慟哭
昇降機はほどなくして昇り切り、再び俺たちは夜空の下へと送り出された。
俺はそのまますぐに昇降機の操作盤へと飛びつく。どれが何を指しているのか、わからない。それでも書いてある文字を追っていじろうとしてみる。しかしその行為もティヴァによって止められた。
「離せよッ!! ティヴァ!!」
「離せるか馬鹿ッ! ストクードのおっさんの言葉を聞いてなかったのか!」
知るかそんなもの。彼は死なせちゃダメなんだ。それじゃ俺の作戦は何の意味があった。彼を、彼を含めて解放するのが俺の夢だった。目標だった。だから彼を死なせるわけにはいかない! 絶対に助けなくちゃだめだ。だめなんだ。俺はまだ、まだ一人で立てるほど強くない。まだ、まだ――――!
パンッ――――!
不意に、頬に強烈な熱さが湧き上がる。一瞬真っ白になった頭はどうやら上にいたシュリファパスがはたいたものと理解した。
「――――」
「……喚くな、若造」
彼女の赤い眼には確かな怒りが燃えていた。彼女はそのまま呆けている俺をティヴァに放るように言うと、倒れた俺のポケットからブローチを取り出した。
そのまま彼女はそれを持ちながら、昇降機のすぐ前、そこにめり込んでいる魔鉱炉心へと近づいていった。
その行為の意味に、思い当たる。
「――やめろっ! そんなことをしたらストクードが!!」
「馬鹿者っ! あの状態ではもう助かる方法はない。それどころかあの騎士がこちらに来るのも時間の問題よ!」
そう言い放った彼女は、そのまま巨人族を何人か引き連れて炉心へと近づいていく。
だめだ――――だめだ――――だめだ――――だめだ――――だめだ――――――――だめだ――――だめだ――――。
動こうと体を起こす。しかし震える足には面白いくらい力が入らず、自分よりもかなり小柄な彼女に近づいていくことさえできない。
理化しているのだ。頭は理解している。ストクードが死ぬつもりであそこに一人残ったのだと。助かる気などなかったのだと、あの顔を見ればわかったのだ。でも、それは別だ。俺は彼の死を理解はしても、許容はできない。決して、認めちゃいけないものだから。俺の立つ理由の一つが、その喪失感が、俺の両足から力を奪っていった。
ずっと上にいたアトスは、俺とシュリファパスを見ておろおろとしている。それでも彼女は俺を止めることを選んだようだ。じりじりとシュリファパスに近づく俺の前に立ちはだかる。その横には、アソルもいた。
「……どけ」
「だめよ」
アソルは、ぴしゃりと言い放つ。その言葉に俺はまたも理解してしまう。そうなのだ。ここでの最適解はストクードを助けることではない。彼を犠牲にして俺たちが生きていくという選択が最善なのだ。そのための策も、今目の前に存在している。可能ではあるのだ。それが俺の理性の部分を否応なしに肯定する。でも、俺の感情は、本能は依然飲み込むことができないでいた。
「……どけって言ってんだろ!!」
「だめだよ。シドウ」
今度はアトスが大声を上げた。わかってる。わかってはいるんだ。お前たちが正しい。俺が間違ってる。俺のやってることは今ここまでついてきてくれている人たちを裏切る最悪最低の行為だ。でも、それでも、俺には許容できない。そんなに、俺の心は強くできていない。
「……まだ、教えてほしいことがたくさんあるんだ。導いていてほしいんだ……。生まれて初めて、尊敬できる先人に出会ったんだ。師を見つけたんだ。俺のたった一人の師を見つけたんだ。彼が笑っていない世界を救っても、それは俺の復讐をなしたことにならない」
紡ぐ言葉を、皆黙って聞いている。否定も、何もない。ただ黙ってみんな俺の独白を聞いている。無理やり気絶させるなりすれば、すぐに静かになる。それでも、そうしないのは、それだけ俺がひどい顔をしているからだろう。自分でもわかる。情けない、初めてストクードに会った時と同じ――それ以上にひどい泣き顔を晒しているだろう。ぐじゃぐじゃの、情けない顔を晒しているのだろう。もう視界は、原形をとどめている者がない。すべてがゆがんで、濡れている。
「……頼む……どいてくれ……」
絞り出すような、かすれた声。聞こえているのかもわからない、情けない声。でも、帰ってくる言葉がある。
「……だめだよ、シドウ」
その言葉に、俺の膝は頽れた。力の入らない脚は、もう立っていることができなかった。
もう、顔を上げていることすらできなかった。でも、周りから聞こえてくる音で、今どういった状況なのかを知ってしまう。
皆が魔鉱炉心へと近づいて行っている。何か、岩をどける音がする。炎の燃える音がする。皆が声を揃える音が聞こえる。巨人族たちの、大きな足音と振動が、地面を伝って感じられる。近くには、アトスの小さな白い脚があった。傍らに、彼女は寄り添うように立っているようだった。
地面が、黒いシミを作っていく。流さないと決めた涙は、もう止めることできなく流れていく。体中から抜けた力は、もう戻ってくる気配もない。涙と共にあふれ、消えていく。震えることすらやめたこの体に、いったいどれだけの力が残っているのだろう。
まだ、俺は王になりたいなどと思っているのだろうか。脳裏に浮かぶのは、あの教師の目――。暗い、東京の真っ暗な空のような俺の目。かつて救えなかった、俺を見て怯えた表情をしていたあの子の顔。涙の代わりに俺が得たものは、そんな、心折れた俺の記憶だった。
ふと、こんなところで何をしているんだろうだなんて考えてしまった。
死んで、異世界で奴隷となって、そしてそこで王になると息まいて、その結果はこれだ。
計画は万全だったと思う。できる限りのことをした。
四騎士レイル、新型の、ナーゲルも知らない、液状化した魔鉱炉心。ストクードの死はここから発生した事実。俺は王を目指しているだけのただの人、未来を予見する軍師ではない。そんな才能もない。ただ、自分の魂に従って突き進んでいただけ。その過程で王を名乗っていただけ。そんなただの人。
(ふざけたこと言ってんな)
思い起こされるセリフ――これを言っているのは誰だったか。
(正義の味方も、王様も、お伽噺の中だけだ)
ああ、解ってるとも。今も身をもって理解している。だから黙ってろよ。うるさいんだよ。
(尊敬する人一人、救えないじゃないか。こんなにも弱い。脆弱な人間)
わかってる。だから黙れ――。
(それが、俺だ)
知ってんだよ。そんなこと。
「準備は良いな?」
シュリファパスの声が聞こえる。人魚姫は、その声に絶対の覚悟を含めていた。
それにこたえる、剛腕の巨人達。器用な蜘蛛達。灼熱の竜人達。空を舞う有翼達。聡明な魔術師達。屈強な騎士達。
傍らに立つ、優しい天使――。
たとえお伽噺の中であろうとも、俺の願いはかなわない。俺の思いは、果たされない。
立ち上がる――。
足は、力を受けてくれている。俺にはそれしかできないではないか。知っている。魔法も、魔術もできない。俺はただ、立って、歩いて、進むしかできない。最初から、そうだった。
足を、前へ――。
進む。それが俺にできる精一杯、最大限。止まれば、それこそ俺はもう存在する意味もない。進む。その先には、お伽噺の中の者たち。
(諦めたい……諦めることすらも投げ出して、ここで、一生くらい溝の中で動かないでいたい)
歩く。その姿に、アトスは俺の手を握るが、その頭を空いている手で撫でてやる。
暗い視界は、夜の所為でもうほとんど光など映してはいない。ただ一つ、空に浮かぶ、一つの蒼い星を残して。光り輝く小さな星は、以前よりも、もっと煌々と輝いていた。いつか見た星よりも、激しく、明るく燃えていた。
シュリファパスの隣へと、立つ。彼女はこちらに向くともせず、ただ目の前の、準備を終えた魔鉱炉心に映る自分を見ているようだった。
俺は何も言わず、その手から火打石を取る。彼女は何の抵抗もせず、俺に火打石を渡す。
「……やってくれ」
そう、一言つぶやく。その言葉を聞いた者たちは、それぞれ最後の作業を始める。誰も、俺を止める人はいない。火打石の石に映る俺の目は、蒼く燃えているようだった。
魔鉱炉心を支えていたものが、取り払われる。蜘蛛の糸、巨人たちの腕、岩、そういったものが取り払われ、巨大な魔鉱炉心は重力に従い、下へと落ちていく。巨大なドームの頂点、その薄くなった岩盤をその超重量で突き破り、真っ逆さまに、一本の蜘蛛糸を着けて落ちていく。
一度消費させた魔力は、ある程度は戻っているだろう。最初のようにこのあたりを吹き飛ばすほどでないにせよ、その力は絶大だ。大質量兵器は、落下する。
俺にとっては、異様にスローな世界の中、火打石を構える。その間、ストクードの『この手で行う殺しを一度だけにする』という言葉が思い起こされる。
きっと、これはそのままの意味ではないのだろう。悪を殺すことに何も感じなかった、何処か欠けている俺が外道にならないように付けた制約なのだろう。そう、思う。
だからこそ、その教えを身に刻んだうえで、この火打石を鳴らす。彼の死をもって、俺はこの制約を確固たるものとする。彼の死を、この手で刻むことで、俺への復讐とする。決して敗れぬ、誓いとする。だから――。
「――さようなら、ストクード」
打ち鳴らした火花は、蒼く、落ちてゆく魔鉱炉心を空気ごと、燃やし尽くした。
青い火柱が上がる。空いた穴から噴き出す炎は、俺の顔を焼いた。離れ避難する皆に従わず、俺は着火した場所に立ったまま、その炎を間近で見続けた。轟音と共に巻き上がるその炎は天高く空を焼きつくした。
顔の左側が焼けるように熱い。でも、俺はそこを絶対にひかなかった。今この時だけは、決して後退だけはしないと、意地になっていたから。だからこそ、火柱は俺の全身を焼いていく。熱い。死ぬほどじゃない。きっと軽いやけど程度だと思う。それでも、その熱さは、特に左目の熱さは、身を焼くほどのものだったように感じた。
しばらく上がっていた火柱は、消える。あっという間の爆炎は落ち着き、視界の下に魔鉱炉心と、一人の騎士を残して収まった。
その白銀の騎士姿に、絶望する。思わず膝をつきそうになる。だって、動いているのだ。かすかに。あの騎士はその姿こそボロボロになっていても、それでも動いている。
「…………」
ピクリと動いた騎士以外に、眼下に動くものはない。もちろん、老人の影など、どこにもない。
「――――」
何かを、騎士がつぶやいたように感じた。それは、騎士がその体を起こすごとに大きくなっていった。そして完全に騎士がそのボロボロの身を起こしたときに、その言葉はこちらにまで届いてきた。
「――――ふざけんじゃねぇ!!!!」
騎士はその体をふらふらと揺らしながらも、その足で立ち、そしてこちらをひび割れた兜の隙間から睨みつけていた。盾を持つ左腕はすでになく、剣も折れ、盾も融解しているようだった。それでも立ち上がる彼は、こちらを残っている右腕で指さしてひたすらに叫ぶ。まるで人が変わったかのように。
「あ゛あ゛!! あ゛あ゛あ゛っ!!! うぜぇ! うぜぇ!! うぜぇうぜぇうぜぇうぜぇうぜぇ!!!!!!」
彼はそのまま通路の奥へと、身を運んでいった。此方への罵声を止めることなく、ひたすらに汚い言葉を叫びながら。
「お前ら、絶対に殺してやっからナァ!! その腸ひん剥いて! 首を晒して! 国中を引きまわしてやる! 女子供は馬鹿共のオモチャにしてやるッ!! 男は俺がその手足を引きちぎってやるっ!! 必ずだァ!! 必ずッ――必ずブッ殺してやっからなァァァ!!!!!」
そう言いながら、彼は通路の奥へと近づいていった。その姿に、俺は一言、絶望の中でも、たった一言を言ってやりたかった。お前たち理不尽に、俺の名を、俺の名のもとに集まったものたちの存在を、あいつの脳裏に刻み付けるために。
「――――できるものならやってみろ!! 俺はこの巌窟の中より這い出しし王、シドウ!! この名を刻め! いつかお前たちに復讐を果たす者の名だッ!!!」
俺の声を聴いたレイルは、一瞬ひるんだかのように見えた後、そのままさっと通路へと抜けていった。あの怪我では、もうまともに動けないだろうに、それでもレイルは人を超越したような速さで駆け抜けて、あっという間にここから見える要塞の出口から走って森の中へと消えて行ってしまった。
――ストクードの命と引き換えに、殺すことはできなかったようだ。
その事実が、張りつめていた俺の足から力を奪う。せめて、せめてここにいる者たちで奴の命を奪えるほどにまでダメージを与えられていればよかった。だのに、奴はあろうことかまだ動きの速度自体は”まったく”落ちていなかった。その驚愕の事実と、信じられない奴の執念と生命力に、俺は足をついてしまった。
いや、今ここで見逃してくれただけ僥倖なのだろうか。奴は剣も、盾も失っていただろうに、それでもあの速さ――。逆上して殺されなかっただけましなのだろうか。焼け痛む左目を抑えながら、俺はうずくまった。もう、それしか俺にはできなかった。
ストクードの死と、あの騎士の強さと絶望は、俺の心を十分に砕ききることに成功した。
周りが、にわかにざわつき始める。戸惑いの表情。当然だ。”勝った”というには、あまりにも、達成もない。無味で、後味の悪い、ひたすらに飲み込むのがつらい”勝利”があるのだから。
ふわり――。
視界の隅に、黒い何かが滑り込んできた。人影でも何でもないそれは、一つの布。帽子の形をとっているそれは、紳士のかぶるようなハット型の帽子で、ストールのような古い布が巻かれている。ストールは、途中で焼け落ちてしまっているようだった。
その黒いともいえるほどに深い濃い緑の帽子を、手に取る。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!!」
俺の叫びは、無数の星々が輝く空に、むなしく吸い込まれていった。