決別
堂々と立つその姿は、まるで王道ファンタジーの中に出てくる勇者のような、きらびやかな白銀の甲冑に身を包んだ男――。
その貌は精緻な細工の施された兜に完全に覆われている――しかしそのスリットの奥には確かに紅く光る双眸があった。男の鎧はまるで貴族が着用していたような豪奢なもの。所々に意匠が施され、それらは白金の地金に金と紅蓮の線を残す。この埃舞う空間の中でさえ、その輝きはついえない。
深い深い紅のマントには、帝国のシンボルであろう刺繍が煌いている。
その右手には直剣よりも一回り大きな大剣、それもまた美しい刀身と意匠。
その左手には自身の半身を覆うほどの大盾、輝く、竜の彫られた分厚い鋼。
さながらその姿は、お伽噺の勇者のようで、姫を救うために立ち上がる、魔王を討つための旅を続ける最強の勇者――見るものはみなそう思うだろう。
その双眸が向けられている、俺たちを除いて――。
「――ああ、全く情けない」
男はこのホールを見渡して、またそうつぶやいた。その声は低いが紳士的な声色を含んでいる。落ち着いた、紳士的な声。だというのに、俺にはとても冷たい、深海へと引きづりこまれるような恐怖だけがあった。
「四騎士……レイル……だと……!」
俺の横で、震える声のサティリスがつぶやく。その美しい顔は恐怖に染まっている――。
四騎士――ストクードの話の中に、出てきたことがある。この要塞を作っている帝国にある騎士団。その中でも最高の戦力を持ち、聖王から直々に命を受ける四人の聖騎士、そのうちの一人が今目の前にいる『白光のレイル』だという。
その美しい鎧姿。大剣と大盾を扱う、純然たる騎士――四騎士の中でも一対一の決闘では最強とうたわれる、帝国最強の男、それが彼だと、そう言うのだろうか。
「ありえない……四騎士は今帝国に二人……他は中央大陸の外に遠征しているはずでは……」
だからこそ、俺たちはこの日に作戦を実行した。帝国でも脅威となる四騎士を含め、ほかの戦力が此方に近づいていない時を、隠密部隊の情報をもとに、サティリスとティヴァが導いたこの日この時間に。
俺たちが固まってしまったその瞬間、後ろから勢いよく飛び出した一つの人影が昇降機を降りた。
その後ろ姿は、東国の軽鎧装備を付けた、小さな男の背中――。まるでふらふらと縋るような走り方のまま、その男はレイルのそばまで駆けた。
「レイル様! 私は! 私はやりました!!」
その男はサティリスとティヴァ達、東国から来た使者のうちの一人だった。
四騎士に跪き、祈る様に手を組む男、つまりは、二重スパイ――。
「……貴様ッ! 東国騎士団の誇りはどうした!」
ティヴァが激高し、その男の背中に怒りをぶつける。信頼していた仲間が、裏切った。だからこそ、怒りも大きい。聞いたことのない彼の怒号に、スパイは振り返りながらにんまりと笑う。
「……誇り? そんなもの、そこの辺の奴隷に食わせちまえ」
男はいびつな笑顔を浮かべると、そのまま俺たちに向き直り高らかに笑う。
「なんで魔族なんかに命かけなきゃならねぇ! 誇り? こっちに着けば酒も! 金も! 女も好きにできんだよ!」
笑いながら続ける男の顔はひどく歪み、それはもう笑顔とすら呼べなくなるほどの邪悪なものをはらんでいた。その異常さに、ティヴァもサティリスも声を失ってしまっている。これは、いくら何でも、おかしい。
そのことになんとなく気付いたのか、サティリスがつぶやく。
「お前……誰だ?」
その疑問に、スパイの男は口が裂けそうなほどに口を開け――いや比喩でも何でもなく、その男はそのまま自分の上あごと下あごがぶちぶちと音を立てるまで開けながら、嗤い続ける。そのまま男は自分の顔の上半分を”自分の顎の力だけで引きちぎり”、絶命した。
その死体からは血と共に、黒い泥のようなものが流れ出していた。
「……液状化させた魔鉱炉心」
ナーゲルが後ろでつぶやく。あの黒い泥のようなものが、魔鉱炉心だというのだろうか。その疑問も、レイルのつぶやきによって解決した。
「……試作品にしては、良く動いた。猿にしては上出来だ」
あれも、彼の豹変も魔術なのだろうか。ナーゲルを振り向くと、彼は首を振りながら答える。
「あの魔鉱炉心は、液状化しつつ、人間の体内で状態を保ち術式を発揮するものです。対象者の血液に混入させ、その魔力を糧に動き続ける。その効果は人を操れるものではありません。ただ、その人間が見聞きしたものを、連動した遠隔の魔鉱炉心が映し出すというもの――そして魔鉱炉心の対象者は、その体に限界を迎えるとあのように狂乱させ、絶命させる、最悪の兵器です。しかし、スパイ活動など、そんな細かな命令はできないはず――」
「ほう……? 狂信者か……。そういえば貴様も此処に送られていたのだな……。どうだ? 自分の技術の成果は」
レイルは変わらぬ、態度と姿勢でナーゲルの言葉に反応する。
「技術の……成果?」
「そうだ、反逆者。その男が作り上げた技術だ。液状化していても術式を保持し続ける魔鉱炉心の成果……存分に振るわせてもらったぞ」
その言葉と共に、レイルはその足を一歩踏み出した。それにいち早く反応したのはストクードだ。彼は叫ぶ。
「奴の言葉に耳を貸すな!! 速く全員を連れて昇降機を上げよ! 儂がここで食い止める!!」
ストクードのその言葉に、はっとしたサティリスが昇降機へと手を伸ばす。ナーゲルは動けないようだった。いや、それよりも、今ストクードは何と言った?
ここで食い止める――?
「……堕ちたものだな。『金眼の銀狼』。其の人生で学んだのは無謀な小僧の為に、命を無駄に散らすことか?」
「……生憎と、無駄に散らす気はないのでな……付き合ってもらうぞ。『白光』」
その腰から、曲剣を抜き放ち逆手に構えるストクード。左手には腰に差していた直剣を準手に構え直した。その戦闘を始める姿勢に、俺はぞっとした。今から彼は、岩を直線に切り裂く、帝国最強の騎士に戦闘を挑もうとしているのだ。たった一人で――。だめだ。そんなことをしては、そんなことをしては――。
「ストクード!」
「シドウ! 迷うな!!」
俺が彼に言葉を投げようとすると同時に、ストクードは俺を突き放す言葉を言った。もう、戻る気はないという背中。でも、それでも、俺にはあんたのような導く人が必要なんだ。
ふざけるな。俺はまだあんたから何も教わっちゃいない。何も学んじゃいない。まだまだあんたから吸収しなきゃいけないことがある。学ばなくちゃいけないことがある。導いてもらわなくちゃ困る。俺が悪道に落ちようとするとき、誰が止めてくれる? 俺はまだ――!!
頭の中でいくつもの言葉が、同時に、一瞬にして巡る。そのどれもが言葉にはならず、そして言葉になる暇もなく、昇降機が動き出す。動き出した昇降機に急いで登ってくる蜘蛛族と巨人族。彼らにレイルは興味も示さず、素通りさせる。
昇降機は上がり続ける。ストクードが、どんどんと遠くなっていく。もう手は届かない。必死に手を伸ばす。昇降機から身を乗り出すと、サティリスが俺を羽交い絞めにして引き戻した。
「機械と壁に挟まれるぞ!」
その力に抗うも、俺の体は動かない。完全に彼女に固定された体は、ただ壁と昇降機に隠れ行くストクードの姿を見るしかできないでいた。
「――――ストクード――――!!!!」
俺の叫びは、灰色の岩盤に遮られた。