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黒くない壁

 西の空にはオレンジ色の夏の太陽が沈もうとしていた。

 ブルムワンの救命用浮遊体が波に揺られている。

 その上でバランスを取りながら、青空は目を細め太陽の方角をじっと見つめている。

 波の音に混じって、ヘリコプターの音らしきもの微かにきこえていたからだ。

 やがて、オレンジ色の太陽に重なって豆粒のような機影が見えてきた。


 隣ではつぐみが声を張り上げ手を振っている。

 その声が遠くを飛ぶヘリコプターに届くわけがない。しかし、そんな風に自分の気持ちに素直に行動できる彼女が少しうらやましく感じる青空だった。


 やがてヘリは旋回し、まっすぐこちらへ向かってきた。

 つぐみの必死の願いが通じたのか、はたまたブルムワンからの救難信号をキャッチしたのかは分からない。

 機体の形はメインローターが一つのよく見かけるタイプだが、緑の迷彩カラーだ。


(自衛隊のヘリか?)


 何はともあれこれで助かる。青空はほっと胸をなで下ろした。


 その時、モモの小さくて柔らかい手が彼の手をぎゅっと握ってきた。

 とびきりの笑顔を向けられていると思ったが、見下ろした彼女の表情に笑顔はなかった。

 彼女は近づいてくるヘリコプターの更に上空を険しい顔で睨んでいた。



 金属がひゃげる音。

 それに続いての閃光。


 青空は慌てて見上げる。

 そこで彼が見たものは火の塊と化した機体。

 爆発音が鳴り響き、黒煙を上げて機体の残骸が海へと落下していった。


 誰もかれも声を上げる暇すら与えられていなかった。

 ブルムワンの救命用浮遊体に荒波が押し寄せ、激しく揺れた。

 青空とつぐみはブルムワンの機体にしがみつき、波立つ海への落下を何とか免れていた。


 ドラゴン幼女のモモだけは、激しく揺れるボードの上で尻尾を第三の足のように使いこなしてまっすぐに立ち、なおも上空を見上げている。

 そして、眉間にしわを寄せ、獣のようなうなり声を上げ始めた。


「モモ!? どうした?」

「異世界への扉、なのです!」

「えっ、どこに!?」


 モモの視線の先を追うも、それらしき物は見当たらない。ヘリの残骸が残した黒煙が風に乗って東南方向に流れていく様子が見えるだけ。

 そもそも彼らが異世界への扉と呼んでいるものは真っ黒い立方体で、そんなものがあったら誰の目にも飛び込んでくるはずだった。

 だが、モモはなおも主張する。


「異世界への扉が開いたのです、マスターのことは私が守るのです!」

「落ち着けモモ! 異世界への扉なんてどこにも出ていないぞ?」

「あっ……、青空!!」

「えっ?」


 つぐみにズボンを引っ張られて振り向くと、彼女もモモと同じ上空を見上げていた。


「なんか……空が揺れていないかな? 私の目がおかしくなっちゃったのかな」

「空が揺れている!?」


 驚いて空を見上げる。

 一見、何もない空間だが、目を凝らしてみるとヘリが爆発した上空50メートルぐらいの高さの辺りが陽炎のように空気が揺らめいている。

 

「ねえ、黒くないけど……あれって、いつものあれじゃないかな?」

「黒い壁の透明バージョン……か!? しかも上空に? そんなバカな……」


 不気味な黒い立方体は異世界の扉である。

 それ常識。

 そんな非常識を常識と思い始めている二人の辞書に新たな1ページが書き加えられようとしていた。


「マズいな、今の俺たちには戦うすべがない」

「どど、どうしよう青空ァァァー!」


 顔面蒼白のつぐみが青空の襟首をつかんで揺さぶった。

 ちょうどその時、透明な空気の壁を突き破りモンスターが出現。

 胴体がヘリコプターの2倍ほどもある、プテラノドンのような翼竜タイプのモンスターだ。

  

 モンスターは次々に出現し、夕暮れの上空を舞い始める。

 1体のモンスターが海上に浮かぶ青空たちを見つけ、大きなくちばしのような口を開けて襲いかかってきた。


「私がいる、のです!」


 メイド服に似たドレス姿のモモが、あんぐりと口を開けて火を噴いた。

 巨大ファイヤーボールとなり、翼竜モンスターを消炭に変えた。


「モモ! お前エネルギーが残っていたのか」

「マスターは私に全てをくれました。だから、私はマスターを守るのです! この身を焼き尽くしても――マスターを!」


 モモは自らの胸を抱きしめるように身をかがめると、ドレスの背中を突き破り、ドラゴンの翼が生えた。

 顔はすでに幼女のそれではなく、ドラゴンそのものに変わっていた。

 サイズは幼女のまま、ピンクドラゴンに変身――いや、元のドラゴンの姿に戻っていた。


 呆然と見送る青空たちを残し、空へ舞い上がるモモ。

 そこへ翼竜の群れが襲いかかっていく。

 

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