俺がかぶっている帽子と同じ色合いのその布はもうコートとは言えないくらいまでにボロボロになってしまっているが、わかる。彼のものだと。
その布の上に、手を這わせる。決していい手触りとは言えないその感触は、あのしわがれた手のひらのようで、また目頭が熱くなってくる。それでも、俺は何とかそれを飲み込み、笑う。
もう、弱くはあれない。無理でも何でもなく、心から笑おう。
「……ありがとう。アトス……。さあ、ここにはもう何もない。奴隷の解放を進めよう」
アトスから布を受け取り、頭を撫でてやる。子犬のように目を細めるアトスを眺めながら、通路の奥から出てきた蜘蛛族と、いまだ牢屋にとらわれていた奴隷たちがホールへと戻ってきた。
彼ら奴隷たちは今回の騒動において協力を申し出ておらず、また激しい戦闘や流水による被害のない場所の牢屋にいた奴隷たちだ。多くで動くよりも少数での短期決戦に賭けた俺たちは彼らをあえて牢屋に残してきたのだった。
奴隷としての仕事の所為か、会うことのなかった種族も見受けられる。彼らは一様に疲弊してはいるが、それでもその手首と首に枷はつけていなかった。もう、奴隷じゃない者たちだ。
「……よし。俺たちもいこう」
アトスの頭から手を放し、大切にコートを胸に持ち皆が出てきたほうではない通路へと足を向ける。その時、俺の手元から何か硬いものが落ちていった。
「……?」
アトスとその音を目で追うと、そこには小さな丸い、銀色の宝石のような鉱石が転がっていた。
「これ、魔鉱炉心、だね?」
アトスが拾い上げると、それは確かに魔鉱炉心であった。このあたりにある紅色や俺の持つ蒼色ではなく、こんな色の魔鉱炉心もあるのか……。
彼のコートから転がり出てきたそれは、もしかしたら彼が隠し持っていたものなのかもしれない。それも大切にポケットに入れて、目的の牢屋群があるところまで歩き出した。
「お、坊主。来たか」
ティヴァと手を挙げて挨拶しながら、彼らが引っ張り出している牢屋から、俺も奴隷たちを解放していく。彼らの枷を外し、そのままホールまで巨人や蜘蛛族たちに運んでもらう。自分で動けるものたちに関してはそのままホールまで歩いて行ってもらった。
いくつかそんな作業をしている時、一つの牢屋で目が留まった。
牢屋の奥、ひどく体の長い影があった。その影はよく見れば大蛇のそれで、その先には少女の体が生えている。その鱗は薄緑と赤色の光を放ち、灼熱のような赤色の髪は薄汚れて荒れ果てている。
「……蛇人族か……珍しいな。南大陸にしかいないと聞いていたが……」
サティリスが手早く彼女の体に布を羽織らせながら、その拘束具を外していく。
よく見れば彼女の体は汚れてはいるが、一番手ひどいのはその足――つまりは蛇の部分だった。ずるずると鱗や皮膚がただれており、見ているだけで激痛を伴うものだと予想できる。
「……鱗をはがれ、装飾品や武器に使われていたらしいな」
ティヴァはそう言いながら、アトスを呼ぶ。アトスは蛇人族の彼女に駆け寄ると急いで治癒を開始した。その光でも鱗まではやすことはできず、あらわになった白い地肌が痛々しい。蛇人族の彼女はかすかにこちらに目を向けると、安堵したように笑った。
その笑顔に、俺も同じく安堵した。やっぱり、この子はあの時の子だ。
俺はその子の前に膝をつき、手を差し出す。その手を不思議そうに見る彼女は俺の顔をまじまじと見て、はっとしたようにその金色の目を見開いた。
「遅くなった……。あの時は手を取れなくて、――ごめん」
俺の差し出した手に、サティリスに支えられながら、彼女は手を重ねる。
その手をしかと握り、彼女の体温を感じる。あの時よりも幾分か冷たい彼女の手を、その感触を覚える。これが俺が救えた命だ。俺がもっと強ければ、もっと暖かかった手だ。それを忘れない。
「――――」
蛇人の少女は安心したように笑みをこぼすと、そのまま気を失ってしまった。
彼女の体は大きく、というより蛇の部分が長大なので、巨人と協力してホールまで運ぶことにした。体自体は平均的な少女のそれなので俺でも担ぐ分には問題ないのだが、さすがに蛇の部分は俺の体では支えきれない。
「……シドウは、あれだよね。無意識でそういうことをするよね」
アトスがちょっと呆れたような、むくれたような声で言う。言わないでくれ。大半は無自覚でやった後に自覚して恥ずかしくなってくるんだから。
「……まあ、そこがいいとこだけど」
ぶつぶつと言いながら、アトスはちょこちょこと先の牢屋へといってしまった。
どうしたものかと思いながらも、彼女を早く布団に寝かせてやりたいので、ホールへの道を急いだ。
中央ホールにはアソルたち娼館の人がこぞって自分の部屋のベッドを持ってきており、そこに重傷の物を寝かせていった。蛇人の少女をそこへと横たえ、ひとまず息をつく。ベッドには有翼族が多く、ネムルも力を使って疲弊してしまったのか、そこで寝息を立てていた。
「王様……またお姫様増やしてきたの?」
アソルがいつの間にか俺の背後に立っており、わざと胸を当てるような体勢で体重をかけてくる。
「ちょっ……そんなんじゃないからっ!」
体を弓なりにそらして抵抗していると、くすくす笑いながらアソルは離れていった。
「妬いちゃうわ~」
そんなことを言いながら、からかいの色を含んだ目で笑っている。
「違うから、そうじゃないから……」
まるで自分で自分に言い聞かせているようだが、断じて違う。そんなつもりで助けてるわけじゃない。やましい色はない、はず。いや、確かにみんな美人やかわいい子が多いけども。目の前の竜人族含めて。
「……ま、私は側室でもいいわよ? お・お・さ・ま」
そういって耳元に息を吹きかけながらからかってくる。やめて、すごいぞくぞくする。なんか癖になりそうな感覚に戸惑いながらも、俺は彼女のやさしさに感謝した。
彼女がこうして俺をからかってくるのは決まって俺が気を張り続けている時だ。アソルはそれを見抜いてわざわざからかってくる。今もきっと。ストクードのことで気を張っている俺を気遣ってなんだろう。
「……ありがとう。アソル」
素直に感謝を伝えると、アソルは切れ長の目をぱちくり察せながら驚いていた。そんなに変なことを言っただろうか俺は。
「……そんなに耳に吐息当てるの、気に入ったの?」
「違うよ」
いや、まあ、なんかもう一回くらい感じたかった感覚のような気がしなくもないけど、違うよ。
アソルはくすくすと笑いながら、そのまま自分の仕事、つまりは奴隷たちの看護に戻っていった。
「……まったく」
ちょっと口元がにやけてる感じが自分でもわかるが、頑張ってそれを引き締める。さあ、もうひと頑張りだ――。
「これで全員か――」
全部の牢屋を回り、すでに逃げ出していなくなってしまっていた奴隷を除いて、すべての奴隷がここのホールに集まった。
ひとまずはここを拠点として治療や休養に専念しよう。今すぐに別の仕事を始めるには少し俺たちも消耗が激しい。とにかく怪我をしている者はアトスが、アトスが必要でない程度の怪我の者は東国騎士団が治療をしている。
そういう俺は手当をしつつ、周りを見ていた。そういえばシュリファパスがいない。どこに行ったのだろうと見渡していると、ムーンギルがレイルの大剣を拾い上げているのがみえた。
「……剣がどうかしたのか?」
彼が大剣を持つとほぼナイフのようだ。折れているし。それを見ながら聞いてみると、ムーンギルは軽くそれを振りながら、感心したように剣を見ていた。
「いや、良く打たれた剣だ。しかも、これ”重質白金”だ。人間がこんなもんを振るっていたなんてな」
「重……何?」
聞きなれない単語に聞き返すと、彼は剣を眺めながら答える。
「重質白金……白金の中でも特に重く、硬く、質の高いものだ。錆びねぇ、溶けねぇ、砕けねぇ。おまけに碌に採れねぇんだが、それだけで鍛えてやがる。巨人族の宝剣でもここまでの物はあるかないか……」
そういえば巨人族はその剛腕さによる鍛冶技術が異常に発達しているのだそうだ。彼らの打つ剣はすべからく業物となり、ここでも製造を任されていたらしい。現場に立ち会ったことはないが、あの剛腕で鉄を打っていればその密度は計り知れないものになるだろう。その彼らが驚くほどの重さと質の剣だったのか。それならあの魔力の暴風の中で原形をとどめているのも納得だ。
「でも、それ折れてるし使えないんじゃ」
「いや、鍛え直せば使えるだろうよ……。そうだ、いい事思いついた。大将、後でちょいと竜人族のネーチャン貸してくれ」
「あ……? ああ、いいけど」
何をするんだろうか。ムーンギルはほくほく顔で通路を抜けてどこかへ行ってしまった。あの剣を竜人族の息吹で鍛え直すのだろうか? 確かに神話に出てくる武器みたいな製法だし、かっこいいとは思うけど……そんなに質量の重い金属をだれが扱うのだろう。残っている部分は巨人族にとってはナイフ程度の長さしかないのに。
ぼーっと考えていると、不意に尻に衝撃が走る。湿ったタオルで叩かれたような地味な激痛にもがいていると、後ろには予想通りの不遜顔があった。
「若造! 準備できたぞ!」
「……なんの?」
急に現れたシュリファパスの爛々と輝く目にまぶしく目を細めていると、シュリファパスはいつになくハイテンションで、小躍りしそうなくらいにうきうきとしている。
「何などど……風呂に決まっておろう!!」
「……へ?」
その爛々と輝く目に手を引かれながら、俺はそのまま昇降機へと運ばれていった。