勧誘
九州地方の南部、鹿児島の朝はまだ比較的過ごしやすいとはいえ、日中の暑さを予感させる真夏の太陽が夜露に濡れた足下の草に反射し、寝不足の目を痛めつける。
青空がため息を吐くと、手を繋いでいたモモの小さな手にぎゅっと力が込められる。これは不穏な気配を感じたときのモモの反応だ。
見渡す限り何もない草むらを、西日本支部鹿児島派出所の所長である野中梅子が先導し、その後を付いていく。迷彩服の隊員たちは数を減らし、背の高い若い隊員と筋肉質の中年隊員の二人だけになっていた。若い隊員はクーラーボックスほどの大きさのアルミケースをかけている。
背後には自衛隊基地の建物や滑走路が見えているが、前方は山に囲まれて視界は遮られている。峰付近には鉄塔やアンテナが点在している。
彼らが歩く草むらにはいろんな大きさの盛り土や木で組まれた簡素な建物や溝が掘られている。
「ここは自衛隊の演習場らしい」
「えっ、私たちこれから何かの演習をするっての!?」
「この状況から考えると、そうかもな……」
「うっそー! だって私、VRゴーグルとプレストは修理に出しちゃってるし!」
通常、機械のメンテナンスは一晩で終わることはない。しかも今回は海水の浸水によるフルメンテナンスだ。たとえ最新の設備と一流スタッフを誇る宇宙防衛軍であっても数日は覚悟しなければならないことはメカに弱いつぐみにも分かっている。
筋肉質の中年隊員が咳払いをし、黙って歩けと無言のメッセージを伝えてきた。青空はすこしむっとした表情を見せるが、つぐみは焦った表情で早歩きする。
やがて物置小屋のような四角い建物がある場所に着いた。野球の内野ベースほどの広さには土が剥き出しになり、不思議なことに草が生えていない。その場所を囲むように4つの小屋が建っていた。
ここでようやく野中梅子が立ち止まり、口を開く。
「さあ、見てもらいましょう! 西日本支部の技術力の素晴らしさを!」
彼女は両手を広げて振り向いた。その表情は晴れやかに、そしてやや猟奇的な笑みを浮かべていた。
そのわずか数秒後――
遠くの空から雷のような重低音。
続いて甲高い音が聞こえてきた。
(戦闘機の編隊がやってくる?)
青空はこの場所が自衛隊の基地であり、後方には滑走路があるというこの状況からそう予想した。
しかし、彼の予想の斜め上をいく答えが出た。
正面の山の死角から現れたのはパイロットスーツに身を包んだ生身の人間。
迷彩柄にペイントされたアーマースーツを装備した兵士の編隊だったのだ。
11機からなる編隊は背中と腰から白煙を上げて、演習場の上空で二手に分かれる。
航空機では有り得ない程の急カーブで旋回し、左右の山の向こうへと飛び去っていく。
空には11本の白煙の筋が残り、少しずつ風に流されていく。
「どうだったかな? 我が西日本支部の精鋭部隊『フェアリー11』だよ。これとは他に訓練中の隊員が30名。さらには魔芽玉の大量生産が進めば日本各地に宇宙防衛隊の戦力を配備できる! 素敵でしょう?」
野中梅子は光悦の笑みを浮かべて青空とつぐみに視線を送る。
「確かにスゴいと思いますけど、これを俺たちに見せてどうしようと?」
「圧倒的な西日本支部の力を見せつけて、キミたちの戦う気を削ぐ作戦なの!」
「はぁっ!?」
目を丸くして野中の顔を見る青空。
彼女は表情を崩して説得するように話しかける。
「もうキミたちは最前線で戦う必要はなくなったの。これからの日本国の安全は私たち西日本支部に任せてちょうだい。そしてキミたちにはもっと安全な場所で私たちの研究に協力してもらいたいの」
「安全な場所で……?」
「じゃあ、私と魔王さまはもう戦わなくても良いってこと?」
「その通りよ。今まで大変だったわね日笠さん。これからは学生生活をゆっくりと楽しんでいいの」
「そう……なんだ……」
どんなときでも肌身離さず通学用カバンを持っているつぐみは、肩掛けをつかんでいる手をぎゅっと握り下を向く。あるべきはずのゲーム機本体とVRゴーグルは今はもう入っていない。
青空にはその様子がひどく寂しそうに見えた。
「日笠がもう不要というのはどうかと思いますけどね! 彼女は東日本支部のエースとして2年間も戦ってきたんですよ!」
そう言いながらも戦闘員が一瞬のうちにモンスターを倒した昨日の光景を思い浮かべていた。確かにバトルアーマーの戦闘員は強かった。その強さはつぐみの魔法を凌駕するだろう。だが、言わずにはいられなかったのだ。
「じゃあ、戦ってみる? 我々が勝ったらキミたちは西日本に移籍、キミたちが勝ったら……まあ、そんなことは有り得ないことだけど……うふふ」
自信満々の野中梅子の顔を見て、青空は酷く嫌悪感を抱いた。
野中の指示で筋肉質の隊員が無線機で連絡をしている。『フェアリー11』を呼び寄せているようだ。
ちょうどその間に野中の携帯に着信がある。彼女は事務的な相談を受けているらしくしばらく話し込んでいた。
「あ、ごめんなさいね。で、キミたちが勝ったらの話だけど……」
「基地では電波が出る機器は使えないんじゃなかったんですか?」
「あっ、そうだったわね。ごめんなさいねー」
「……」
青空は深くため息を吐き、目をつぶり心を落ち着けようと努力する。
モモの小さな手がぎゅっと彼の手を握った。
「俺たちが勝ったらスマホを返してくれればそれでいい!」
「あら、それだけ?」
「ああ、それだけでいい。だって、あんたたちに勝つことの価値なんてそのぐらいのもんだろ!」
青空はモモの手をぎゅっと握り返した。




