迫り来る闘気
魔王に抱えられたまま異世界への扉の中へ入ってしまった青空は、途中で意識を失っていた。目を覚ますと、そこは鬱蒼とした森の中だった。
メタセコイヤのような大木とシダ類の下草が生い茂る、太古の恐竜がいつ現れてもおかしくはないような森である。
大木の葉の隙間から太陽の光が差し込み、うっすらと立ち込める水蒸気の粒が光の柱を演出し、どこか幻想的な世界感を醸し出していた。
魔王を探したが、姿は見当たらない。
(俺一人がここへ飛ばされてきてしまったのか!?)
背筋にぞくっと冷たいものが走る。
自力で元の世界へ戻る手段をもたない彼は、異世界への漂流難民と化していた。
心臓が激しく鼓動し、目眩がする。
その時、心の動揺に拍車をかけるようにガサッと下草がこすれる音がした。
慌てて振り向くと、『キュキュゥー』という鳴き声とともに耳の長い小動物が顔を見せた。それはウサギのような長い耳と目がくりっとして可愛らしい、白と茶色のぶち模様の小さな生物だった。
ほっと胸をなで下ろし、目を離した次の瞬間――
「貫け! アイス・スピア!!」
男の声が聞こえると同時に、ウサギ型の生物の身体を鋭く尖った氷の槍が貫き、地面に突き刺さった。
その惨状を呆然と見つめる青空の背後から声がかかる。
「迂闊に近づくと喰われるぞ、ドラゴンマスターよ」
魔王が森の奥から手に何かをぶら下げて歩いて来た。
良く見るとウサギ型生物の長い耳を鷲づかみにしているのだった。右手に二体、左手に一体の合計三体。
「良かった、俺一人じゃなかった……」
孤独と喪失感に支配されていた青空の心にぱあっと晴れ間が広がった。
人間というものは、とかくそういうものである。
「ドラゴンの奴を敵に回すと後が厄介だからな。オレ様がおまえを助けるとしたら、ただそれだけの理由だ」
魔王はツンデレっぽい言葉を吐きながら、手に持っていたウサギ型生物の死体を地面に置く。そして腰をかがめて呪文を唱えると、周りに落ちていた枯れ枝が勝手に集まり、その中心から火種が起きて立派なたき火となった。
「えっと……何をしているんですか?」
「オレ様もおまえも喰わねば力が出ない。この世界では魔力も体力も食事が力の源なのだ」
「い、今から食べるんですか!? その生物を?」
魔王はウサギ型の生物の皮を剥ぎ、枯れ枝を突き刺した。
「旨くはないが喰える。ウサギモドキはここでは貴重な魔力と体力の素だ。さあ、座る前にさっきオレ様が仕留めた奴を運んでこい! 命を無駄にしてはならないぞ」
「はあ……」
魔王のイケメン対応に戸惑いつつも、青空は素直に従う。
パチンと枯れ枝が弾けて火の粉が飛んだ。
火の当たっている側の肉塊からじわじわと油が染み出て香ばしい匂いがする。
空を見上げると木々の隙間から青い空が見えている。
空はこちらの世界もあちらの世界も変わらない。
「俺たちは、やはり異世界へ飛ばされてしまったんですね……」
「うむ。おまえにとってはそうなるな。オレ様にとっては里帰りみたいなものだがな。ほれ、焼けたぞ。喰え!」
魔王が魔獣の肉のももの部分をちぎって渡された。その肉を眺めながら、はっと何かに気付いたように焦りの色を見せる青空。
「俺たちこんなにのんびりしていていいのですか? 向こうへ急いで帰らなければ、日笠とモモが危ない目に遭っているかも知れませんよ!」
「どうやって帰ろうというのだ?」
「あの黒い……いや、透明でもいいからとにかく壁を越えて!」
「それがどこにあるというのだ!」
「……だから今から探しましょうよ」
「いつ開くとも分からないアレをただ探し回っても無駄だ。それよりも今は喰って体力を回復するのだ。そうしているうちにオレ様の魔力も回復する。探すのはその後だ」
そう言って魔王は魔獣の肉にかぶりつく。喰って喰って、喰いまくる。
肉汁が口からあごに滴る。
どこか、その表情からは必死さが伝わってくる。
「ぼうっとしていないで、おまえも喰え!!」
魔王に魔獣の肉を口の中に突っ込まれむせながらも、肉を噛みきり飲み込んだ。初めて食べたウサギモドキの肉は鶏肉と豚肉を合せたような味。ただし、調味料を使わずただ焼いただけの野性味あふれる調理法は、現代っ子の彼の口に合うものではなかったようだ。
▽
昼間でも薄暗い森の中で、オレンジ色の揺らめく炎を見ていると心が落ち着いてくる。こんな状況でなかったなら、そして相手が魔王でなかったなら、互いの身の上話でもして打ち解け合っていたかも知れない。
とりあえず腹は膨れた。後はいつどこで開くかも分からない元の世界へ戻る扉を探し回ろう。そう考え始めていたころ、犬のうなり声とともに複数の生物に囲まれている気配に気づいた。
一頭の灰色オオカミのような体つきの魔獣が姿を現して威嚇してきた。それを合図に何頭もの魔獣が現れ、牙をむきながら二人との間合いを詰めてきた。
青空は枯れ枝を手に取り構えようとするが、魔王がそれを制して自らマントを翻して立ち上がる。
頭にかぶっている角のある頭蓋骨をわずかに持ち上げ、魔獣のリーダーに向けて目を見開く。
次の瞬間、群れのリーダーは『キャイン』と鳴き、魔獣たちは一斉に逃げていった。
「いったい、何が起きたんです?」
「オレ様の闘気の一部を開放したのだ。本来は魔王たるオレ様に近寄る魔獣などはいないのだ。しかし今は敵に居場所を示す訳にはいかないのでな。闘気は出さないように抑えているのだ」
「えっ、じゃあ、今のでひょっとして……」
「いや、一瞬だったから心配はなかろう……」
二人は顔を見合わせた。
「……何か聞こえてきません?」
「ふむ。もの凄い闘気が迫っておるな……」
地響きのように地面が小刻みに振動している。
鳥型魔獣が一斉に飛び立っていく。
枝葉が折れる音とともに、何かが急速に近づいてくる。
「くそ! 無駄な魔力は使いたくはないのだがな!」
魔王は魔法のステッキを召喚した。
それはつぐみの持つ物とお揃いのハートの石が埋め込まれたピンク色のステッキ。
二人はそれを見た瞬間、動きが止まった。
遙か異次元に残してきた彼女に思いを馳せて――
「下がっていろ、ドラゴンマスター!」
魔王の声に我に返った青空だったが、時すでに遅し。
真っ赤な炎を身にまとった体長3メートルの巨大トカゲが間近に迫っていた。
もう戦いに巻き込まれるのは必至である。
巨大トカゲは体中から炎をはき出しながら、魔王に襲いかかる。
対する魔王は魔法の発動が遅れたのか、仁王立ちしている。
青空は死を覚悟した。
魔王はともかく、自分は火に包まれて死ぬのだろうと思った。
しかし――
「魔王様ァァァ――ッ!!」
巨大トカゲは女の姿になり、魔王に抱きついた。
「無事だったのか、サラ! 会いたかったぞ!」
魔王はサラを強く抱きしめた。




