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夜空の星々

 にわかに外が騒がしくなってきた。牢屋の前を、外に向けて何人かの兵士があわただしく走っていっている。

 

「……うまくいったかな?」


 アトスが心配そうな顔で牢屋の外を見ていると、外へ走っていく兵士たちが口々に文句を言っている。


「くそ! 敵襲ってどういうこった!! 山が焼かれてるって――」


「どうせ魔族どもが攻めてきたんだろ! 丁度いいぜ! 眠いとこ起こされてむしゃくしゃしてんだ!! 皆殺しに――!!!」


「――火矢の火力じゃねえぞ! 見張りは何やってたんだ――」


 焦りと怒りとで乱暴な足取りの兵士たちは次々と外へと走っていく。その姿を見て確信した。上手くいっているようだ。

 

 アトスの頭を撫で、落ち着かせた後にしばらく待つ。今はひっそりと、静かに待つしかない。

 するとほどなくして、今度はこちら側に近づいてくる足音があった。何人分かのそれは、俺たちのいる牢屋の前で止まった。

 サティリスたちだ。


「陽動は完了した! 行くぞ!」


 手早く開け放たれた格子から、俺たちは一斉に飛び出す。その瞬間にサティリスの横に控えていた兵士が俺とストクードに剣を、アトスに小さな盾を渡す。俺はその直剣を腰に履き、サティリスたちに続いて洞窟の中心地、つまりホール部分へと駆けた。


「上手くいったか!? 火矢での陽動」


「ああ。恐ろしいくらいに釣れたよ。奴ら賭け事をやめて何の相談もなしに全員でこぞって外へ飛び出してった。もうほとんど中には残ってない……。いてもとろい錬度の低い兵士だけだろう。私たちで十分切り抜けられる!」


 要塞周囲を違和感なく回れるサティリスたちスパイに、木の根元に可燃性の油が入ったツボを仕掛けさせておいた。どれも森の暗い影に隠れるようにした黒いツボで、用もないのに森に入りたがらないここの兵士たちは気づくことなく放置していた。もちろん、馬車が通る道付近にはおいていない。

 そこへ、外に移動していた何人かのスパイと、サティリスが手紙によって呼んだ隠密任務を専門とする東国の使者たちが火矢を放ったのだ。十分な戦力と作戦があることを国に伝え、上手く戦力の追加を許可してくれた。

 放った火矢も特別製で、矢自体も黒く塗り、矢じりには極小の魔鉱炉心があり、炎の色を変える術式だけを仕込んである。これで夜闇に溶け込む黒い火矢を放ち、要塞側から放たれた物でないということを印象付ける。あくまで外からの襲撃だと思わせたのだ。

 黒い炎はもちろんナーゲルに作ってもらった。彼曰く、色を変えること自体は簡単なのだが、『蒼色』だけは作り出すことができず、俺のブローチに使われているような希少な蒼い魔鉱炉心が必要だとかなんとか。まあ、そのあたりは今はどうでもいい。とにかく魔術様々ってわけだ。


 全速力で洞窟を駆けながら、俺たちは迷いなく中央ホールを目指す。その途中には誰とも会わず、本当に兵士全員で外へ飛び出していったようだ。少なくとも俺たちのいる東側には兵士はいないようだ。


 洞窟を抜け、もう見慣れた広大な中央ホールへと出る。夜の時間である今は奴隷も兵士も居らず、閑散としている。しかし天井を見上げれば、そこには何人かの蜘蛛族たちが俺たちを見ていた。


「その様子だとひとまず成功したみたいだなー! こっちも準備万全だ! 任せとけ!!」


 蜘蛛族のうちの男が、天井から大声で俺たちに声をかける。俺もそれに手を大きく振って返し、そのまま俺たちはホールの北側、つまり巨大な鉄扉の前へ移動する。

 それと同時くらいに、比喩ではなく地面を揺らしながら巨人の集団が南側の通路から駆け寄ってきた。


「待たせたな大将! しかしちょいと問題ができた! 何人かの兵士に気づかれて追われてる!」


「その程度なら大丈夫だ! 急いで扉をこじ開けてくれ!」


 ムーンギルの手にジャンプしながらタッチし、俺たちと位置を変わる。巨人族たちはそのまま中央の鉄扉にその太い指をかけ、全員で声を合わせながら引いていった。


「いくぞおぉ野郎ども!! 根性見せろよ!! このひょろっちぃ王様だけにいいカッコさせんな!!!」


「「「おおおおおおおおおお!!!!!!」」」


「お前たちからしたら大概ひょろっちぃだろって!!」


 突っ込みを入れつつ、彼らが走ってきた方へと目を向ける。そこには七人の兵士がホールへと足を踏み入れた姿があった。


「貴様ら!! こんなことをしてただで済むと思うなよ!! 聖王が帝国に逆らった罪、その首ではすまんぞ!!」


 兵士たちの中でもリーダー格であろう男が声を荒げる。剣を振りかざし、俺たちをまっすぐ睨みつけている。その剣に輝く魔鉱炉心が、さらに光を発しだした。続く後ろの兵士たちもその手の剣に輝きを溜めだす。


「サティ! お前みたいないい女がスパイだなんてな! 俺に抱かれねぇ理由はそれかい! 仕方ねぇから色々吐かせてやるよ! ふん縛った後でたっぷりとなぁ!」


 細身の頬骨の浮き出た兵士がサティへそんな言葉を投げる。それにサティは死ぬほど嫌そうな顔をするが、剣も抜かず微動だにしない。


「……はっ! ビビってんのか! お前ら! とっとと終わらして楽しむぞ!!」


 どいつもこいつも、下卑た笑みを浮かべながら彼らは剣を振りかざす。

 

 来る――!!


 はじめてみる『聖王の加護』の光に身構えるも、こちらも無策ではない。彼らはその光の刃で魔族と、魔族から放たれる魔法を斬ることができる。そしてその光波の威力は人間にも十分脅威だろう。しかし、唯一通用しないものがある。それは――。


「下種のテンプレどうも! お望み通りとっとと終わらせてやるよ!」


 俺はその声と共に手を振り上げる。その瞬間、奴らの周りにある影が高速で大きくなっていった。


「……あ?」


 それに気づいたリーダー格の兵士は上を見上げると、驚愕の表情を浮かべそこから動こうとするが、もう遅い。

 彼らの真上に落ちた岩は、いともたやすく人間という骨格を叩き潰した。

 岩のてっぺんを見ると、そこにはふわふわと大量の細い糸が揺れていた。よくよく見ればその岩は一つではなく、多くの小石がつながってできているものだと分かる。蜘蛛糸で縛られできた大岩。一つ一つ丁寧に編まれたそれは製作期間実に八日である。

 軽く上を見上げれば、蜘蛛族二人が身をひそめながら親指を立てている。俺の教えた、ハンドシグナルだ。


 再び目線を兵士、もとい岩のほうへ向けると二人の兵士が難を逃れていたようだ。


「て、てめぇ! 何しやがった!」


 一人は天井を、もう一人は俺たちを睨む。しかし上を向いている奴に蜘蛛族は映らないだろう。そういうふうに見えるように、トリックアートのような要領で天井には隙間を作ってある。まるで一枚の天井に見えるようだが、実は身を隠せる狭い隙間がいくつもあるのだ。蜘蛛族はもう全員そこへ身を隠している。これは蜘蛛族と協力を取り付けてからずっと作ってきたものだ。


「なにも?」


 努めてすっとぼけたように振る舞う。まあ事実俺は何もしていない。岩の影の位置を見て合図を送っただけだ。


「てめえら――!!」


 兵士の一人は言い終わるか終わらないうちに、その喉元に投げナイフが突き立てられた。こちらの味方の一人が投げたものだ。それを受けて、残ったもう一人は完全に腰を抜かし、その場で動けなくなっていた。


「くっ……くそ! くそ! なんなんだよ! やっと天機が回ってきたと思ったのに! 好きに生きられると思ったのに!! いい女抱いて! 酒飲んで! 好きに暴れて! 俺はぁ!!」


 兵士は支離滅裂なことを叫びながら、その場でただ腰を抜かしているだけだった。すると、彼の上から音もなく先が”輪”になっている、岩をも天井に括り付けられる特別な糸が下りてきた。それは釣りでもするかのように男の首にかかり、きゅっと、一瞬で男の体を宙へと持ち上げた。


 瞬間的に生命活動が終わったのだろう。首吊り特有の悲惨な最期を遂げながら、男は絶命した。


「…………」


 いま、目の前で七人が死んだ。直接手を下したわけでもない。悲惨な死体など、ここにきてから嫌というほど見ている。がしかし、この死体は”俺が”命令した、”俺が”作り上げた罠によって絶命した命だ。


 間接的にだが、人殺しというものを俺は初めてしたのだろう。

 しかし、あまり俺の心に動揺はなかった。どうしようもないクズどもであったのもあるし、直接手を下したわけでもないというのもあるかもしれない。それでも、ここまで悲壮感も達成感もないとは思わなかった。

 少し予想していなかった感覚に呆けていると、ストクードが俺の肩を叩いて現実へと引き戻した。


「……お前さんは、直接その手を汚してはならん。王なのだから、それはお前に仕えるものがすることだ。汚すとしたら、ただ一度、ただの一度だけにしておけ……」


 そうつぶやくストクードの目を見て、俺は頷いた。言いたいことは、わかる。きっと俺のその一度とは聖王のことなのだろう。聖王をこそ、この生涯にて唯一の殺人とする。それが王としての在り方なのだと。


「……ああ、でも……こいつらの命も背負っていくよ。ただ殺すだけじゃダメなのは、ただ痛めつけるだけじゃダメなのはわかってるつもりだ……。昔痛い目見たからな。何も感じるものがなくとも、死んで当然だと思うような奴らでも、最大限に俺たちの安全を確保できる、最小限の殺しをしよう。その覚悟はある。無くて王など名乗らない。だから、大丈夫だよ」


 ストクードの手に心配の色を読み取った俺はそういって、彼の手を肩から降ろす。するとストクードは目を伏せ、小さく「強くなったな」とつぶやいた。そうなのだろか?

 やっぱり俺は、もともと人として欠けてるものがあるのかもしれない。いくらこんな状況にいたからって、たとえ度し難い悪でも、日本で生きてきたのに殺しをさも当然のように受け入れてしまえた。

 そんな自分自身の発見に少し驚いたが、それでもやることは変わらない。もとより覚悟の上だ。考え抜いた。”殺し”失くして”救い”などないのだと。その殺しによる罪悪感も、何もかもが俺自身への復讐となる。ならそれでいい。全部背負っていく。それだけだ。

 前のように、自身のための”殺し”はしない。”救う為の”殺しをしよう。そしてその命も持っていく。どこまでも。


「大将! 何とか開けたぞ! 俺たちが入れるほどの大きさじゃねぇがな」


 ムーンギルの言葉に振り向くと、そこには人一人が通り抜けられるほどの隙間が空いていた。


「枷ついてる状態じゃこれ以上動かねぇ。悪い」


「いや、十分だ。むしろ良いと言える。このまま待つぞ!」


 そういって俺たちは鉄扉の先、昇降機を背にしてホールにつながる通路を凝視した。一応剣を構え、周囲を見渡す。アトスが不安そうに俺の袖をつまんでいるが、今はちょっと撫でてあげられない。代わりにできるだけアトスに近寄る様にして、俺たちは待ち続けた。そんな中、一人サティリスだけが懐中時計を気にしている。


「……もう少しで予定の時間だ」


 そうサティリスがつぶやくと同時に、それぞれの通路から多くの物音が聞こえだした。足音とも違う、いや足音も聞こえるといったほうが正しいか。様々な音が入り混じったそれは次第に大きくなり、その音の主たちは一斉といっていいほど同時に通路からその姿を現した。


「サティ! 坊主! とりあえず”避難区域”の奴らはかき集めてきたぞ!」


「こちら西側第二通路。問題ありません!」


「こっちもだ! 問題ありませんぜ!」


 ディヴァ達を先頭として、それぞれの通路からは奴隷たちが十人ずつ程集まっていた。

 皆一様に何事かというような目をしている者もいれば、すでに事情を知っている者たちもいる。その中にはアソルとネムルの二人もいた。


「シドウ――!」


 だっと駆け寄ってきたアソルはその勢いのまま俺に飛びついてきた。とっさに剣を引っ込めて抱きとめると、そのままアソルは俺の頬に口づけをした。


「会いたかったわ! 王子様」


「やめっ! いきなりそういうのやめ!」


 急なスキンシップにどぎまぎしながら、アソルを引きはがす。アトスは「むー」と頬をハムスターよろしく膨らませていた。


「みょうちくりんコート野郎! いちゃついておる場合ではないぞ!」


 そういって茶番をしている俺達のもとに駆け――滑ってきたのはシュリファパスだ。地面と鱗の間にどういうわけか常に水が湛えられている。


「……人魚姫って歩かなくてもいいのね」


「なんじゃ、変なこと言っとらんではよ! はよ!」


 シュリファパスはそのまま昇降機へとその体を滑り込ませた。それに続いてディヴァやサティリスたちが乗り込んでいく。


「俺たちも行こう」


 アソルとアトス、それにネムルを連れて昇降機へと入っていった。図面通り、ここにはおよそ三十人ほどしか入れないが、問題はない。予定通り残った者たちにはホールで待っていてもらう。その中にはストクードも入っており、彼は陽気に俺にウィンクをして送り出した。

 俺も親指を立ててサインを送り返し、そのままいつの間にか俺のそばに控えていたナーゲルに号令を飛ばす。


「ナーゲル! 昇降機の起動を!」


「おおおおぉぉぉぉお!!! 御心のままにぃ!」


 壮大な気合と共にナーゲルは昇降機の端にある人ぐらいの大きさの端末らしきものを操作した。するとガゴンッ!! と大きな揺れと音と共に、昇降機がそれなりの速さで昇りだした。


「ううぅぅ! 変な、変な感じがするよシドウぅぅ」


 俺の腕に縋りつきながら、おそらく未知なる重力に逆らう経験にアトスが縮こまる。こういうのに弱いのだろうか。あと何回か乗るだろうから頑張ってほしい。


 昇降機の終わりはすぐに訪れ、十秒もしないうちに教会前、つまり設計図で見たところの山の中腹辺りに作った平地に出た。


「――――!!」


 瞬間、俺は息をのんだ。昇降機が上がり切り、そして飛び込んできた景色に、心奪われた。


 ――満点の星空だ。


 星座には詳しくないが、記憶にある日本のどの夜空とも違う、未知の星空。これでもかという位に輝く星たちは隙間のほうが少ないんじゃないかというくらいにはっきりとその光を眼に届ける。

 そして驚くことに、黄色く光る三日月ともう一つ、欠け始めか満ち終わりかの、少しいびつな蒼い月が寄り添うようにあったのだ。その景色に、その常識外の天体に俺は全身でこの”異世界”を感じ取った。俺の知る世界でない、惑星すら飛び越えたまったくの別世界。 

 この景色を肉眼で確認したことによって、俺はそれをはっきりと理解した。今まで状況から見ていた異世界を、本当の意味で理解したのは今が初めてだろう。

 薄い黄色と淡い青色の光はまじりあうことなく、まるで月の周りにのみオーロラが揺蕩うような、まさに幻想というにふさわしい夜空だ。


「――――」


 思わず月に手を伸ばす。山の中腹からでは、俺の手では空の月を覆いきれなかった。


「シドウ?」


 アトスが俺の袖を引き、どうしたのと尋ねてくる。俺はそれに笑顔を返しながら、アトスの頭を撫でた。


「ぅん……シドウ?」


「……なんでもない」


 夜空から目線を外し、背後にそびえる教会のような作りの建物へと目を向ける。そこにあるのだ。一発逆転の鍵が。しかし、その前に下のみんなを守らなければ。

 皆が昇降機を降りると、ナーゲルは昇降機をすぐさま下へと落とす。それは予定通りの行動であり、下に着くことで次のアクションの引き金になる。

 

「シュリファパス、頼んだぞ。枷の付いていないお前なら、できるんだろ?」


 シュリファパスの目を見ると、そこには初めて会った時と何ら変わることのない、自信に満ち満ちた緋色の輝きがあった。


「妾をなんだと心得る! 若造が憂うでないわ!」


 その言葉と共に、彼女は目をつむり高らかに歌を歌いだした。その声はどこまでも澄み渡る川のように、安らかなせせらぎとなって耳へと流れ込む。歌詞もリズムも未知の物ではあるが、その歌声はまさしく、多くの海賊を虜にしたセイレーンの歌声そのものであった。

 彼女の歌に呼応するかのように、地面が揺れだす。それを確認し、聞き入っていた意識を切り替えポケットにあるいつの日かくすねた魔鉱炉心に手早く蜘蛛糸を巻き付け、昇降機へと投げ落とした。下まで到達したことを確認した後、俺はその糸に、あの蒼を湛えた火打石で火をつける。すると面白いくらいに燃えた蜘蛛糸は導火線となり、先の魔鉱炉心を小さく爆発させた。これで、合図はできた。


「シュリファパス!」


 俺の呼びかけと同時に、彼女はその目を見開き、歌の最後を高らかに歌い上げた。その瞬間、昇降機の通る壁の一部分に亀裂が入り水が滴りだした。そう思いきやその亀裂はあっという間に広がり、そこからとてつもない量の水が流れ出した。それは当然重力に従って下へ流れていく。つまりは、人一人が入るのがやっとの扉の先から、鉄砲水のように噴き出すのだ。

 兵士たちはおそらく俺たちが上へと逃げている間に、ホールまで戻ってくるだろう。ストクード達には囮としてそこにいてもらい、兵士たちの大部分がホールへと俺たちを追ってきた瞬間に蜘蛛族が隠れていた岩の板を落としてしまう。それらは中央ホールにつながる道を閉ざし、水流が兵士たちを襲うだろう。

 ストクード達はあらかじめ命綱として上の蜘蛛族たちに引っ張り上げてもらえばいい。あそこには蜘蛛族たちの牢屋もあり、治水量的にはそこまで水位は上がらない。いくらでも隠れられるのだ。逆に兵士たちは訓練しているだろうが重い鎧を着こんでいるのだ。強力な水流に抗えるはずもない。


 流れる水を見ながら、俺たちはそのまま教会のほうへと向かっていった。もちろん『聖王の加護』持ちの兵士がいることを考え、人間族の兵士たちを先頭に木でできた扉を蹴破る。

 碌に掃除もされていないだろう、埃っぽい内部に到達した。赤いじゅうたんが敷かれ、俺の知る教会のように木製の長椅子が並んでいる。唯一違うのはステンドグラスのテーマと、中央に置かれた巨大な魔鉱炉心だ。

 鎖にまかれたそれは台座に安置され、紅い煌きの中にどす黒いまでの魔力が渦巻いている。まるで血の色にも見えるそれは一見するとおぞましい。しかし、この教会という場所とステンドグラスが映す神秘的な光によって背徳的な美しさすら持っているように見えた。


「これが、『聖王の加護』の大本か」


「左様でございます、王よ。これぞ加護の礎、元凶にございます」


 ナーゲルは俺の横で深く頭を垂れながら、これが間違いなく『聖王の加護』であることを教えてくれる。

 そうと決まれば話は早い。ストクード達をいつまでも中に入れておくわけにもいかない。とっとと壊してしまおう。


「さぁ! ここからが本番といってもいい! 取り掛かるぞ!」


 一声かけながら、俺たちは魔鉱炉心に蜘蛛糸を結び付けたり、巻かれた太い鎖をつるはしや斧で断ち切る。巨人ほどもあるこの鉱石はおそらくここにいる者たちでは微動だにもしないだろう。だからこそ、ここで巨人族たちの力がいる。しかし、彼らはいまホールの中だ。そこで、またシュリファパスの出番というわけだ。

 もうすでにシュリファパスは昇降機の付近に向かっており、そのまま軽い準備運動をしていた。大まかな準備を終え、俺は彼女に近づく。


「……やれるか? シュリファパス」


 俺がそういうと、彼女は器用にジャンプしながら俺の腹にその尾ひれで飛び蹴り? を食らわせてきた。


「うごふっ!」


「馬鹿者が。さっきから言っておろう。妾をだれと心得る!」


 その言葉と共にシュリファパスは水の流れる穴の中へと飛び込んでいった。濁流ともいえるほどに荒れ狂う水の中に飛び込んでいってしまった彼女に一瞬不安を覚えるが、ここまでの量の水を一気に操れる人魚の彼女がおぼれるはずはないと心を落ち着かせる。


 しばらくすると、流れ出ていた水が止まり、水面が静かになった。丸い池のようになっているそこには段々と黒い影が浮かんでくるのがみえる。よし。こっちもうまくいった。


「引き揚げ準備! みんな手を貸してくれ」


 控えていた何人かの蜘蛛族たちが漁に使う網のように織った糸を水面に投げ入れていく。


「かかった!」


「いくぞ!」


 皆それぞれ、所属もごちゃごちゃに網につかまり、声を揃えて引っ張り上げる。手が擦り切れるほどにとんでもなく重いそれは徐々に姿を現した。浅黒い皮膚をした、巨大な男たちが網に絡まりながら水から引き上げられていく。内側からの水圧によって開ききった扉から、人魚族の水を操る力によって運ばれてきた巨人族たち。中にはこちらに来る前に軽く兵士に斬られたであろう者もいて、アトスが駆け寄り治療を開始する。


「ぶはぁ!! 死ぬかと思ったぜ!」


 一番に自分で穴の縁に手をかけて登ってきたムーンギルが大きく息を吸う。シュリファパスがいたのでおそらく呼吸自体ができなかったわけじゃないのだろうが、水の中に棲まないものにとって水中というのはいるだけで息が詰まるのだろう。経験したことはないからわからないが。

 巨人たちが次々と引き上げられた後、まるでトビウオのように華麗にこちら側に上がってきたシュリファパスは得意げにない胸を張る。


「おい、小僧」


「何でもありませんとも?」


 何も言ってないはずなんだが、どうしてかシュリファパスは敏感に察知してくる。俺はそんなに顔に出るタイプなのだろうか。そうなんだろうな。気をつけよう。


「息整えてるところ悪いが、早速仕事だ。ストクード達を助けないと」


「ああ、わかってるよ。巨人遣いの荒い大将だ」


 そういいながらも口元に笑みを浮かべながら、ムーンギルは肩を鳴らしながら魔鉱炉心のもとへと向かう。シュリファパスはまた昇降機近くに陣取り、次の行動の準備に入る。

 教会に入ると、ムーンギル達巨人はその口を大きくあけた。魔鉱炉心が想像以上に大きかったのだろう。魔鉱炉心を運んでいた彼らだからこそ、その重さが想像できてしまう。 

 それでも巨人たちはみな魔鉱炉心へと手をかけ、押そうとするが、ピクリともしない。上のほうに蜘蛛糸をひっかけ、俺たちも綱引きの要領で引っ張るが、どうにも動かない。


「もっと気合い入れてけぇ! 行くぞ野郎ども!!」


「「応!! 兄貴!!」」


 巨人族たちは雄たけびを上げながらさらなる力を込めていく。空気を震わすほどの気合は十分なのだが、それでも少しづつ動いていくだけだ。このままではなかなか上手くいかない。アソル達竜神族が、鉱石を溶かせるほどの炎を吐ければいいのだが、枷によって封じられているためにできない。想定よりもずっと重く、内心焦りが出始めるが、それでもまだ手はある。あまり使いたくは無い手だが、それでもここで全滅を待つよりはよほどいい。


「ネムル! 手伝ってくれ」


 ネムルへと呼びかけると、彼女はゆっくりと此方に向き直った。どこを見ているともわからない彼女の瞳がこちらも見ると、わずかにだが首をかしげる。


「これ、少しでいいから浮かしてくれ。他の有翼族たちと一緒に」


 このお願いに、彼女は機械的に頷く。

 ただでさえボロボロの彼女たちを消耗させたくはなかったが、最終手段として残しておいたものだ。

 彼女たち有翼族たちは光と風を操る。その風のほう、それは空気を操るというより”飛ぶ”ことに特化した魔法なのだそうだ。枷で抑えられていても、多少使用することができる。

 

 本来、人間の肩甲骨に生えた翼程度では飛ぶことなどできるはずがないのだ。モスマンが科学的に否定されている理由もそれだ。いたとしても人に生えた翼程度では空を飛べない。だからこそ、彼女たち有翼族が飛んでいる理由が分からなかった。

 魔法、その一言でかたずけられはするが、そもそもの体重などは人間と同じか、むしろ翼分人間より重い。なのに飛ぶことができ、なおかつ風の魔法が飛ぶことのみにしか使えないということを聞いた時、なんとなしに閃いたのだ。


 風に操るわけではなく、対象の重さを変えているだけなのではと。


 この時代に、翼があれば飛べると思うのは当たり前だ。それが空力学的にとか関係なしに、そういうものだと認識するのが、中世の常識だろう。鳥が飛ぶのは翼があるからだと。骨の軽さや体の仕組みではない。

 だからこそ有翼族は”風”を操っていると思われているのだろう。実際に風の魔法なのかもしれないが、それは風に乗る魔法ではなく風に乗れるようにする魔法であると、そう思った。だから一度試さしてもらったのだ。一切風の吹かない洞窟の中で、ネムルを抱えたまま重さの違いを感じることで、それははっきりした。

 その魔法の対象を、魔鉱炉心へと変える。もちろん自分以外の対象に風の魔法を使ったことなどないのが有翼族たちだ。自分が飛ぶための魔法でしかないのだから応用も何もない。しかし、薄々感づいていたナーゲルと俺で実験をしてもらい、対象を変更できるということを知った。


 これで、多少なりとも魔鉱炉心は軽くなるはずだ。その証拠に、さっきまで微かにしか動かなかった魔鉱炉心が、気合を入れ続けていた巨人族たちによって台座から落とされた。


「よし落ちた! あとは昇降機まで転がすぞ!」

 

 魔鉱炉心が楕円形の立体で助かった。これが方形だったら積んでいたといっていい。丸太などさすがに準備できないし。

 不安定ながらも転がしていき、魔鉱炉心をその重さに任せて教会の扉も破壊しながら外の昇降機口へと持っていく。シュリファパスも準備ができていたようで、「はよ!」とせかしている。


「「そーれ!」」


 この場にいる全員で魔鉱炉心を、昇降機の穴にはめ込んだ。これで良し。あとはいま持てるだけの力を使い切ることだけだ。

 皆を見渡し、準備はいいかと告げる。それに皆が答えた時、俺はナーゲルに号令を出した。


「昇降機起動!」


「御意!」


 昇降機を下から上にあげるための、こちら側にある装置を操作し、昇降機を上げる。そこにはもちろん、今まで流れていた水が溜まっているわけで、シュリファパスによって下の階の鉄扉は水圧を利用して完全でないにしても閉じられている。水ごとせりあがってくる昇降機は必然、はまっている魔鉱炉心とぶつかりあう。しかしストッパーなどない昇降機は最後まで上昇を続けようとして、ひたすらに上へ上へと押し上げる。そこに巨人族たちがとりつき、魔鉱炉心を持ち上げる。

 最後、取りつく前にムーンギルが、その手をサティリスの前へと差し出した。枷の付いたその傷だらけの剛腕は、まるでギロチン台の前の首のようで――。


「いいんだな? かなり痛いと思うぞ」


「ハンッ! そんくれぇで泣きべそかくほどヤワじゃねぇよ」


 ムーンギルがやろうとしていることは、俺たちで考えたことだ。

 加護による魔族の枷は首と手首に着けられる。それは切り落としたらまず間違いなく死ぬであろう場所だからだ。あくまで枷がついていなければ発動しない枷は切り落としてしまえば極論助かるのだ。しかし手首、ましてや首を落としては生きていられない。しかもたとえ手首だけを落としても、首の枷がすぐに補填に入る。意味がないのだ。

 しかし、その一瞬の、効果時間の切れ目が俺たちの生命線となる。


 彼の手首を落とし、ほんの一瞬力を解放させることで魔鉱炉心を破壊する。それは俺が提案し、彼が受け入れた作戦だった。

 ムーンギルの目を見れば、そこにはいつもと変わらない強い瞳がある。何も変わらない、仲間を守ろうとする強い意志。その意志に揺らぎないことを確認して、俺は静かに見守った。

 サティリスが剣を抜く。片刃の直刀であるそれは流麗な光を発しながら、徐々に光を集めだす。彼女もまた、スパイとして『聖王の加護』を受けているのだから。


「――瞬き、閃け、王の牙スィダル・ムツィネモ・スィダルグ


 短い詠唱ののち、彼女の振り払った剣から白い閃光がほとばしる。その輝きは一瞬でムーンギルの手首を貫通し、血飛沫もなく切り落とした。


「今だ!」


 サティリスが叫ぶと同時に、痛みを耐えるための咆哮を上げながら、ムーンギルが魔鉱炉心にとりつく。それを合図にシュリファパスが水を間欠泉のように操り、ネムルたちが魔鉱炉心を軽くして、俺を除いた者たちが蜘蛛の糸を使って少しでも力を加える。

 ムーンギルの腕からはとめどなく血が噴き出す。しかしほんの一瞬解けた枷の効果は彼の筋力を最大限発揮するだけの時間として充分であった。浮き出た血管と盛り上がる鋼の筋肉、それらが最高潮にまで達した時、奇跡は起こる。

 

「「「飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――!!!!!」」」


 全員の、ここにいるすべての種族の力が合わさった瞬間、魔鉱炉心は天高く、水しぶきに濡れながら天高くへと飛んでいった。それは面白いとさえ思えるほどに高く、それこそ噴火した火山岩のように吹っ飛んでいった。

 俺の手元に置いてあった、魔鉱炉心とつながる蜘蛛の糸がするすると巻き上げられていく。

 タイミングを見計らい、魔鉱炉心が最高点に達するその少し前に、丁度一番天高く舞い上がったときに着火できるよう、散々したイメージトレーニングのように、正確に、落ち着いて火打石を打ち鳴らした。

 ただ着火するだけじゃだめだ。周囲への被害が尋常じゃない。でも『聖王の加護』はどうにかしなきゃいけない。 

 だったら、関係ないとこまで吹っ飛ばしてしまえばいい――!


 ――シュボッ。


 蜘蛛糸に燃え移った蒼い炎は瞬く間に糸を伝い、魔鉱炉心へとまっすぐに走る。それを見届け、俺は声を張り上げた。


「対ショック!!!!」


 その言葉と共に、前もって教えていたポーズを皆がとる。目をつむり、耳をふさぎ、口を開けたまま皆低くしゃがんだ。

 



 世界が無音になるとは、こういうことかと思った。

 目を閉じていてもわかるほど、一瞬白く世界が塗りつぶされたかと思うと、そのまま周囲にあったはずの音すら吹き飛ばして無音の世界を作り上げる。遅れてやってくる、上からたたきつけられるような衝撃、それにすさまじい痛みを感じながらも、決して動くことはかなわない。逃げることのできない暴風はやがて白から蒼へと変わっていった。


 しばらくしてたたきつける爆風が止み、周囲の音も少しずづだが戻ってきたところで目を開ける。


 遠く空には、いまだ燃え続ける、巨大な蒼い星が輝いていた。

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