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永訣:金眼の銀狼

 昇降機が後ろで駆動する音がする。少年の声が、自分の名を呼ぶ声が消えていった。


 少し、急すぎただろうか。私が彼を、王として育てていくにはもう少し時間がほしかったが、どうやらそれもかなわないらしい。

 もう、老いた身だ。おそらく長くはない。ここを出ても、あと数年といったところだろう。人は、寿命には勝てない。時間の流れに逆らえるものは、この世に存在しないのだから。ならば、ここで――。

 

 正確に伝わるかは、わからない。彼が立ち続けることが、進み続けることができるかも、わからない。

 剣も振るえぬ、言葉もおぼつかぬ、細身の少年が、止まらずにいられるかは、わからない――。もしできることなら、”あれ”を使ってほしいとは思う。だが、今の少年には難しいだろう。

 逃げて、逃げてまた立ち上がってくれればいい。それだけでいい。しかしそれすらも、今の私には知るすべはない。


 だが――。


「……一人残るか、銀狼」


 目の前の騎士は、悠然と立つ。自然に構えた大剣と大盾に隙はない。いつでも、最高の一線を放てる状態なのだろう。

 

「……なに。若者の背中を押してやるのが、老骨の役目じゃろうて」


 笑っては、見せる。しかし目の前の騎士との実力の差は嫌というほどにわかってしまえる。今まで自分も騎士として生きてきた身だ。その時間はこの騎士よりもずっと長い。経験から来る観察眼は、この者には決して勝てないという確信がみえてしまっていた。


「下らんな。斯様な者たちを守るために――その脆弱な未来を紡ぐために命を賭すか……。笑止。あまりにも、愚かしい」


 首を振る騎士。その姿に、自分が負けることなど微塵も思っていないのがうかがえる。いや、事実私では……今の私たちでは彼に大打撃を与えることはできないだろう。

 立ち向かっては駄目だ。彼と戦ってはいけない。より多く、より遠くへと逃げてくれることを祈るしかない。幸い、『聖王の加護』は解けた後だ。魔族たちの全力の脚ならば、おそらく”半数”程は、逃がすことができる。


 十分だ。彼を前にして”半数”を逃がすことができた。それは十分な”大儲け”だ。勝利といっていい。

 それを、彼は納得してくれるだろうか。あの、蒼い炎を宿した少年は、飲み込んでくれるだろうか。

 わからない。知ることは、もうできないだろう――。


 右手の曲剣を、握り直す。暇にかこつけた帝国騎士の高価な刀剣。十分に使える我が爪だ。

 左手の直剣を、持ち直す。東国の騎士団の物。業物としては合格だ。十分に使える我が牙だ。


「――そうじゃよ。人間とは、かくも愚かしい」


 神ではないのだから、間違うのだ。戸惑うのだ。迷うのだ。踏み外すのだ。

 それは、どんな生物も同じ。魂を持つものならば、決して逃れられぬ、この世界が定めた理だ。


 だからこそ、愛おしい――。


 間違えても、戸惑っても、迷っても、踏み外しても、人は立ち上がれる。立ち上がることができる。空は飛べない。長い命を持つわけでもない。野を疾駆することはできない。剛腕もない。水を自由に舞うこともできない。

 それでも、立ち上がることができるのだ。少年の目に見た、いつか自分が宿していた闘志を、炎を。それは人だからこそ持ち得る絶対の武器だ。魂を持つものが獲得し得る、最強の武器だ。

 人には、それしかないのだから。


「さあ、始めよう『白光の騎士』よ――。これよりは、”我が王”の覇道。何人たりともその歩みを止めることは叶わぬと思え」


「…………」


 地を這うように腰を低く構える。その姿を見て、白光の騎士は半身に、その大剣を正眼に構えた。


「――今は亡き西国の王に仕えし『銀狼』――この時を持って、蒼き星にこの牙を捧げよう」


 今だ若いあの少年の星を見る。小さな炎。

 消えてしまわないだろうか。折れてしまわないだろうか。わからない。わからないが、わからないからこそ――。


 私は、彼を信じよう。


「いざ――参るッ!!」


 逆手にした曲剣を地面にひっかけ、腕と足の力すべてで瞬間前へ飛ぶように跳躍する。騎士の背中側へと潜り込む。地を這うような跳躍は、人型の、視線と武器が上方にある対象にとって、とっさに対応しにくいものだ。一閃、膝裏へと直剣を振るう。しかし、騎士レイルは構えた大剣を逆手に持ち替えることで、自身の足元と背中側を防御した。

 私の直剣による剣劇は防がれてしまう。それでも攻める手は止めない。はじかれた勢いと、跳躍した勢いを殺さずにそのまま彼の後方へと飛び、曲剣を地面に突き立て旋回する。

 その旋回による勢いすらも載せて、彼へと再び直剣を振るう。しかしそれすらも、騎士は大盾をまるで剣のように振るうことで相殺した。


「――ちっ」


 思わず舌打ちがこぼれる。初見でここまで対応されるとは――。やはり帝国最強の騎士は伊達ではないか。


「……よく動く。その老体でなお衰えぬか……。貴様のような者が、我が帝国にいたなら近衛にもなれただろうに――」


 瞬間、レイルの足元が沈んだように見えた。いや、事実沈んだのだ。彼は踏み込みにより岩の地面を抉りながらこちらへと一瞬で距離を詰めてきた。


「だが、近衛どまりだ――我らには、届かない」


 まるで重さなどないかのように、枝でも振るうかのように大剣を振るう。その一撃は何とか曲剣でいなせたものの、それでも私の体を後方へと吹き飛ばすのに十分な威力があった。

 しびれる手を無理くりに動かし、何とか空中で体制を整えて着地する。しかしすでに視界にレイルはおらず、背後からぞっとするような殺気を感じた。


「――――ッ!!」


 両手の剣を地面にひっかけ、前方へと全力で跳躍する。また曲剣を支点として旋回すれば、レイルの剣がさっきまで私のいたところに根元までめり込んでいるのがみえた。


「――ほう? ”狗”狩りとは、存外難しいものだな」


 鞘から抜き放つかのように、大剣を引き抜いたレイルは感心したようにつぶやく。だがその声には多分に皮肉が含まれているのが分かる。

 右足の肉が、少し持っていかれていた。


 しびれるような痛みに、歯を食いしばる。直撃どころか、確実にかわせるところまで逃げたはずだ。それがこの有様とは……それはつまり奴の剣圧だけでも、人の肉をそぐのに十分な威力があるということだ。


「――狼の狩りは、狡猾なのだよ。若造」


 精一杯の強がりに、言葉を返す。額からは脂汗が浮き出る。それも、奴にはわかっているのだろう。表情は読み取れなくとも、その姿からは余裕がにじみ出ている。


 再び、疾駆する。右足を庇うことはできない。今ここで使いつぶすつもりで、全力で飛んだ。今度は曲剣を幾度も地面へとつっかけ、蛇のような、不規則な角度と方向へと跳躍しながら彼へと近づいた。

 常人では、追いきれぬ速さのはずだ。一度の剣戟、そしてそのまま彼を中心として次々と跳躍、剣戟を繰り返し見舞っていく。彼の周囲全てから、上下左右すべてから、不規則に、獣の群れが獲物を襲うように斬り付けていく。

 

 だが――、それでも。


「――なるほど。銀狼の異名はこの戦い方からか。獣の狩りのように、不規則かつ予測できない動き――確かに狼の狩りだ。賞賛に値する」


 そのすべてを、彼は防ぎ切った。大剣は小回りの利かない武器のはずだが、持ち方、いなし方、盾を上手く使って、その甲冑に傷一つ付けられなかった。


「しかし、畜生風情の技術を身に着けたところで、所詮は畜生もどき――人間に勝てる道理はない」


 不意に、右手から力が抜けていく。剣を握っているのがつらいほどの痛みは、どうやら折られているらしい。あの連撃をいなしながら、彼は一撃、盾による打撃を与えてきたというのか。

 あまりにも人間離れした技――帝国最強の称号が、これか。自分の実力に驕りはしないが、弱くはないと自負している。王直属の騎士としてお守りしていた自負がある。だが、やはり、彼ら帝国の四騎士には勝てないというのだろうか。


「貴様のいた、西大陸の小国。そこを滅ぼしたのは四騎士の一人だったと聞いている。判っただろう? 貴様たちに、我らは倒せない――。獣風情が、粋がるな」


 ああ、勝てない。やはり勝つことはできない。せめて一太刀だけでもと、そう思っていたが甘かった。

 彼には、勝つことはできない。


「――さあ、死ぬといい」


 彼が初めて、腰を落とした構えを見せる。今までは構えといっても、いうなれば突っ立っていただけ。剣士の親が子に剣を教えるときのように、ただそこにいて、剣を打つ練習台になっていただけ。その事実に、同時に理解する。

 次の一閃が、私の最期だということを。


 構える。意味はないだろう。しかし、折れてはならん。止まってはいかん。それは、あの少年に示しがつかない。あの少年に届くことのない、最期の教えにならない。


 逃げおおせただろうか。どこまで走れただろうか。山を越えただろうか。

 

 この時間稼ぎが、彼らを生かす。名誉なことだ。栄誉なことだ。誉れ高き、最期の勲章となる。


「――貴様の死だけは、我が記憶に留めておくとしよう。銀狼――」


 レイルの体がわずかに沈む。

 来る――!!


 剣を眼前に構える。私も往こう。

 信じている。ああ、信じているとも。ほんの少しの間、その時間でもわかった。少年の目に宿る火を。決意を。残り少ないこの命を使うに値すると――まだまだ弱いあの少年が強く、立ち上がるためにこの未来のない魂を使えるというのならと――。




 その時、天井が崩れた。レイルと私はとっさに後方へと飛びのく。次いで見上げた空からは、巨大な魔鉱炉心が落ちてきていた。


「――奴ら、まさか!」


 レイルが大盾を構える。その姿を見ながら、私は上を見上げた。魔鉱炉心からつながる、一筋の糸――。その先にあるのは――。


「――――あぁ」


 最初に会った時と同じような、泣きじゃくって汚くなった顔。しかし確かに宿る。強いほのお――。暗い瞳ではない、確かな意志を感じる星のような瞳。


「――――強くなったな。シドウ」


 閃光が走る。蒼い閃光は瞬く間に私の体を包み込んだ。


「――――――――――――――――」


 伝わっただろうか――最期の言葉は――。

 大丈夫だろう。何せ、私は彼らを信じている。

 私の世界に、再び太陽を登らせてくれた、彼らを――――。

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