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出会い:悲恋の蜘蛛

 今、俺は絨毯にくるまっている。


 なんでこんな状況になっているのか。かなりキツキツにくるまれた俺は身動きどころか呼吸さえちょっと怪しい。しかも絶賛引きずられている最中だ。痛くはないものの、体に伝わる振動が想像以上に気持ち悪い。こう、絨毯の所為で痛くも痒くもない、よくわからない地面の突起が体をなぜていく感覚。特段意味のないところを安物のマッサージチェアで捏ねられているといえばいいか。いや、そんな経験は全くないが。


 なんでこんなことになっているのかというと、とある魔族に接触を図るためだ。




「はー……それで? その魔族とはどうやって接触するの?」


 ひたすら笑っていたサティリスが涙をぬぐいながら、俺に聞いてきた。美人、といっても俺と同い年かちょっと上くらいだが、たいして年が変わらないはずなのにそのしぐさは妙に色っぽい。アソルが分かってやってる色っぽさならこっちは無自覚の色っぽさだろうか。


 隣からアトスのぺちぺち攻撃を受けつつ、俺はその為の作戦を考えた。




 その結果が、これである。ちなみに引っ張っているのはサティリスで、俺を絨毯にくるんだのはアソルだ。この美人コンビが喜々としてやってくれた。いやあ、アソルが娼館の絨毯で俺をくるんでるときすごい楽しそうだったな。雪だるまを作るみたいにはしゃいでいた。


 おかげですさまじく窮屈な思いをしているのだが、そこはまあ、我慢する。多分そろそろ目的の場所につく頃合いだろう。ついてくれないと地面に擦られている側の体がむずがゆくてしょうがない。


「さあ、仕事だ。奴隷」


 サティリスのくぐもった声が絨毯越しに聞こえてくる。どうやら目的に接触したようだ。俺自身、こういう所謂スニーキングミッションに少しワクワクしている。緊張感がないようにも思うが、案外このくらいラフに構えたほうがうまくいくかもしれない。変に気負うとまた空回りしそうだしな。


 サティリスが奴隷に声をかけた少し、体がふわりと浮かぶ感覚がある。どうやら持ち上げられているようだ。するとそのままどこか、細い部分へと乗せられ、腹でバランスを取る形になる。そのまま簀巻き状態で、俺はその目的の魔族に運ばれていった。





 運ばれている途中、まったくと言っていいほど揺れを感じなかった。あまりに揺れがないのでそのまま自分が浮いているんじゃないかという錯覚すら覚えたが、今回接触する魔族なら納得の芸当だ。確かにこういうことはできそうだし。


 そう思いながらしばらく絨毯簀巻きを堪能していると、いきなり勢いよく地面へと投げ出された。横から行ったからまだちょっとした痛みで済んでたけど、縦から落ちてたら危なかった。

 予想外の痛みに悶えながらも、俺の体は動かない。というより動けない。ちょっとキツすぎないか、アソルさん。


 ふと、絨毯に軽く体重がかかるのが分かった。どうやら俺を、というより絨毯を縛っている紐を取ろうとしているようだ。そしてそのままほどかれたのか、絨毯は転がされていく。俺はそのまま当然に絨毯の流れに従いくるくると転がっていく。

 昔祖母の家で布団が敷かれた後にごろごろ転がっていたことを思い出しつつ、俺は絨毯から解放された。丁度良く天井を向いているようで、見慣れないが牢屋の天井だと思えるものがみえている。しかし俺たちの牢屋と違ってカンテラがつり下がっており、少し明るい。そのまま絨毯から体を起こすと、俺が転がってきた方向に、目的の魔族が背を向けて何かやっていた。



 蜘蛛の、下半身。その腹の部分だけで俺の身長の半分くらいだろうか。カンテラに照らされた黒いその体はさながら漆黒の鎧をまとっているようで、冷たい光を発している。まるで作り物だが、その足がわずかに動いているのと、そして腹がわずかに上下していることから生き物であることが分かる。ここまで近くで見たことはなかったが、予想以上の大きさにちょっと面食らってしまった。

 しばらくその体を眺めていると、くるりと相手がこちらを向くために反転した。


 当然、俺と目が合う。


 向こうは、無表情のまま固まっている。

 蜘蛛の彼女は女性だった。ショートカットにされた髪の毛は白とも黒ともつかない、光の加減で色を変える不思議なグラデーションをしていた。ガラス玉のような紫の瞳は少し丸みを帯びた垂れ目、やわらかい鼻や唇、輪郭はあどけなさを残している。その小さな顔にはしなやかな女体が続いており、さらに少女のような印象を受ける体つきだ。服は、なんというか、前掛けのようなものだけで、正直服として機能しているのか怪しいくらいに露出が激しかった。アソルの衣装のがもっと布があった気がする。

 しかし彼女の太もも部分、その付け根辺りはすでに人のものではなく、蜘蛛の前牙のような部位となっている。蜘蛛の顔や口こそないが、下半身はまごうなき蜘蛛であった。


「……」


「……」


 しばらく、お互いを見つめあう。彼女は終始無言で、俺を視認してから全く動かない。

 よくよく見れば、ショートカットではなく、後ろで一部分だけ伸ばしているようだ。それにこめかみの少し前あたりだろうか、髪に隠れているが”もう二つ”目があった。四つ目だ。


「……」


「……あ、どうも」


 沈黙に耐えかねて挨拶する。手枷は外されてたので手を挙げて。すると彼女は口を開けた。

 何か言うのだろうか? そう思っていると、彼女が大きく息を吸い込みだしたのを見た。


 普段、しゃべるのにそんなに大きく息を吸う必要はない。人が声を出すとき、大きく息を吸うとしたらどういうときか。


 とんでもなく長いセリフを言うか。


「ひっ――――」


 思いっきり叫ぶかである。


「ちょぉおお!」


 いくら何でも大声はバレる。俺はそのまま悲鳴を上げるであろう少女の口元に、あらかじめアソルからもらっていたタオルを取り出して口に当てる。比較的清潔なそれならば、彼女の顔を汚してしまうこともないだろう。


「ん――! ん――――!」


「ちょっ、おねがい! 静かにして! バレる!」


 しばらく少女と格闘しながら、自分が何者なのかを伝える。

 絨毯にくるまって移動してきたこと、その絨毯を持ってきた兵士とも仲間だということ、とにかく安心させようと少女にしっかり、でも静かに諭した。





「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 少女はそのままへたりこみ――といっても蜘蛛の体なのでへたりこむというよりは、体を低くしたといったほうだいいんだろうが、とにかく落ち着いてくれた。


「よかったー……悪いね。この方法しか思いつかなかったもので」


 そういって彼女にタオルを差し出す。汗をかいているようだった。まあ、運んできた絨毯から人が出てきたらそりゃこうなるか。でも仕方ない。事前に人が入ってますよというわけにもいかなかった。娼館にはほかの兵士も多いせいで、とにかく静かに事を運ぶ必要があったから。


「あ、あなた! 何者なんですか!」


 タオルをひったくり、そういって彼女はそのまま立ち直る。元気そうな声は澄んでおり、唄とか唄えば綺麗だろうなと思わせてくれた。


「さっき言った通り、兵士に協力してもらって、あんたに会いに来た人間だ」


「意味が分からない……」


「さっき言ったろ? 落ち着かせてる時に。俺はあんたに協力を求めに来た。ここをひっくり返すために」


「……」


 まるで呆れたようにため息をつく少女。まあ、絨毯から出てきていきなり反逆の協力をとか言われたら、こうなる。俺だってこうなると思う。でも仕方ない。侵入とかで一番最初に思い付いた方法がクレオパトラの絨毯巻きだったんだから。あの美女もきっとカエサルに同じような反応をされてたんじゃないだろうか。


「とにかく、俺は本気できみに協力を求めたい。ここの上下をひっくり返すために、手を貸してほしい」


「……人間は、信用できない」


 そう、落ち着きを取り戻した彼女はつぶやいた。その声はさっきまでと違い、ひどく沈んでいる。彼女もまた、人間にひどい目に合わされているのだから、当たり前といえば当り前だ。


「人間なんて、信用できるわけないでしょ……私たち蜘蛛族エネーラの尊厳を踏みにじって、ひたすら道具みたいにして……そのくせ、化け物だと罵って……」


 ストクードからの知識だ。蜘蛛族はその名の通り蜘蛛の一族。しかしその見た目と行動から、ほかの魔族からも敬遠されてしまうことがあるという。蜘蛛というのは本来益虫ではあるのだが、その見た目と動きから害虫として名高い。それはどこの世界でも同じらしかった。ましてやここまでの巨体。虫が苦手な人では到底見ることもかなわないだろう。アシダカグモなんて比じゃない。何せ人よりも大きいのだから。

 しかし、その蜘蛛の作り出す糸は上質な絹よりも良いものになる。粘着性を出さずに精製した糸は強靭で、伸縮に優れ、さらに耐水にも優れている。まさに夢のような糸だというわけだ。

 それをこの帝国が見逃すはずもなく、魔鉱炉心と鍛冶に必要な竜神族と並び、標的になりやすい種族なのだ。


 その見た目からも、狩る側には罪悪感がわきにくい。


糸車リーム――それが私たちの名前よ。奴らがつけた名前――。どう? それがあなた達人間がやってること。今も昔も、あなたたちは他人のことなんて考えちゃいない……!」


 こちらに目も合わせようとせず、少女は慟哭を続ける。


「大体……裏切りなんてあなたたち人間の十八番じゃない。そんな人間を信じて、こんな地獄で、その地獄を管理してる奴らにケンカを売るっての? いつ切り捨てられるか分かったもんじゃないわ……あなただって人間なんだからわかるでしょ? あんたたち人間は、みんな、自分たちでも潰しあう……勝手にやってなさいよ。私はもう、ここで死ぬしかないの。痛い目見て、裏切りの中で死ぬくらいなら、家畜として死ぬわ……もう、裏切られたくないの」


 彼女はそれっきり、口を閉ざしてうずくまってしまう。


 サティリスから聞いたとおりだった。

 蜘蛛族の中で誰に接触するか。それは決めかねていたが、サティリスがこの子がいいといってくれた。理由には、いまだこの中で”純粋”であること。そして彼女、実は蜘蛛族の中でもかなり高い地位にいたということだ。蜘蛛の王族の娘か、集落の長の娘か、とにかく彼女の言ならば他の蜘蛛族も従うのではないかということだった。

 今だほかの種族からさえも敬遠されてしまう蜘蛛族はその分自分たちのつながりが強い。だからこそ仲間で争うということはないし、反面同族殺しをする人間をひどく嫌う。

 それは裏切りをしない。そして一人でも言葉に力のある者が仲間になってくれれば、その仲間の蜘蛛たちも裏切ることがないということ。彼女を仲間に引き入れられれば、それだけで蜘蛛族をこちらに入れられるということだ。

 

 純粋であるのであれば、きっと同じ蜘蛛族からの信頼も厚いだろう。やはり、彼女は仲間に欲しい。何より俺の考えている計画に、彼女たちの助けは必須だ。


 しかし、彼女は裏切りを恐れている。なにか過去があるのか、それとも人間に奴隷として飼われ続け不信になっているのか、どちらにせよ彼女の心を多少でも解く必要がある。

 でも、今ここで俺ができることはほとんどない。計画を理詰めで話すか? いや、たぶんこの手の人に理屈というのはあまり意味がない。サティリスのような理知的な人間ならば効果があるだろうが、相手は少女で、しかも傷付いている少女だ。きっと違う。


 考えに考える。この子を、この子の心を溶かすにはどうしたらいいか。

 いや、決まっている。できることがこちらには限られているのだから、こっちはできることをするだけだ。幸い、ここは蜘蛛族専用の牢屋だ。牢屋の外を見れば、そこには地面はない。ひたすら下には中央ホールが見て取れる。場所がないから、ここに閉じ込められているわけだ。時間はある。兵士がこちらに来ることなど万に一もない。といっても、サティリスが誤魔化せている間だけだが、それでもほかの魔族に比べてはるかに時間はある。なら――。


「俺は、裏切らない」


 そう、言い続けるしかない。彼女が音を上げるまで、俺はひたすらに彼女に信用してもらえるよう頼むしかない。

 言葉にできる限りの力を込めて、俺はもう一度言う。


「俺は、裏切らない。絶対に」


 ぴくっと、少女の伏せた体が動く。こちらを少しうかがっているようだ。

 俺は反応してくれただけでも、効果があったとして、そのまま彼女の方に足を進めた。


「大丈夫。裏切らない。俺を信じてくれ」


 一歩一歩、彼女に近づいていく。彼女は近づいてくる俺をにらむと、ぶっきらぼうにつぶやく。


「どっかいって」


 それでも、俺は引くわけにはいかない。もちろん反逆のために戦力がほしいのもある。でも、この少女を見ているうちに、俺はまた思い出していた。

 俺は一度少女を裏切った。この少女じゃない。昔々の、初恋の少女を。

 救うといっておきながら、俺は彼女を救えなかった。すべてをぶち壊した、俺を見ていた彼女の表情は今でも覚えている。もう、あんな表情は見たくない。

 だから、もう裏切らない。絶対に裏切らない。俺が正しいと思ってやったことでも、裏切ることになってしまったから、だから今度はそれすらもないようにする。


 少女の目の前、もう手も触れられる位置に来た。

 それでも彼女は、こちらに目を合わせない。手で両眼を隠し、頭をいやいやと振っている。


「……やだ」


「裏切らない」


「いや!!」


 そういって彼女は俺をその前足で突き飛ばした。速いその一撃に反応することすらできず、俺は後ろに転げる。魔術の枷で弱体化しているとはいえ、結構いたい。やはり巨体を支えているだけあるな。

 そんなことに感心しながら、俺は体を起こす。最近はサティリスの気遣いでほんの少しだが、労働が減っている。そのおかげもあって、俺はもう、一度のめされたくらいじゃ立てなくなることはない。


 また一歩ずつ、彼女に近づく。


「信じて――!」


 そういった瞬間、俺の視界は真っ暗になった。

 別に気を失ったわけではなく、ただ、俺の目の前に巨大な影が現れただけだ。

 俺の首の横、すぐそこに彼女の足である前牙部分が刺さっている。そして大きく長い脚はこちらに覆いかぶさるように開かれ、俺の体を掴んでいた。

 蜘蛛の裏側と何ら変わりない部分が、垣間見える。自分よりも大きな蜘蛛に飛びつかれてさすがに一瞬肝が冷えた。しかし、彼女の体があるほう、上を見た時に、その感覚は全くと言っていいほどどこかへ行ってしまった。


「……これでも、あんたは私を信じるって言えるの?」


 彼女は暗い声で、俺を見下すようにして言葉を浴びせる。


「気持ち悪いんでしょ? 人間はみんなそう。他の種族だってダメな奴はダメだっていう。あんたには堪えるんじゃない? 潔癖症そうだし。虫とかダメなタイプでしょ? 顔見ればわかるわ」


 俺は、そんなことを言う彼女のほうを、もう見ていられなかった。


「どう? これでも裏切らないって言える? 暗闇の中、私の姿を見てなんとも思わない? どうしようもなく気持ち悪いんでしょ? ぞくぞくするんでしょ? 気分が悪いんでしょ?」


 もうだめだ。俺は顔をそらした。もう、こんな彼女を直接見ていることなんてできなかった。早く離れてくれと、そう願った。

 仕方ない。だって彼女は蜘蛛だ。早く離れてほしい。一刻も早く――。


「――離れてくれ」

 

 もう、言葉を我慢することはできなかった。突き飛ばしてでも離れたい。でも、俺にはそれができなかった。


「――ぷっ、あっはははははははは! ほら見なさいよ! やっぱりあんたら人間は――」


「――違う」


「はははっ! 何が! 何が違うってのよ!」


 彼女の声は、もう泣き声に変わっている。でも、俺はこれ以上に彼女を泣かせてしまうかもしれない。なぜなら――。


「やっぱり裏切りしかできな――」


「あの……パンツが……」


 彼女の言葉を遮るように、俺は言ってしまった。ついに、言ってしまった。


「女の子が、その、そういう格好するもんじゃないと~、おもうなぁ~……って」

 

 彼女は蜘蛛族だ。人間でいう太ももの付け根辺りから前牙になっている。今現在の体勢は”前牙が俺の顔の左右を挟むように”壁に刺さっている。それはつまるところ、”足をおっぴろげて俺の顔の前にのしかかっている”のと変わりがない。だって彼女たちは太ももから下は蜘蛛だが上は人間と”変わりない”のだから。

 彼女が身にまとう、前掛けのような服の下には簡単な晒しのようなものしか巻いておらず。おまけにこの子はショーツというよりも、こう、ふんどしに近いようなものであり、まあ、その、思春期を過ぎたといえどもまだ二十歳にならない俺には刺激が強すぎる光景が広がってしまったわけだ。


 こんな物、直視できるはずがない。そんなことをしたら俺がぶっ殺されても文句など言えないだろう。

 だからといってこれを指摘していいものか。多分彼女としては感情的になってやってしまったことだ。こうなることを指摘した瞬間に冷静になった彼女に転がされてしまうのは容易に想像できた。でも、我慢できなかった。言ってしまったのだ。


 ぐっと目と歯を食いしばる。さあこい! 事故とはいえこれは俺が煽ってしまったのが悪いのだから! 一思いに、さあ!


「…………」


 迫りくるであろう痛みに覚悟を決めていると、なんと彼女が俺からゆっくりと離れていく気配があった。

 恐る恐る薄目を開けて確認してみると、もう彼女は自分のいた場所に戻り、しゅんとしている。


「あ、あの……」


 思わず声をかけた。なんだかあまりにも小さくなってしまっている。長い脚たちを限界まで折り、今ではもうそのままプルプルと震え続けているだけだ。


「悪気がー、あったわけじゃないんだよ? いやね、まさかそうやって飛び掛かってくるとは夢にも思わないだろ?」


 顔を覆っている彼女はもう耳まで真っ赤だ。ただでさえ白い肌をしているからよくわかる。

 俺は恐る恐る彼女に近づくと、それに気づいたのか彼女はほんの少し手に隙間を作って俺を上目遣いに見やった。


「……みたの?」


 目に涙をためながら、俺に聞いてくる。

 こういう場合どう答えたらいいのだろう。俺は今までの人生の中で女性のパンツを見てしまい、それを見たかと聞かれたことはない。というかそんな状況あり得るのか。駅でたまたま電車の風と俺の立ち位置とで奇跡的に見えちゃったときはあるが、相手はそんなもの知らないだろうし、俺もわざわざ言ったりしない。

 こんな状況で俺はなんて答えればいい? 少女はいまだ俺をうるんだ目で見上げてくる。


 いやまて、彼女は裏切られるのが嫌だといった。それは嘘が嫌いとも取れないだろうか。

 そう、俺は彼女に裏切らないということを伝えに来たのだから、それを証明しなくては。そのためにも、ここの対応は間違えられない。

 そう、裏切りとは嘘である。ならば俺のとる行動はこうだ。


「見ました。でも気持ち悪くなんてなかったよ? 個人的にはすごく綺麗だと思っ――」


 景色がいきなり高速回転しだした。

 

「むぐ! んん!?」


 何かタオルのようなもので口をぐるぐる巻きにされたと思ったら、そのまま俺は彼女に背中を預けるような格好にされて、ひざ裏を軽く小突かれる。その瞬間力なく俺は彼女に倒れ掛かってしまった。

 背中に体温を感じていると、そのまま彼女の手が俺の頬に触れられた。


「あの……わすれて」


 俺の頬を擦りながら、耳元で彼女の声がする。ぽしょぽしょと話すものだから言いようのない感覚が背骨を駆け巡る。ぞわりとはしたが、それは不快なものではなかった。

 もうか細い声でしゃべる声に、俺は彼女の先ほどまでの暗い色がないことを確認した。


 息苦しくてタップするが、彼女は全く聞いていない。もしかして、この世界にはタップとかないのだろうか。ちょっと身じろぎすると、彼女は余計俺を固く拘束した。どうやら俺の口にまかれているのは糸のようで、体にもひゅんひゅんと巻かれていっている。蛹にでもなろうというのか。


「そ、その……綺麗って言ってくれた多種族は……はじめてだった……」


 まあ、俺も初めてだ。女性のパンツに対して綺麗とか口走ったのは。

 

「よく見ると、あなたは……ほかの人とは違うんだね」


 相変わらず、耳元で囁くように言葉をこぼすせいで、耳から変な感覚が全身を駆け巡る。リップノイズというのだったか。唇が開き、そして閉じる動きの音でさえも聞こえてしまい、それが異様に心地よい震えを体に伝える。

 正直こしょばゆくて暴れたいことこの上ないが、糸がすでに蛹になってしまっているので動けない。ひたすら彼女の囁きを至近距離で聞くことになった。


「魂が、ちょっと、違う……綺麗な、蒼。蒼い、炎みたい」


 何とか、糸の中でも動いてくれる左手を使って、コートのポケットをまさぐって礼のブローチに手をかける。彼女の言葉も気にはなるが、本気でそろそろ息が苦しくなってきた。そのまま、ブローチを手に取り、俺は共にポケットに入っている魔鉱炉心の欠片に軽くこすりつけてみた。すると非常に弱い炎が上がったおかげか、蜘蛛の糸に”延焼”し始めた。


「え……きゃっ」


 彼女はその炎を視て驚いたのだろうか。ちょっと俺から離れるように飛びのいた。俺はというと、そのまま胴体を巻く糸と口を巻く糸があっという間に蒼い炎によって燃えていき、やっと自由に動けるようになった。

 軽く体を伸ばした後、驚いてこちらを見る少女を見返す。その目にはもう、さっきまでの暗い色はない。声も、最初に発した時のような、明るく澄んだ声だ。

 

 これなら、少しは話が通じてくれるかもしれない。そう思い、俺はまだ軽く延焼を続ける糸を払いながら、彼女に手を差し伸べた。


「俺は、君を裏切らない。だから、この手を取ってくれないか」


 少女は、こちらの顔を見つめたまま、俺の差し出した手に、そっと、細くしなやかな指を重ねた。

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