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夜明け

 ひたすらに、ただひたすらに慟哭する。今だ完全に脅威が去ったわけではないだろう。白光の騎士はその実力と隠密性を重要視した故に、どうやら一人だけでここに来たのだろう。周りには何も居らず、もう争いの気配はない。でも気が抜ける状況じゃないのはわかっているつもりではある。

 それでも、吐き出さずにはいられない。師の喪失を。肺の空気の一ミリも残さずに、叫びとして世界に解き放つ。それでも俺の中からその悲しみも、痛みも、苦しみも、出て行ってはくれなかった。


 傍らに、優しく手が添えられる。その小さく柔らかな手はアトスのものだと分かる。そのぬくもりも今の俺には慟哭を助長させるものでしかなかった。


 無力だった。想定が甘かった。言い訳などできない。ストクードは、彼は俺の無力が原因で死んでしまったのだから。

 

 泣けども泣けども流れ出るのは変わらず、止まることはない。この経験が、俺に主人公のような力を、漫画のような強さを与えてくれるわけではない。変わらず、俺は俺のままだった。


「…………」


 何も言わず、アトスは俺のそばについていてくれた。俺の頭を、その小さな体で抱き寄せ、優しく髪をなでる。泣きじゃくる俺を、優しく包んでくれている。

 こんな小さな女の子にあやされ、涙を流すその姿は、なんと情けないことか。なんとみじめなことか。


 世の理不尽でも、世界の理でもない。ほかならぬ自身の力不足が招いたこの結果に、ただ泣きむせぶことしかできぬこの姿の、なんと醜いことか――。


「――――――――――――――――――――――――――!」


 言葉にもならない叫びは、もうどれくらい続いただろうか。左目以上に焼けた喉はそれでも声を絞る。それはもう叫びともいえぬ、掠れた息となっても止まらなかった。



 俺の手に握られた彼の帽子は、所々が焼けて、すすけている。運よく原形をとどめたまま、爆風によってここまで巻き上げられたこの帽子は、今や確認できる彼の唯一の残骸だった。


 その残骸を握りしめ、ついに俺の喉は声を出せなくなる。涙も、次第に落ち着きを見せる。それでも、俺の中身は何も変わることはなかった。

 優しいアトスの手の上から、自信に満ちた、強い少女の声が浴びせられる。


「――おい。若造」


 人魚姫の美しい声は、変わらぬ調子で俺を現実へと引き戻す。

 そうだな。泣いている暇はないはずなんだ。俺は今、俺たちは今この時勝利をこの手に収めたのだから。次にやるべきことがあるはずだ。止まれない。止まることはできない。それが俺の選んだ道だ。


「シュリファパス……シドウのこと、もう少し――」


 アトスの言葉を手で制し、俺は立ちあがる。顔はきっとひどい。それでも、それでも俺たちは勝ったのだから、立たなくちゃならない。


「わかってる。ここで止まってちゃ、歩みを止めちゃそれこそ、ストクードが、犠牲になった人が報われない」


 俺はそのままシュリファパスの目をまっすぐに見据える。俺よりもきっと何倍も強い心を持っている人魚姫。その強い紅い瞳の色に引き込まれそうになりながらも、俺は目をそらさず真っ向から受け止めた。

 彼の、もうくしゃくしゃになった帽子を、自分の頭に乗せる。少しサイズが大きいが、それはすっぽりと俺の頭を包み込んだ。暖かくもない、ただの帽子だ。それでも、それが俺にとっての切り替えにはなった。


「……わかっておるならよい……。若造よ、忘れるなよ。王などとのたまうのならば、ゆめ忘れるな」


「……ああ」


 彼女の言葉を、深く息を吸い込み飲み込む。この喪失感も、絶望も、悲しみも苦しみも痛みもすべて、すべて俺が背負わなくちゃいけないものだ。間違えず、置いていかず、最期まで俺が持っていなくちゃいけない罪だ。それが俺の復讐エゴだ。これだけは、何が変わっても変えちゃいけない。


 アトスや、俺を遠巻きに見ているレチルにアソルも不安そうにしている。ムーンギルは、何だろう。悲しそうな、でも少しうれしそうな、なんとも言えない表情をしている。

 彼らにそんな表情は似合わない。彼らはこの戦いの最大の功労者だ。彼らがいなければ今の俺たちの勝利はない。だからこそ、彼らは笑わなくちゃいけない。宴を始めようかというくらいに、喜びをかみしめなくてはならない。


 それには、きっと俺が笑う必要があるのだろう。今俺を見る皆の不安の目は、それは少なくとも俺を心配してくれているということだ。俺に同情をしているということだ。だからこそ、笑うことができない。


 ならば笑おう。俺は、笑わなくちゃならない。俺が笑い、皆が笑う。そうしなくてはならない。

 だからこそ、不遜に、傲岸に、嗤おう。笑おう。何、笑うことなど造作もない。今は、笑っていい時なのだから。


「……く、くはは! あっははははははははは!」


 笑え。笑え。しみったれた表情など、今は似合わない。


「――――もう大丈夫だ。みんな、すまなかった――。さあ、笑おう。それが今は必要だ」


 犠牲は、四人。

 そう。この作戦の犠牲は、巨人、蜘蛛、そして老人を含めてたった四人だ。これが笑わずにいられるか。大成功じゃないか。こんなにも、俺たちは勝利を手にした。だから、笑おう。


「……若造シドウ


 シュリファパスが、俺の首に手をまわし、その小さな胸に俺の顔をうずめる。


「……妾は、止まるなとは言おう。しかしな――泣くなと言うとらん。この業突く張りが……」


「…………ぁ」


 その優しさに、また、目頭に熱がこみあげる。でも、それは堪えよう。違うんだ。無理をしているんじゃない。決して、無理をしていない。本心なのだ。これは。

 偽らざる本心が、告げるのだ。笑えと。彼の声が聞こえる気がするのだ。きっと、帽子が似合わないと、からかってくるに違いない。そんな彼が言うのだ。笑えと――。


 ゆっくりと、シュリファパスの腕から逃れ、毅然と立つ。もう、顔には意識しないでもわかる。俺は笑っていた。


「――――大丈夫」


 それも見て、周りの空気が弛緩していくのが分かった。皆、かすかにだが笑みを浮かべている。シュリファパスも、まるで呆れたような笑顔を見せて、ため息をつく。


「さあ、みんな。まだ仕事が残ってる。ホールから遠い、避難区域外の奴隷たちを解放しに行こう。もしかしたらもう自分で脱出してるかもだけど……」


 その言葉に、皆「応!」と答え、巨人族たちがぞろぞろと昇降機へと向かっていく。その途中、巨人たちの最後尾を歩いていたムーンギルが、俺の背中を結構な勢いで叩いた。


「ぐへっ!?」


 思わぬ衝撃にえづきながら、彼を見上げると、豪快に笑った。そのままほかの巨人たちを追って、昇降機へと進んでいった。その姿に苦笑いしながら背中をさすっていると、アソルが俺の背中をさすりながら、顔をのぞき込んできた。


「……本当に、助け出してくれた……感謝してるわ。王様」


 そういって軽く頬に口づけをしていくと、彼女もまた昇降機へとのっていった。そこで昇降機は一度姿を消し、彼らを下へと運んでいった。

 さて、俺たちも次の昇降機に乗るかと歩みを進めると、不意に左目の視界がなくなった。

 先ほどまで魔鉱炉心の爆風によって痛みを訴えていたため、失明したかと一瞬肝が冷えるが、どうやら何かが巻き付けられているようだ。感触的に、蜘蛛糸だろうか。


「火傷、アトスでも治せないみたいだから、一応巻いとく……無茶すんじゃないわよ?」


 通り抜け様に、レチルが俺の顔に包帯代わりにまいてくれたらしい。ひやりと冷たい糸をなぜながら、ありがとうとその背中に声をかけた。蜘蛛族の人たちはそのまま自分で山肌を降りていくらしい。皆崖のほうへと進んでいった。

 

「なんだい。こんなにも愛されてんのか、坊主は」

 

 それを見ていたティヴァが、肩をすくめながら声をかけてきた。お茶らけているようだが、その表情は少し硬い。理由は、予想できている。


「――悪いな。スパイに気づいてれば」


「違うよ」


 言葉を遮って、俺は続ける。


「ストクードは、仕方なかったと思う。もう、過ぎたことだ。もしもの話をしたってしょうがない。たとえスパイがいると分かっていても、結果は変わらなかった――。スパイを考慮して作戦を速めても、遅めても、こうはならなかった――。もっと被害が出てたと思う。準備不足や、奴隷たちの疲労とかでね。だから、これが最善策なんだと思う――。だから、違うよ」


 はっきりと、そう伝える。もう、背負っていくと決めたのだから、積み荷を降ろすことはできない。来た道を振り返っても、荷物が下せるわけではないのだから、進もう。


「――ああ」


 ティヴァは鼻を軽くこすると、俺と肩を組むように叩いて激励して去っていった。


「――お前は、変わらんな……いや、強くなったか……」


「……?」


 サティリスが、つぶやいた。何のことかと思っていると、苦笑しながら、俺を見た。


「いや、彼が託したのが、お前でよかったと――そう思っただけだ。さあ、仕事にとりかかろう。まだまだ腐るほどやることはあるのだからな」


 そのまま彼女もティヴァに続いて、昇ってきた昇降機へとのっていった。

 俺も行こうと、足を今度こそ進める。しかし、その歩みは袖を引っ張られることでふいに止められる。アトスかとも思ったが、彼女のいるほうの手ではなかった。

 そちらを向けば、ネムルが、その暗い眼で俺を見ていた。そして何を思ったか、おもむろに俺の頭を帽子越しになでると、ふらふらと昇降機へと歩いていった。


「……みんな、シドウが集めたんだよ?」


 アトスの声。その声は、優しく、俺の心を溶かしてくれるようで、変わらない、その天使の声は、笑っていた。心の底から、蕩けるような満面の笑みと共に。


「――――これは、シドウだけの力だよ」


 そういって、彼女はトテトテと小走りに行ってしまった。

 その姿を追おうと思ったが、なぜか足は動かなかった。自分でもわからず、その理由に小首をかしげていると、シュリファパスが俺の尻に尾っぽでビンタをしてきた。


「いてっ!」


 ムーンギルのように、かかっと満足そうに笑いながら、彼女はそのまま昇降機を起動させて俺を置いて下がっていってしまった。


「…………」


 彼女の笑顔に、本当になんとなくだが、一人で考える時間をくれているのだろうかと、そんなことを想った。違うかもしれないが、おいてかれた理由はそれかもしれない。


「…………………」


 今はもう、ここには俺しかいない。さっきまで、この教会前も人であふれていた。様々な種族と、性格の人たちが、一つになっていた。もう、あたりを見渡せば視界を遮るものはない。ただの教会と、夜の景色だけ。

 たった一夜の、逆転劇は、終わった。

 さっきまで、ここにいた多くの者たちの気配を、懐かしむ。


 あれが、俺が集められた”力”なのだろうか。アトスの言うような、特別な”力”なんだろうか。

 カリスマ性があるわけではないと思う。特別帝王学を学んでいたわけではない。王として、器ができているわけではないと思う。


 それでも、ただの器用な一般人だった俺でも、これだけの”力”を集められた。それは、きっと、誇っていいものなのだと思う。


「――――っは。死んで、生まれ変わって、やっと誇れることが一つか――――」


 自分のどんくささに、苦笑いしか出てこない。あまりのしょうもなさに、自分のちっぽけさに、嗤えて来る。

 間違えてきた人生を進んできた。もう、その楽な道を進むことはできない。

 ――――それがどうしようもなく、楽しい。


 ふと、俺の背後が明るくなったのが感じ取れた。いつの間にか教会の上の空は半分だけが白んでおり、俺の後ろで太陽が昇っているのが分かった。


 振り返る。そこには、大きな朝日があった。


 森の向こう、どこまでも続いていそうな地平線の向こう――――半分だけ顔を出した輝く太陽が、闇になれていた俺の目を焦がす。世界の半分を照らす光は、不気味な森さえも新緑に照らし、光り輝く朝露と遠く飛ぶ鳥の群れを浮かび上がらせる。

 薄く雲のかかった太陽はひたすらに熱く、紅く、輝いていた。

 

 

 ようやく、ようやくたどり着いたのだ。夢は、目標になった。

 はかない、おぼろげな実体のない霧から、今は手を伸ばせる、色も形もはっきりとわかる距離にまで近づいた。

 あとはもう、ひたすらに進み続けるだけだ。



 朝焼けは、確かに俺を照らす。

 雲を切り裂き、輝かしいばかりの太陽は円を描き、只ひたすらに世界を照らす。


 太陽に、俺は手を伸ばした。ここから見える景色は、俺の手だけになり、あの太陽ですら、すっぽりと覆えてしまえた。


「                     」


「――――――――――――――――――――――――――ああ」


 声が、聞こえた気がした。


 ならば、こう答えよう。


 それが、俺の日課だったから。


「――――相変わらず、最高の目覚めだよ。ストクード」






 陽は、昇った――――。

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