蒼星の火打
「……ブローチ?」
サティリスは語眉を上げて怪訝そうな顔をする。
まあそうだろうと思い、俺もそのまま言葉を続けた。
「あぁ、ブローチだ。覚えてるか? 俺がここに連れてこられた初日、俺の首枷の鎖を引いていたのはあんただっただろう。肘に蒼い布を巻いた女兵士――声も同じだった」
「……あの時、兵士長に没収されていた何かのことか?」
「そう、それだ」
初めてここに連れてこられたとき、言葉も分からずただ怯えていただけの時――あの厭味ったらしいえらの張った中年に持っていかれた蒼い火打石――あれをもう一度、この目でしっかりと確認したかった。
「…………」
サティリスは考え込むように人差し指を口元に当てる。癖なのだろうか。
しばらく考えていたサティリスだったが、口を開いた。
「……構わない。おそらくだが貴重品の類はここの砦の上階に保管されている。定期的に聖皇国へ運ばれているが、基本的には古い順から持っていかれる。お前たちが来たのが三月ほど前だから……まだ大丈夫だろう。出稼ぎの娼婦への代金がわりによこしている時もあるが……山ほどある略奪した硬貨から渡しているだろうし……。しかし、それを持ってくるだけでいいのか? もう少し面倒なことを言われると思っていたが」
「俺にとってあのブローチは大切なものなんだ。あれを持ってきてくれるなら、信用する」
「……いいだろう」
サティリスはそう言うと兜をかぶり直した。早速物を取って来てくれるらしい。
「では、そのブローチの特徴を教えてくれ。探してこよう。だが、すでに持っていかれていた場合は諦めてくれ」
「…………ああ、助かるよ」
そればっかりは、俺は祈るしかない。
礼を言いつつ、俺はサティリスにブローチの特徴を教えた。
「銀色の彫金された台座に、昏い蒼色の宝石がはめ込まれてる。台座には黒い三日月みたいな金属部品がついてて、そこからチェーンで石英がつながってる。大きさは手のひらより少し小さいくらいだ。宝石にも変わった細工が彫られてて――――」
そこまで説明した時、ふとストクードがばっ! と俺のほうを見た。
思わず驚いて小さく声を出してしまう。
「うおっ……ど、どうした? ストクード」
「あ、いや……すまんな。なんでもない」
歯切れが悪い。どうしたのかと問いかけるも、ストクードはすぐにいつもと同じような表情に戻り、なんでもないと座り直した。
「……?」
……少し気にはなるが、今はサティリスにブローチを持ってきてもらうことを優先しよう。
「とまあ、こんな感じのブローチだ。頼めるか?」
「ああ、特徴は把握した。明日までには探してこよう。それまでは大人しく寝ていろ。この時間帯なら、わざわざ牢屋から奴隷を引っ張りだそうとする兵士はいない」
サティリスは格子のカギを閉め、洞窟の奥のほうへと歩き去っていた。
「――ふぅーーーー」
サティリスが歩き去っていったあと、長い長いため息で肺にたまった空気を吐き出した。
正直に言って、サティリスに叛逆の意志を見抜かれたときはどうしようかと思っていた。肝が冷えるどころの騒ぎじゃない。瞬間冷凍もいいところだった。
「あはは。お疲れ様、シドウ」
隣でアトスがはにかむ。
天使族、彼らの魂を視るという力のおかげでサティリスをその場で信用する気持ちになれた。正確に言えば信用する以外に方法が無かったわけだが、アトスが隣にいてくれて本当に良かった。
その人物の本質を見抜くといった能力なのだろうが、これはいい。アトスの主観による物にはなってしまうが、彼のような純朴な性格の人が「好感がもてる」としたのならここの兵士のような屑野郎とはならないだろう。少なくともまとも話せばわかるような奴だと思える。
さて。サティリスにブローチを持ってきてもらえるようになったわけだが……そのブローチのことで、さっきストクードが明らかに反応を示していた。
俺のブローチ……火打石に心当たりがあるのだろうか? 何か知っている雰囲気ではあった。
なぜ、俺が地球で持っていた火打石の特徴に、ストクードが反応するのか……。単に似たような物を知っているだけかもしれない。
ストクードを見やれば、ずっと考えこんでいるように瞳を伏せている。
まあそれも、明日には分かるだろう。サティリスがうまく見つけてくれることを祈るばかりだ。
とにもかくにも、少しでも頭をはっきりさせておきたいし、疲れもできるだけ取っておきたい。サティリスの言葉にお前て、おとなしく寝ていることにしよう。
果報は寝て待てという言葉もあるのだし。
あれから俺たちはいったん眠りにつき、サティリスの帰りを待った。一応急に兵士が来ても大丈夫なように三人交代で寝るようにはしていたが、本当に一日中兵士が来ることはなく、そのまま新しい朝を告げる鐘が遠くになるまで誰かが来ることはなかった。
お陰様でかなりの時間睡眠をとることができた。と言っても熟睡できているわけでもないのでベッドで寝るのとは全く違うが、それでも今までで一番すっきりとした朝を迎えられた。
朝を迎えしばらく待機していると、牢屋の前に兜をかぶったサティリスが盆をもって歩いてきた。
「……ふむ。よく休めたようだな」
そう言って彼女は牢屋のカギを開けると、盆を地面に置いた。そこに小さく湯気を立てる粥のような物が器に盛られていた。
この世界にきて初めて見る食事らしい食事に、目を丸くしていると彼女は兜を外して俺たちに木でできたスプーンを配る。
「粥だ。食べるといい。あぁ、一気にかきこむなよ? 碌な固形物を食べていないお前たちが一気に胃に者をつめたら最悪死ぬ」
そう言うと彼女はそのまま周りを一瞥した後、昨日と同じように牢屋に寄りかかった。
「おぉぉぉ……」
アトスが目を輝かせている。無理もない。俺も目の前のちゃんとした食事に今までにない量の唾液が溢れてくるのが分かった。
「い、いただきます!」
アトスはそう言ってお椀を手に取ると一口おかゆを口に運ぶ。熱かったのか、はふはふ言いながら一口目を飲み込むと、そのかわいらしい顔をぱぁっと輝かせた。
うまそうに食べるアトスを見ていたら俺も我慢ができなくなり、早速おかゆを口に運んだ。
「――!」
美味い。お粥ってこんなにもうまいものだったか? そう思わずにはいられないほどに、「味」を感じた。
塩気も何もない。おそらく米のような物を水で炊いただけものだろう。だがそれでも、今までの泥水のような食事に比べれば、甘みを感じることすらできるものだった。人肌以上に暖かい食事というものがこの世界にきて初めての物であったのもあり、思わずお茶漬けのように口に放り込みたくなる。
だがその衝動も、サティリスの言葉を思い返して何とか思いとどめながら、ゆっくり一口ずつ食べていった。
「…………ずいぶんと、羽振りがいいのだな」
そんな俺たちをよそに、ストクードはまだお粥には口を付けず、サティリスを帽子の下から見上げる。
「なに、選別というやつだ。お前たちが有用であれ無能であれ、関わった以上はいい思い位させてやるとも。それがこれからもっといい食事になるか、最後の食事となるかはお前たち次第だかな」
そう答えた彼女に、ストクードは肩をすくめると、彼もまたお粥に口をつけはじめた。
久方ぶりの、優に三か月越しのまともな食事に腹のうちからあたたかさを感じる。元の世界では当たり前のように暖かい食事と美味しい飲み物が溢れていた。そしてそれを五分と立たずに用意することだってできる。あの平和な世界がどれだけありがたいかを今一度実感した。
「ふぅ……本当にうまかった」
アトスも満足げにお腹を擦っている。ストクードも食べ終えたようだ。
食事をしている俺たちの様子をうかがっていたサティリスは、皆が一息ついたのを見て盆を牢屋の端に寄せた。
「食べ終ったな。それじゃ本題に入ろう」
そう言ってサティリスは俺に小さな布袋を手渡してきた。
「――――」
声にならない、声が出た。
中に何が入っているのか、この時点では分からない。サティリスが本当にあのブローチを持ってきてくれているかも、まだこの時点では分からない。
だが、確信があった。
この手への重み、それがすっと腕を通して脳が理解する。
子供のころから、馬鹿みたいにいつも持ち歩いていた――あの時手に感じていた重みだ。
帰ってきた――――。
「お前から聞いた特徴に当てはまるブローチだ。珍しい形だ、間違えてはいないはずだ。確認してみろ」
サティリスの言葉に、俺は頷く。確認してみろという言葉にではない。間違えていないという言葉に、俺は頷いた。
ゆっくりと布袋を空け、ひっくり返す。すると、あの蒼い輝きが俺の手のひらにぽとりと落ちてきた。
「――――ぁ」
そこには確かに、俺にとっての”正義の証”が、輝いていた。