漂流
ブルムワンが作り出す半球状のバリアシールドは大気圏突入による摩擦熱に耐えている。外側は灼熱地獄のはずだが二人がいる空間はオーブントースターの中にいる程度の熱さで済んでいた。『暑さ』ではなく熱さ。生身の人間では耐えられない高温であることには変わりないのだが。
再び警報ブザーが鳴る。
バイクの二人乗りのような体勢になっている青空が、前にいるつぐみの肩越しにモニターをのぞき込もうとする。
「ひうっ!?」
「ふえっ!?」
つぐみがビクンと反応し、驚いた青空も変な声を上げてしまった。
そのまま彼女は振り向くことなく、変なうなり声を上げながら背中を丸めてブルムワンのハンドルに額を付けた。
青空の額からは冷や汗がだらだらと流れ落ちていく。
『本機はコースを大きく外れ、復帰は困難となりました。本機は緊急フェーズに移行し、着地予想地点の再計算中です――』
ブルムワンのアナウンスが流れた。
つぐみはゆっくりと振り向き、眉を寄せて頬は紅潮しているという、何とも複雑な表情を見せた。
「機械がまた何か言ってますケド……ふふっ」
それに加えて口の端を上げて笑うという複雑怪奇な表情が完成。
青空はつばをゴクリと飲み込み、あらん限りの知識を振り絞って状況を説明する。おそらくこれは、エネルギー不足による空白の時間のせいでブルムワンが当初に予定していた進入角度にずれが生じてしまったということだろう。
『本機は30秒後に種子島の南東100キロメートル地点に着水します』
ブルムワンのアナウンスが流れるなり、つぐみの体が硬直した。
彼女の顔が赤色から青色に忙しく変化する。
「ちゃ、着水って……海に落ちちゃうってことぉぉぉー!?」
「そうらしいな。それにしても種子島の側って、今日はつくづく宇宙に縁がある1日だったな」
「無理無理無理、無理だからぁーっ、私泳げないんだからぁーっ」
「えっ、マジかよ!?」
ブルムワンの大気圏突入プログラムは最終フェーズを完了した。熱を帯びて真っ赤に燃えていた半球体状のバリアシールドの熱が冷め、網目状の繊維質の隙間から外の様子が見えてきた。
眼下には大きな雲の隙間から海面が黒く見えている。
一瞬で視界がホワイトアウト。眼下に広がる青い海が見えた次の瞬間、バリアシールドは消失しジェットエンジンが火を噴いた。
▽ ▽ ▽ ▽
太平洋の大海原――
ブルムワンの機体から3方向に突き出した浮き輪のようなビニル製の浮遊体の上に青空とつぐみが仰向けになって空を眺めている。そして青空の足にしがみつき、頬をすりすりするドラゴン幼女のモモ。
彼ら3人は漂流中である。
「ふうーっ、今日は最悪の1日だったよー……」
つぐみは空に向かってため息を吐いた。大切なプレスト6が入った通学用カバンを胸の前に抱き、金髪の長い髪がオレンジ色のベッドサイズの浮遊体に広がっている。
「そ、そうだな……ホント、いろいろあって大変だった……よな」
青空はつぐみとは別の浮遊体の上で上体を起こし、彼女の顔色を覗き込んだ。人命救助のような行為とはいえ、彼女の唇を奪ったことには違いはない。激しく罵られるのも覚悟の上だったというのに、彼女はまるであの事が無かったかのように振る舞っているように見える。それがまた不気味なのだ。
「マスターごめんなさい。私がもっと唐揚げを食べていれば今すぐマスターにラブ・注入ができたのです!」
「あっ、いいよいいよ。まさか鳥の唐揚げがドラゴンの生体エネルギーと同じ成分が入っているとはなー。モモだってそのことは宇宙に行ってから気付いたんだろ?」
「そっ、そうなのです……」
モモは不自然に視線を外してからこくこく頷いた。
青空は首をひねる。
青空はつぐみを宇宙まで追いかけるときに生体エネルギーを激しく消耗し、モモ秘蔵の唐揚げ君パワーは青空の決死の覚悟によりつぐみに引き渡された。その際に一度は生体エネルギーを回復したつぐみは、ブルムワンを通して大気圏突入の際にそのほとんどを消費していた。
つまり、漂流中の3人は全員がエネルギー不足、絶体絶命のピンチなのである。
つぐみはスマートフォンを見て、ため息を吐く。
アンテナ表示は圏外を示している。
通常、携帯電話の電波は基地局から3キロ程度しか届かない。
ここは、種子島の南東100Km沖の海上である。
「マスター、浅はかな私を許してくださいです!」
「いや、だから俺は怒っていないから」
「マスタぁー!」
(また始まった……)
つぐみは深くため息を吐く。
さっきからずっとこれの繰り返しなのだ。
青空は口では困ったようなことを言っているが、鼻の下を伸ばしている。
それを分かっていてドラゴン幼女はいちゃいちゃと抱きついていく。
あざとい。
ふと、青空と目が合ってしまった。
途端に頬が火照るように赤くなることを自覚したつぐみは顔を背ける。
(ど、どうしたというの、私……)
自分の感情が分からなくなっていた。
彼はあの時、はっきりと人命救助みたいなものだと言っていた。
自分でもその通りだと思っている。
あれがキスであろうはずがない。ノーカウントだ!
しかし、彼女は今、青空の顔を直視できない病気を罹っていた。
(もしかして私って……ちょろい女!?)
頭がくらっとした。
西の水平線に太陽が沈もうとしている。
この目まいは直射日光のせいではないだろう。
(ああ、今の私をタッ君に見られたら……彼は何というだろうか。『はあー!? おまえ世界征服をサボってなにやってんだ!?』って叱ってくれるだろうか)
つぐみは空に浮かぶあかね雲を見上げる。
(タッ君……私、世界征服はもう止めたんだ。今は日本を守っているの)
北東の方角からヘリコプターの音が聞こえてきた。




